非暴力の貢献 届くか・・・1
投稿者: chottomato3 投稿日時: 2002/06/30 19:48 投稿番号: [144443 / 177456]
今朝の朝日新聞記事です。無断転載です。
(文中の人物名はイニシャルのみにしました)
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市民団体に同行 パレスチナ訪問
実際に弾丸が飛び交い血が流れる現場で、丸腰の市民に何ができるのか・・・。武力行使を伴わない国際貢献のあり方を探る人々とともに、今月4日から13日までイスラエル軍占領下のパレスチナを訪れた。憎悪や報復とは直接関係のない、他国の市民の目を意識させることによって、暴力の応酬に少しでもブレーキがかかれば。そんな思いを抱いての旅だった。(本田雅和)
●外部の「目」求める住民
「走らずゆっくり退却して」「カメラを向けて兵士を刺激しないで」
案内役のジャーナリストSさんの声が響いた。5日午後、ヨルダン川西岸のラマラ近郊にあるイスラエル軍の検問所。順番を待つパレスチナ人の行列に向けて、イスラエル兵が音と煙で威嚇する「音響爆弾」を投げてきた。
100人以上のパレスチナ人が一斉にこちらに向かって逃げてくる。数10メートル離れた場で監視活動をしていた我々35人も、芝生さんの声に導かれて少しずつ後退する。
パレスチナ人による自爆テロが続き、自治政府の議長府があるラマラとその周辺は極度の緊張下にあった。
「日本から? 歓迎するよ。外国人がいると兵隊も乱暴はしない」
爆弾の煙にむせながらビルゼイト大学の男子学生(21)が話す。通学のため、毎日この検問所を通る。35度を超す炎天下で1時間以上待たされることもあるという。
沖縄から参加したAさん(53)は「基地内の耕作地に行くために米兵のチェックを受ける島民と同じ。ここへ来て沖縄のひどさを逆に実感できた」と話した。
●歓迎受ける
翌6日は住民虐殺が伝えられるジェニンへ。しかし検問で阻止されたので、やむなく西方のトルカレムに回った。この街にも再三にわたり軍が侵攻していた。
中心部にあるアッサラーム小学校は1カ月前に戦車砲撃を受け、がれきの中に教科書が散らばっていた。3月末、イスラエル国内のホテルで22人の死者を出した自爆テロの実行者の自宅は、戦車とブルドーザーによって両隣とともに完全につぶされていた。
際限のない暴力の連鎖を前に、米アイダホ州の大学に留学中のNさん(23)が「人間をやっているのが怖くなった」とつぶやいた。
「外国人だと撃たれる可能性は小さい。『人間の盾』になって農作物の取り入れを手伝おう」
そんな思いからNさんは一行に加わった。実際4月には、欧米から駆けつけた約100人がラマラ市内の議長府や病院に立てこもり、「盾」となってイスラエル軍の侵攻を防いだ。
だが、世界中の注目が集まっていた当時の議長府とは状況が違う。今回は危険過ぎて断念せざるを得なかった。
それでもその晩、難民キャンプに宿泊した一行は多くの人の歓迎を受けた。屋台の主人は「一緒にいてくれるだけで励まされる」と食べ物を差し入れてくれた。外部からの監視者を心から求める思いが伝わってくる。
一行には車いすのTさん(51)とMさん(68)もいた。移動にはどうしても手間がかかる。空港でも検問所でも、イスラエル兵は露骨に嫌な顔をした。武器を隠してはいないか、車いすが必要な理由をしつこく聞かれた。
Tさんは言う。
「有事になれば、最初に切り捨てられるのは障害者だということを肌で感じました。でも、彼らの手を煩わせて障害者の存在に気づかせること自体、軍の論理に対するささやかな抵抗、一種の平和貢献かな」
(文中の人物名はイニシャルのみにしました)
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市民団体に同行 パレスチナ訪問
実際に弾丸が飛び交い血が流れる現場で、丸腰の市民に何ができるのか・・・。武力行使を伴わない国際貢献のあり方を探る人々とともに、今月4日から13日までイスラエル軍占領下のパレスチナを訪れた。憎悪や報復とは直接関係のない、他国の市民の目を意識させることによって、暴力の応酬に少しでもブレーキがかかれば。そんな思いを抱いての旅だった。(本田雅和)
●外部の「目」求める住民
「走らずゆっくり退却して」「カメラを向けて兵士を刺激しないで」
案内役のジャーナリストSさんの声が響いた。5日午後、ヨルダン川西岸のラマラ近郊にあるイスラエル軍の検問所。順番を待つパレスチナ人の行列に向けて、イスラエル兵が音と煙で威嚇する「音響爆弾」を投げてきた。
100人以上のパレスチナ人が一斉にこちらに向かって逃げてくる。数10メートル離れた場で監視活動をしていた我々35人も、芝生さんの声に導かれて少しずつ後退する。
パレスチナ人による自爆テロが続き、自治政府の議長府があるラマラとその周辺は極度の緊張下にあった。
「日本から? 歓迎するよ。外国人がいると兵隊も乱暴はしない」
爆弾の煙にむせながらビルゼイト大学の男子学生(21)が話す。通学のため、毎日この検問所を通る。35度を超す炎天下で1時間以上待たされることもあるという。
沖縄から参加したAさん(53)は「基地内の耕作地に行くために米兵のチェックを受ける島民と同じ。ここへ来て沖縄のひどさを逆に実感できた」と話した。
●歓迎受ける
翌6日は住民虐殺が伝えられるジェニンへ。しかし検問で阻止されたので、やむなく西方のトルカレムに回った。この街にも再三にわたり軍が侵攻していた。
中心部にあるアッサラーム小学校は1カ月前に戦車砲撃を受け、がれきの中に教科書が散らばっていた。3月末、イスラエル国内のホテルで22人の死者を出した自爆テロの実行者の自宅は、戦車とブルドーザーによって両隣とともに完全につぶされていた。
際限のない暴力の連鎖を前に、米アイダホ州の大学に留学中のNさん(23)が「人間をやっているのが怖くなった」とつぶやいた。
「外国人だと撃たれる可能性は小さい。『人間の盾』になって農作物の取り入れを手伝おう」
そんな思いからNさんは一行に加わった。実際4月には、欧米から駆けつけた約100人がラマラ市内の議長府や病院に立てこもり、「盾」となってイスラエル軍の侵攻を防いだ。
だが、世界中の注目が集まっていた当時の議長府とは状況が違う。今回は危険過ぎて断念せざるを得なかった。
それでもその晩、難民キャンプに宿泊した一行は多くの人の歓迎を受けた。屋台の主人は「一緒にいてくれるだけで励まされる」と食べ物を差し入れてくれた。外部からの監視者を心から求める思いが伝わってくる。
一行には車いすのTさん(51)とMさん(68)もいた。移動にはどうしても手間がかかる。空港でも検問所でも、イスラエル兵は露骨に嫌な顔をした。武器を隠してはいないか、車いすが必要な理由をしつこく聞かれた。
Tさんは言う。
「有事になれば、最初に切り捨てられるのは障害者だということを肌で感じました。でも、彼らの手を煩わせて障害者の存在に気づかせること自体、軍の論理に対するささやかな抵抗、一種の平和貢献かな」
これは メッセージ 144442 (chottomato3 さん)への返信です.
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