サダム撃つべし
投稿者: consu2345 投稿日時: 2002/11/27 12:46 投稿番号: [150374 / 177456]
今回の米によるイラク攻撃を、下記理由で支持します。
①サダム・フセインは危険な独裁者です。
クウェートに利権を求めて侵攻し、その後、私が中東に
駐在していた時も、隣国の国境に戦車5000両を
並べました。
自分に反抗して国外に出た娘2人の一家を、処置は
しないからと呼び戻し、その後、自分の孫の父親で
ある、娘婿2人を射殺しました。
国内で自分に反対する勢力に対して恐怖政治を
行っています、もはや、国内問題に口を出すななどと
いうことに耳を傾ける必要はありません。
私の秘書だったイラク人女性は、89年以前は、
「サダム、サダム」と支持・尊敬していましたが、
クウェート侵攻後、イラクに戻りました。しかし
クルド人であるが故にひどい迫害を受け、ヨーロッパに
逃げ出した後、病院に入り、手術費用を依頼してきました。
結局、当時の同僚からカンパが集まった所で、
ご主人と会えて何とかなりそうだ、との連絡が
来ました。
一説にはクルド人に対して化学兵器を使ったとか、
死者は数十万人に達したの話もあります。
さらに自分の2人の息子を要職につかせ、後継者に
仕立てようとしています。北朝鮮の金親子と全く
同じ手法です。
このような人物は抹殺すべきです。
②アラブの一枚岩を崩した
湾岸戦争前はアラブ=反イスラエル=反ユダヤ資本=反米が
徹底していました。米国でまともに入り込んでいたのは車
(特にドッジのシェアーは大きかったと思えました)と道路
建設コンサルタントの1社位でした。
英字新聞の世界の天気欄で日本の都市として載せられて
いたのは「東京」の他に「広島」「長崎」、これは英字新聞2紙
とも同じでした。これにより、米国は歴史的犯罪を行う野蛮な
国である事をPRし、反米は徹底していたのです。
それがどうでしょう。あの戦争で資金を捻出したのは、当事国と
それと同じ金額を出したのが我が日本、そしてその見返りはと言うと、
もちろん日本の石油輸入は確保されたのですが、それ以上に米資本が
入り込む結果になったのです。
戦前は、ユダヤ資本のコカ・コーラは一切アラブ社会にはありません
でした。「ペプシ」がコーラの代名詞だったのです。それが戦争後、
コカ・コーラが大手を振って歩いているのです。街には「Welcome Bush」
の落書き。反ユダヤどころか反パレスチナに振れているのです。
(私自身は両者のどちらにも荷担するものではありません。(アムス
テルダムで、アンネ・フランクの隠れ家を訪れた時、固まってしまった
私はそれまで世界中で迫害を受けたユダヤ人の心情もまた理解して
いるつもりです)
戦前はアラブ社会から、PLO,PFLPへの直接の送金は認められていました。
客先のの出先事務所でカンパの集金をしているのを、よく見かけました。
パレスチナ人だけでなく、近隣諸国から来るモスリムも現金を出して
いました。それが戦争後は禁止されました。
サダムは、反米=反イスラエルを進めるどころか、結果的に
米に利することをしているのです。
①サダム・フセインは危険な独裁者です。
クウェートに利権を求めて侵攻し、その後、私が中東に
駐在していた時も、隣国の国境に戦車5000両を
並べました。
自分に反抗して国外に出た娘2人の一家を、処置は
しないからと呼び戻し、その後、自分の孫の父親で
ある、娘婿2人を射殺しました。
国内で自分に反対する勢力に対して恐怖政治を
行っています、もはや、国内問題に口を出すななどと
いうことに耳を傾ける必要はありません。
私の秘書だったイラク人女性は、89年以前は、
「サダム、サダム」と支持・尊敬していましたが、
クウェート侵攻後、イラクに戻りました。しかし
クルド人であるが故にひどい迫害を受け、ヨーロッパに
逃げ出した後、病院に入り、手術費用を依頼してきました。
結局、当時の同僚からカンパが集まった所で、
ご主人と会えて何とかなりそうだ、との連絡が
来ました。
一説にはクルド人に対して化学兵器を使ったとか、
死者は数十万人に達したの話もあります。
さらに自分の2人の息子を要職につかせ、後継者に
仕立てようとしています。北朝鮮の金親子と全く
同じ手法です。
このような人物は抹殺すべきです。
②アラブの一枚岩を崩した
湾岸戦争前はアラブ=反イスラエル=反ユダヤ資本=反米が
徹底していました。米国でまともに入り込んでいたのは車
(特にドッジのシェアーは大きかったと思えました)と道路
建設コンサルタントの1社位でした。
英字新聞の世界の天気欄で日本の都市として載せられて
いたのは「東京」の他に「広島」「長崎」、これは英字新聞2紙
とも同じでした。これにより、米国は歴史的犯罪を行う野蛮な
国である事をPRし、反米は徹底していたのです。
それがどうでしょう。あの戦争で資金を捻出したのは、当事国と
それと同じ金額を出したのが我が日本、そしてその見返りはと言うと、
もちろん日本の石油輸入は確保されたのですが、それ以上に米資本が
入り込む結果になったのです。
戦前は、ユダヤ資本のコカ・コーラは一切アラブ社会にはありません
でした。「ペプシ」がコーラの代名詞だったのです。それが戦争後、
コカ・コーラが大手を振って歩いているのです。街には「Welcome Bush」
の落書き。反ユダヤどころか反パレスチナに振れているのです。
(私自身は両者のどちらにも荷担するものではありません。(アムス
テルダムで、アンネ・フランクの隠れ家を訪れた時、固まってしまった
私はそれまで世界中で迫害を受けたユダヤ人の心情もまた理解して
いるつもりです)
戦前はアラブ社会から、PLO,PFLPへの直接の送金は認められていました。
客先のの出先事務所でカンパの集金をしているのを、よく見かけました。
パレスチナ人だけでなく、近隣諸国から来るモスリムも現金を出して
いました。それが戦争後は禁止されました。
サダムは、反米=反イスラエルを進めるどころか、結果的に
米に利することをしているのです。
これは メッセージ 150361 (light_cavalryman さん)への返信です.
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