対米全面テロ

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中国政府による人権侵害の実態−Ⅱ

投稿者: arisugawahiro_0 投稿日時: 2002/12/05 12:59 投稿番号: [150527 / 177456]
  しばらくして、一緒にデモした仲間の尼僧とともに、四人部屋へ移され、その日から強制労働が始まりました。普通、中国の刑務所でも、きちんと刑が決まるまでは、労働は科せられないはずです。ところが私たち政治囚だけは例外でした。捕まってから一カ月半しかたっておらず、刑期もきちんと受けないうちに、強制労働に駆り出されたのです。

  私たちに与えられた仕事はいろいろありましたが、一番きつかったのは、トイレでふん尿を汲(く)み出す仕事でした。肥料にするため、肥だめに入って、素手で汲み出さねばならなかったのです。腰まで漬かってバケツに汲み出すのです。刑務所の中は水が制限され、汚れた手を洗うことさえできませんでした。そのまま食事を食べたこともあります。服を洗えないこともたびたびありました。

  食事は貧しく、朝はパンが一切れとお茶だけ、昼はパンと野菜、夜もパンだけでした。私たちはいつもおなかをすかせていました。また病気があるかないかチェックするといって、たびたび血液を抜かれました。でも、その結果を聞いたことは一度もありません。

  半年ほどがたち、一緒にデモした尼僧に五年から七年の懲役刑が下り、ダプチ刑務所に移送されました。しかし、私と、私より若いシェーラップ・ガワン尼僧は、刑罰が決まらないまま一年半、グザ刑務所に拘留されていました。

  普通、未成年には懲役刑は下らないはずです。しかし、私たちは何の裁判も受けないまま、そのままの状態に置かれました。一体いつまで置かれるのか不安に思い、当局に早くきちんとした刑期を決めてほしいと、三度ほど嘆願書を送りました。そしてようやく三年の懲役刑が下りたのです。ですが、裁判があったわけではなく、たった一通の手紙をもらっただけでした。

  三年の懲役刑を受け、規律の厳しいティサム刑務所へ移されました。ティサム刑務所の規律は、厳しいものでした。例えば、仕事量にはノルマがあって、それを満たさないと刑期が延ばされます。朝には運動と称して何時間もグラウンドを走らされたり、軍事訓練のようなものも受けました。また、日曜日ごとに共産党をたたえる歌を学ばされました。冬場仕事ができなくなると、軍人の服を洗わなければいけませんでした。チベットは冬場は水がたいへん冷たく、手の切れるような思いをして洗いました。

  過酷な強制労働や軍事訓練、加えてひどい衛生状態と乏しい食事のため、ほとんどの尼僧は身体を悪くしました。倒れても、満足に病院に連れて行ってもらえませんでした。

  私も何度か倒れてしまい、ようやく病院に連れて行かれました。手術が必要と言われ、中国人医師から手術を受けました。しかし、きちんとした手術ではなかったようで、いつまでたっても傷口が塞(ふさ)がりませんでした。十七日間、警察病院にいたのですが、傷口が治らないまま、刑務所に戻され、すぐその日から強制労働を強いられました。傷口は治らないまま、ずっと化のうした状態でした。それでも強制労働が続き、とうとう二回ほど血を吐いて倒れてしまいました。それでも看守は胃の調子が悪いに違いないと言って、きちんとした治療を受けさせてはくれませんでした。
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