>『変革の世紀』(1)
投稿者: li__il 投稿日時: 2002/09/10 01:33 投稿番号: [146967 / 177456]
夢想論ですね。単純に妄想が成立すれば、苦労する事は無い。(苦笑)
NPOなどは、市場主義全盛と言われる10年前からも在りますが、その内容が次第に変質化して居る。国家の権限を不用意に縮小する事に拠って、自らの利己活動がより正当化されるので、昨今の自己中心的な考えに基づく、犯罪率の上昇もこれに起因する感が否めませんね。(苦笑)
訳の判らない指導者に率いられた、国家の枠組みを破壊するファクターとして、これからも機能して行く事でしょう。また大切なものを失うほど、市場主義が蔓延したとは言えず、単なるプロパガンダに過ぎない。
市場主義に代わるものが、結局は貨幣経済の中で生活を行わざるを得ない人間の本質を変えられないまま、今後10年は脱市場経済と言う幻想に惑わされ、混乱した世界情勢となるでしょう。テロも、更に横行し、そのテロの大儀が無い故に、混乱の泥沼化にはまって行く。
脱市場経済と言って、結局は市場経済を模索して居るのは社会の混乱の序章と言える。以下、レス。
>20世紀最後の10年、市場経済のグローバル化を押し広げ、かつてない繁栄を謳歌したアメリカ。ところがそのアメリカで今、"脱市場経済"をめざす人々の潮流が勢いを増している。
しかし、未だに車社会から抜け切れず、環境問題からも一歩遠退いてしまったアメリカの大衆の支持は、昔ながらの市場経済に向いて居る。
>サンフランシスコの「タイズセンター」。250を超すNPO非営利団体を束ね、地球規模にオンライン・コミュニティを形成する"脱市場経済"の拠点である。
オンラインコンピューターに接続する為の資金も、結局は市場経済の中での活動に拠るものであり、単に脱市場経済と嘯いて居るに過ぎない。
>センターには、社会貢献の仕事をしたいと訪れる人が後を絶たない。大企業や官僚のポストを投げ捨てて転身をはかる市場社会のエリートたち。
ボランティア精神に飛んだアメリカでの行動規範として、当たり前の事であり、それが市場経済の否定に繋がる訳では無い。大企業や、官僚のポストを投げ打ったところで、それに見合うだけの社会奉仕は一人では成せず、ナショナリズム傾向が依然として強い証明でもある。投げ捨てるまでも無く、行き過ぎたリストラによる不当解雇等は、考慮されて然るべきものであろう。
>"社会起業家"をめざす学生。センターでは、こうした人々に資金と運営ノウハウを与え、環境保護・福祉・生涯教育といった分野に送り出している
結局は、市場経済に立脚しなければ、出来ないことであろう。営利目的で無く、成立可能な上記3形態の経済運営には、適用可能ではある。
>人々を駆り立てるのは、市場経済が目先の利益を優先し、人間社会や将来世代にとって大切なものがないがしろにされていることへの苛立ちだ。
結局、貧富の格差問題と称して、大規模テロを敢行したのも同じ類の衆であり、統率の効かなくなった、脱市場主義と言った夢想混乱社会では、危険極まりない。
>しかし、これまで企業の営利追求を牽引力としてきた"経済"を、営利目的を排除しながら経済活動として成立させていくことができるのか・・・。
何かの労働の対価として、経済活動は成り立っているのであり、フリーソフト問題然り、全てが同じ経済活動様式取ると、何れ成り立たなく成る経済形態である。従って、幻想なのである。
NPOなどは、市場主義全盛と言われる10年前からも在りますが、その内容が次第に変質化して居る。国家の権限を不用意に縮小する事に拠って、自らの利己活動がより正当化されるので、昨今の自己中心的な考えに基づく、犯罪率の上昇もこれに起因する感が否めませんね。(苦笑)
訳の判らない指導者に率いられた、国家の枠組みを破壊するファクターとして、これからも機能して行く事でしょう。また大切なものを失うほど、市場主義が蔓延したとは言えず、単なるプロパガンダに過ぎない。
市場主義に代わるものが、結局は貨幣経済の中で生活を行わざるを得ない人間の本質を変えられないまま、今後10年は脱市場経済と言う幻想に惑わされ、混乱した世界情勢となるでしょう。テロも、更に横行し、そのテロの大儀が無い故に、混乱の泥沼化にはまって行く。
脱市場経済と言って、結局は市場経済を模索して居るのは社会の混乱の序章と言える。以下、レス。
>20世紀最後の10年、市場経済のグローバル化を押し広げ、かつてない繁栄を謳歌したアメリカ。ところがそのアメリカで今、"脱市場経済"をめざす人々の潮流が勢いを増している。
しかし、未だに車社会から抜け切れず、環境問題からも一歩遠退いてしまったアメリカの大衆の支持は、昔ながらの市場経済に向いて居る。
>サンフランシスコの「タイズセンター」。250を超すNPO非営利団体を束ね、地球規模にオンライン・コミュニティを形成する"脱市場経済"の拠点である。
オンラインコンピューターに接続する為の資金も、結局は市場経済の中での活動に拠るものであり、単に脱市場経済と嘯いて居るに過ぎない。
>センターには、社会貢献の仕事をしたいと訪れる人が後を絶たない。大企業や官僚のポストを投げ捨てて転身をはかる市場社会のエリートたち。
ボランティア精神に飛んだアメリカでの行動規範として、当たり前の事であり、それが市場経済の否定に繋がる訳では無い。大企業や、官僚のポストを投げ打ったところで、それに見合うだけの社会奉仕は一人では成せず、ナショナリズム傾向が依然として強い証明でもある。投げ捨てるまでも無く、行き過ぎたリストラによる不当解雇等は、考慮されて然るべきものであろう。
>"社会起業家"をめざす学生。センターでは、こうした人々に資金と運営ノウハウを与え、環境保護・福祉・生涯教育といった分野に送り出している
結局は、市場経済に立脚しなければ、出来ないことであろう。営利目的で無く、成立可能な上記3形態の経済運営には、適用可能ではある。
>人々を駆り立てるのは、市場経済が目先の利益を優先し、人間社会や将来世代にとって大切なものがないがしろにされていることへの苛立ちだ。
結局、貧富の格差問題と称して、大規模テロを敢行したのも同じ類の衆であり、統率の効かなくなった、脱市場主義と言った夢想混乱社会では、危険極まりない。
>しかし、これまで企業の営利追求を牽引力としてきた"経済"を、営利目的を排除しながら経済活動として成立させていくことができるのか・・・。
何かの労働の対価として、経済活動は成り立っているのであり、フリーソフト問題然り、全てが同じ経済活動様式取ると、何れ成り立たなく成る経済形態である。従って、幻想なのである。
これは メッセージ 146951 (yoursong319 さん)への返信です.
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