Re: 9/11の日経コラムより
投稿者: nuketusetus 投稿日時: 2002/10/15 00:40 投稿番号: [148773 / 177456]
>それは「利害関係が対立しないのであれば、協力しあえるだろう」という前提の発言ですよね、たぶん。
>そういうのも「協力」に入るのでしょうか?
当然、協力に入るんじゃないでしょうか。
>うーん、仮に「のんびりやりたい」と思っている国が大半だとしても、緊張感を強いる国が一つ二つあるだけで、それに引きづられてしまうって感じはしますね。・・・うざいことであるよ。
それは当然のことですよね?1万人の中に一人でも空き巣がいれば、留守宅の鍵が
心配になるのが人間というものなのでは?別にうざいと感じるのは自由ですが。
>「結局は人間が行うものなのに」と思うわけです。ある程度わかりやすい基準で判断してくれないと、他人に政治を託すということは無理なんじゃないでしょうか?
「人間は」と言っても、世界にはいろいろな民族、いろいろな文明、いろいろな社会が
ありますよ。それをわかりやすい何かで書き下すのは非常に難しいことなのでは?
だから時間がかかると思うのです。
>「どうしても避けられなかった戦争」とかっていうのはどれだけあるんでしょう。
戦争を避けようという努力が行われつつ開戦に至った戦争は全て「どうしても
避けられなかった戦争」ですね。世の中には「何とかして開戦を避けられた平和」と
「どうしても避けられなかった戦争」の二種類しかないのだから。
無論、katakurichanが歴史のIFを探したいのだったら、日米開戦前夜を紐解いて
「このとき日本がこうしていれば戦争は避けられた!」と考えてみるのもよい
ことでしょうけど。
>でも、私は交渉や駆け引きでは何ともならないことが多いと思いますし、一部指導者の交渉下手(?)のために国民が犠牲になるというのでは困る
指導者のミスは国民が甘んじて受けざるを得ないですね。だからこそ「指導」者な
訳で。指導者がどんなミスをしようが、国民が無責任でいられるのであれば、
近代国家というものの有り様の全ての否定だと思いますが?
ついでに言えば、無能な指導者をいつまでも奉じざるを得ない国民は明らかに
不幸ですよ。日本が太平洋戦争の開戦を避け得たとして、20世紀後半の奇跡的な
躍進を得られたかどうか。戦争は確かに不幸ですが、そのことは戦争がなければ
幸福だということを意味しないと思います。
どうしても指導者のとばっちりを食いたくないのなら、個人の才覚で逃亡するか、
共同体の中で指導者を変えるべく運動すべきでしょう。
>そんな状況で事故を起こさないようにしなければならないとしたら、交差点の度に「どの車が先に通行するか」ってことを交渉しなきゃならない。
ルールの存在を全否定するのであれば、社会はそうなるのでしょうね。
>0にせよとは言いませんが、せめて「正当化」することはやめるべきだと思います。
正当化というのは見方の問題ですから、正当化しなければ社会の本質が変わるかと
言えばそうは思えない。正当化というのは例えばアメリカが「正義は我にあり」と
叫ぶことだけど、それを聞いて「じゃあ我が国は正義に基づいてアメリカに味方
しよう」と直に結びつける指導者はいませんよ。誰しもがまず「正義はアメリカに
あるのか?」を自問するでしょうね。その結論は自答した指導者の数だけ存在する。
であれば、正当化することが結果に何らかの影響を与えうるとは思えません。
>もちろん、どういうやり方がベストということが決まっているわけでもないでしょうから、難しいことはいろいろあるでしょうが。
katakurichan流の解決法がまとまったらコメントします。「善悪の基準は必要だが
それをどう作り上げるかは難しくて思いつかない」ではコメントに値する意見とは
思えませんから(笑)。
>そういうのも「協力」に入るのでしょうか?
当然、協力に入るんじゃないでしょうか。
>うーん、仮に「のんびりやりたい」と思っている国が大半だとしても、緊張感を強いる国が一つ二つあるだけで、それに引きづられてしまうって感じはしますね。・・・うざいことであるよ。
それは当然のことですよね?1万人の中に一人でも空き巣がいれば、留守宅の鍵が
心配になるのが人間というものなのでは?別にうざいと感じるのは自由ですが。
>「結局は人間が行うものなのに」と思うわけです。ある程度わかりやすい基準で判断してくれないと、他人に政治を託すということは無理なんじゃないでしょうか?
「人間は」と言っても、世界にはいろいろな民族、いろいろな文明、いろいろな社会が
ありますよ。それをわかりやすい何かで書き下すのは非常に難しいことなのでは?
だから時間がかかると思うのです。
>「どうしても避けられなかった戦争」とかっていうのはどれだけあるんでしょう。
戦争を避けようという努力が行われつつ開戦に至った戦争は全て「どうしても
避けられなかった戦争」ですね。世の中には「何とかして開戦を避けられた平和」と
「どうしても避けられなかった戦争」の二種類しかないのだから。
無論、katakurichanが歴史のIFを探したいのだったら、日米開戦前夜を紐解いて
「このとき日本がこうしていれば戦争は避けられた!」と考えてみるのもよい
ことでしょうけど。
>でも、私は交渉や駆け引きでは何ともならないことが多いと思いますし、一部指導者の交渉下手(?)のために国民が犠牲になるというのでは困る
指導者のミスは国民が甘んじて受けざるを得ないですね。だからこそ「指導」者な
訳で。指導者がどんなミスをしようが、国民が無責任でいられるのであれば、
近代国家というものの有り様の全ての否定だと思いますが?
ついでに言えば、無能な指導者をいつまでも奉じざるを得ない国民は明らかに
不幸ですよ。日本が太平洋戦争の開戦を避け得たとして、20世紀後半の奇跡的な
躍進を得られたかどうか。戦争は確かに不幸ですが、そのことは戦争がなければ
幸福だということを意味しないと思います。
どうしても指導者のとばっちりを食いたくないのなら、個人の才覚で逃亡するか、
共同体の中で指導者を変えるべく運動すべきでしょう。
>そんな状況で事故を起こさないようにしなければならないとしたら、交差点の度に「どの車が先に通行するか」ってことを交渉しなきゃならない。
ルールの存在を全否定するのであれば、社会はそうなるのでしょうね。
>0にせよとは言いませんが、せめて「正当化」することはやめるべきだと思います。
正当化というのは見方の問題ですから、正当化しなければ社会の本質が変わるかと
言えばそうは思えない。正当化というのは例えばアメリカが「正義は我にあり」と
叫ぶことだけど、それを聞いて「じゃあ我が国は正義に基づいてアメリカに味方
しよう」と直に結びつける指導者はいませんよ。誰しもがまず「正義はアメリカに
あるのか?」を自問するでしょうね。その結論は自答した指導者の数だけ存在する。
であれば、正当化することが結果に何らかの影響を与えうるとは思えません。
>もちろん、どういうやり方がベストということが決まっているわけでもないでしょうから、難しいことはいろいろあるでしょうが。
katakurichan流の解決法がまとまったらコメントします。「善悪の基準は必要だが
それをどう作り上げるかは難しくて思いつかない」ではコメントに値する意見とは
思えませんから(笑)。
これは メッセージ 148760 (katakurichan2 さん)への返信です.
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