> 大統領の権限(3)
投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2002/12/02 22:36 投稿番号: [150461 / 177456]
> 米国憲法の中には「男女平等」の部分が無いって聞いたことがあるので
> すが(「無かった」かな?)、
ビックリ!、よく知ってますね。
「権利に性別無く、真理に色は無い。神はわれわれ全ての父であり、われわれは全て同胞である。」これは南北戦争期の偉大な黒人指導者フレデリック・ダグラス氏が発行したノース・スター紙の信条です。彼は奴隷解放だけを念頭にしていたのではなく、この運動をもっと広い意味で捉えていたことが理解できます。その彼に、奴隷だった子供の頃、読み書きを教えたのは主人のソフィアさんです。この事が象徴しているように男女平等運動は、奴隷解放運動と表裏一体で古くからありました。
奴隷解放は1868年に修正14条として規定されましたが、まず、男女平等運動が結実したのが修正19条です。第1項「合衆国も、いかなる州も、合衆国市民の投票権を、その性別を理由として奪ったり、制限したりすることは許されない。」と規定された背景として、第一次大戦による女性の社会進出があります。それによって目覚めた女性が婦人参政権運動に加わり、ワシントンでピケやデモを行ったのです。それが新聞に大きく取り上げられ規模も拡大し、政府が動いてデモの鎮圧、逮捕を断行したのです。
逮捕された女性たちは罰金を支払えば罪を認めたことになるとして、それを拒み投獄されたのです。さらに収監された女性たちによって監獄の劣悪な環境が報告され批判の対象となり、また増え続ける逮捕者を収容仕切れなくなったので投獄を免除される女性たちが出現したのです。しかし、その女性たちもハンストに参加するなど途絶えることのない抵抗に遂に議会が憲法修正議案を通し、各州によって批准され1920年8月26日に発効したのです。
この婦人参政権運動に参加したある老婦人は、判事に罰金を支払うように奨められたとき、「判事、私のただ一人の甥が現在フランスで民主主義のために戦っています。甥は自分の国に命を捧げようとしているのです。もし、叔母の私がアメリカの民主主義のために戦っているこれらの勇敢な婦人たちに加わらなかったら、大いに恥じなければなりません。私はアメリカ婦人の自由のために監獄で死ぬ名誉を誇りとしています。」と仰ったそうです。
ダグラス氏は、修正19条が発効される前の1895年には他界されていますが、それは氏が婦人参政権獲得集会から帰宅して間もなくだったそうです。
法の下での男女平等を規定した「平等権法」は72年3月には両院を通過したのですが、時代的に性の解放と一致してたため同性愛者もこれに加わり、社会にとって運動が受け入れる準備が出来ていないほどのリベラル化と運動の分裂が起こり、また、キリスト教右派の「平等権法は女性保護を目的とした特別措置も違法なるぞ!」との脅しが利いて、一般の女性たちからの支持を失ったため承認期間を3年間延長しても、規定の3/4の州による批准が得られず廃案に追い込まれたのです。
なお、司法の場では、18〜20までの男性は飲酒運転が多いとの理由から、酒類の販売を女性が18歳から、男性を21歳からと規定し州法を意見と判断したクレイグ判決が、現在、性差別の審査基準とされているようです。
憲法については、神ならざる人が真理と思っていることも新たな発見があれば、正当手続を経て変更されるって感じでしょうか。英米法と大陸法の違いも知らない私には分かりません(^^;
> すが(「無かった」かな?)、
ビックリ!、よく知ってますね。
「権利に性別無く、真理に色は無い。神はわれわれ全ての父であり、われわれは全て同胞である。」これは南北戦争期の偉大な黒人指導者フレデリック・ダグラス氏が発行したノース・スター紙の信条です。彼は奴隷解放だけを念頭にしていたのではなく、この運動をもっと広い意味で捉えていたことが理解できます。その彼に、奴隷だった子供の頃、読み書きを教えたのは主人のソフィアさんです。この事が象徴しているように男女平等運動は、奴隷解放運動と表裏一体で古くからありました。
奴隷解放は1868年に修正14条として規定されましたが、まず、男女平等運動が結実したのが修正19条です。第1項「合衆国も、いかなる州も、合衆国市民の投票権を、その性別を理由として奪ったり、制限したりすることは許されない。」と規定された背景として、第一次大戦による女性の社会進出があります。それによって目覚めた女性が婦人参政権運動に加わり、ワシントンでピケやデモを行ったのです。それが新聞に大きく取り上げられ規模も拡大し、政府が動いてデモの鎮圧、逮捕を断行したのです。
逮捕された女性たちは罰金を支払えば罪を認めたことになるとして、それを拒み投獄されたのです。さらに収監された女性たちによって監獄の劣悪な環境が報告され批判の対象となり、また増え続ける逮捕者を収容仕切れなくなったので投獄を免除される女性たちが出現したのです。しかし、その女性たちもハンストに参加するなど途絶えることのない抵抗に遂に議会が憲法修正議案を通し、各州によって批准され1920年8月26日に発効したのです。
この婦人参政権運動に参加したある老婦人は、判事に罰金を支払うように奨められたとき、「判事、私のただ一人の甥が現在フランスで民主主義のために戦っています。甥は自分の国に命を捧げようとしているのです。もし、叔母の私がアメリカの民主主義のために戦っているこれらの勇敢な婦人たちに加わらなかったら、大いに恥じなければなりません。私はアメリカ婦人の自由のために監獄で死ぬ名誉を誇りとしています。」と仰ったそうです。
ダグラス氏は、修正19条が発効される前の1895年には他界されていますが、それは氏が婦人参政権獲得集会から帰宅して間もなくだったそうです。
法の下での男女平等を規定した「平等権法」は72年3月には両院を通過したのですが、時代的に性の解放と一致してたため同性愛者もこれに加わり、社会にとって運動が受け入れる準備が出来ていないほどのリベラル化と運動の分裂が起こり、また、キリスト教右派の「平等権法は女性保護を目的とした特別措置も違法なるぞ!」との脅しが利いて、一般の女性たちからの支持を失ったため承認期間を3年間延長しても、規定の3/4の州による批准が得られず廃案に追い込まれたのです。
なお、司法の場では、18〜20までの男性は飲酒運転が多いとの理由から、酒類の販売を女性が18歳から、男性を21歳からと規定し州法を意見と判断したクレイグ判決が、現在、性差別の審査基準とされているようです。
憲法については、神ならざる人が真理と思っていることも新たな発見があれば、正当手続を経て変更されるって感じでしょうか。英米法と大陸法の違いも知らない私には分かりません(^^;
これは メッセージ 150460 (marchingpeople さん)への返信です.
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