こんなの見つけたので
投稿者: chottomato3 投稿日時: 2002/07/04 19:57 投稿番号: [144646 / 177456]
とりあえずコピペします。
asahi.com/ポリティカにっぽん(早野 透) (2001.10.09)
http://www.asahi.com/column/hayano/ja/K2001100900614.html
教室の小田氏と空爆の「現場」
アメリカによるアフガニスタンへの空爆が始まった。夜空からミサイルが落ちてくる地上の民衆は、どんな思いでいることだろう。
10日ほど前、慶応義塾大学の三田キャンパスの517番教室にでかけた。経済学部の招聘(しょうへい)教授として、作家小田実氏が「現代思想」と題して週1回、5カ月の講義を始めた。ベトナム反戦運動を率いた彼がこんなとき何を考えているのか、聞きたかった。
小田氏は学生たちに1枚の写真のコピーを配った。「君ら何の写真かわかるか」。大都会が煙をあげている。こんどのニューヨークのテロ事件の空撮写真かなと思うと、どうも地形が違う。
「大阪空襲をB29から撮った写真だ。この煙の下に私はいた。当時、日本の重慶爆撃のニュース映画も、ああそうかと見ていただけだった。自分がその下にいて初めて、ひとごとでなくなる」
ふつうに生きているところを「場」とすれば、そこに爆弾やミサイルが落ちれば「現場」になる。惨たんたる状況で、ものが見えてくる。
ニューヨークの事件でアメリカは初めて本土で「現場」となった。テロリズムの卑劣さとともに、この強国の意外な弱さも見えた。こんどはアフガニスタン。ミサイルに続いて援助物資が空から落ちてくるというのも妙な「現場」だ。彼の地の民衆は一体どう思うだろう。
こんどのテロ事件で、アメリカが「パールハーバー」や「カミカゼ」を思い起こしたことから、小田氏は日本の問題に焦点をあてる。
「新幹線に乗ったら後ろで二人の男が『日本の戦争は正しかった』とわあわあやっている。それからビンラディンやタリバーンはけしからんと言っている。バカか」
小田氏はこどものころ、これは正義の戦争だ、聖戦だ、これに協力しないのは非国民だ、大東亜共栄圏は悠久の大義だ、とさんざん聞いた。そのバカさ加減は戦争に敗れて思い知った。
「だが、これはビンラディンが言っていることと同じじゃないか。もし日本の戦争が正しかったというなら、タリバーンにもビンラディンにも一理あることになる」
小田氏は鹿児島県の知覧基地から飛び立った特攻隊の青年たちのことに触れる。そういえば「必中必沈以テ皇恩ニ報イ奉リマス。日本一ノ幸福者、笑顔デ出発致シマス」という隊員の遺書の心情の、いかにイスラム過激派のそれに似ていることか。
むろんテロは一切の正当性をもたない。しかし、自分の国の歴史の痛みを思い返すことをせずに、ただ行け行けどんどんで、わが自衛隊を海外派遣していいのかどうか。アメリカのアーミテージ国務副長官に「Show the flag」(旗を見せろ)と言われたからって、日本国民の血であがなった(いやアジアやアメリカの人々の血も流してかちえた)平和憲法をすりぬけるような所作はいかにも悲しすぎる。
小田氏は、エドワード・W・サイードの著名な著書「オリエンタリズム」(平凡社)を紹介する。西洋はずっと東洋を「劣っている」「弱い」「狂っている」と見てきたことを克明に跡づけた書物である。なるほど、イタリア首相は「西洋文明の優越」と、アメリカ大統領は「十字軍」と口をすべらせた。
だが、こんなことはいま学問の場以外ではうっかり言えない。テロ事件がなぜ起きたか、パレスチナ問題やアメリカの中東政策に触れようとすると、「それを議論する時期ではない」などと声をひそめる。いくらかでもテロの理由を認めるかのごとく受け止められてしまう。
冗談じゃない、みんなそれぞれの「現場」でどうしたらテロをほんとになくせるか、日本人として何をすべきか、必死に考えている。
小田実氏の講義は、経済学部の飯田裕康、高草木光一両教授のバックアップで実現した。大学は市民社会とつながるべきこと、「現代思想」とはいま生きる人々が格闘している「現場」そのものであること、それが両教授の思いのようである。
久々に学生気分の新鮮な思いでキャンパスを出た。
asahi.com/ポリティカにっぽん(早野 透) (2001.10.09)
http://www.asahi.com/column/hayano/ja/K2001100900614.html
教室の小田氏と空爆の「現場」
アメリカによるアフガニスタンへの空爆が始まった。夜空からミサイルが落ちてくる地上の民衆は、どんな思いでいることだろう。
10日ほど前、慶応義塾大学の三田キャンパスの517番教室にでかけた。経済学部の招聘(しょうへい)教授として、作家小田実氏が「現代思想」と題して週1回、5カ月の講義を始めた。ベトナム反戦運動を率いた彼がこんなとき何を考えているのか、聞きたかった。
小田氏は学生たちに1枚の写真のコピーを配った。「君ら何の写真かわかるか」。大都会が煙をあげている。こんどのニューヨークのテロ事件の空撮写真かなと思うと、どうも地形が違う。
「大阪空襲をB29から撮った写真だ。この煙の下に私はいた。当時、日本の重慶爆撃のニュース映画も、ああそうかと見ていただけだった。自分がその下にいて初めて、ひとごとでなくなる」
ふつうに生きているところを「場」とすれば、そこに爆弾やミサイルが落ちれば「現場」になる。惨たんたる状況で、ものが見えてくる。
ニューヨークの事件でアメリカは初めて本土で「現場」となった。テロリズムの卑劣さとともに、この強国の意外な弱さも見えた。こんどはアフガニスタン。ミサイルに続いて援助物資が空から落ちてくるというのも妙な「現場」だ。彼の地の民衆は一体どう思うだろう。
こんどのテロ事件で、アメリカが「パールハーバー」や「カミカゼ」を思い起こしたことから、小田氏は日本の問題に焦点をあてる。
「新幹線に乗ったら後ろで二人の男が『日本の戦争は正しかった』とわあわあやっている。それからビンラディンやタリバーンはけしからんと言っている。バカか」
小田氏はこどものころ、これは正義の戦争だ、聖戦だ、これに協力しないのは非国民だ、大東亜共栄圏は悠久の大義だ、とさんざん聞いた。そのバカさ加減は戦争に敗れて思い知った。
「だが、これはビンラディンが言っていることと同じじゃないか。もし日本の戦争が正しかったというなら、タリバーンにもビンラディンにも一理あることになる」
小田氏は鹿児島県の知覧基地から飛び立った特攻隊の青年たちのことに触れる。そういえば「必中必沈以テ皇恩ニ報イ奉リマス。日本一ノ幸福者、笑顔デ出発致シマス」という隊員の遺書の心情の、いかにイスラム過激派のそれに似ていることか。
むろんテロは一切の正当性をもたない。しかし、自分の国の歴史の痛みを思い返すことをせずに、ただ行け行けどんどんで、わが自衛隊を海外派遣していいのかどうか。アメリカのアーミテージ国務副長官に「Show the flag」(旗を見せろ)と言われたからって、日本国民の血であがなった(いやアジアやアメリカの人々の血も流してかちえた)平和憲法をすりぬけるような所作はいかにも悲しすぎる。
小田氏は、エドワード・W・サイードの著名な著書「オリエンタリズム」(平凡社)を紹介する。西洋はずっと東洋を「劣っている」「弱い」「狂っている」と見てきたことを克明に跡づけた書物である。なるほど、イタリア首相は「西洋文明の優越」と、アメリカ大統領は「十字軍」と口をすべらせた。
だが、こんなことはいま学問の場以外ではうっかり言えない。テロ事件がなぜ起きたか、パレスチナ問題やアメリカの中東政策に触れようとすると、「それを議論する時期ではない」などと声をひそめる。いくらかでもテロの理由を認めるかのごとく受け止められてしまう。
冗談じゃない、みんなそれぞれの「現場」でどうしたらテロをほんとになくせるか、日本人として何をすべきか、必死に考えている。
小田実氏の講義は、経済学部の飯田裕康、高草木光一両教授のバックアップで実現した。大学は市民社会とつながるべきこと、「現代思想」とはいま生きる人々が格闘している「現場」そのものであること、それが両教授の思いのようである。
久々に学生気分の新鮮な思いでキャンパスを出た。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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