RE:単純化反対(上)>ゆあそん氏、ラヴ
投稿者: etranger3_01 投稿日時: 2002/06/11 10:48 投稿番号: [143509 / 177456]
ゆあそんさん、横からのレスに直レスさせていただきます。
単純化反対スタンスに対する全面同意ありがとうございます。
これは日本だけでなく世界中で起こっている現象だと思うんですが、何かの事象があるとそのことについて「支配的」な意見が大体2つか3つ(賛成・反対・中立)に”集約”される。だが、その事象が起きた背景、経緯、事情などを考慮すればそのような単純な3分化は起きないはずなんです。つまり、ある事象について意見を集約する際に、既に問題が単純化されてしまっている傾向があると思うのです。これでは、意見は集約されざるを得ない。ここで、重大な社会的責任を負っているのが既成のメディアです。
メディアとは本来、与えられた情報を肯定または否定する公正中立な存在のはずですよね。だがインターネットの普及でメディアは与えられる情報を精査するだけの存在ではなく、情報を現場から自身が発信する立場に立つようになった。より、メディアの報道責任は増すばかりです。だが、そうして報道する個人個人のアナウンサーや記者などに課せられた責任は、本当に個人で負いきれるものなのでしょうか。マスコミがミニコミ化したとき、マスコミの人間は改めてジャーナリスト個人としての責任を負うことなります。問題はそこです。そこで個人が発信した情報を元に、一般がそれを真実と受け止めたとき、「問題の単純化」が起きるのです。それが、インターネットの「速報」記事のなせることです。その時点で、情報を受けた一般の反応はその単純化された問題に対する意見となり、これもまた全体を見越さない単純化された意見に集約されてしまう。これが連鎖反応を起こすと、社会が真っ二つ(あるいは3つ)に分かれるという3分化現象が起きる。だが、実際の問題はそんな単純なものではなく、また人それぞれの立場というのも、社会が多様であるくらいに多様であるはず。いや、多様でいられるべきなんです。
私は、こうした意見の単純化傾向を民間の自主規制(一種の検閲)だと思っています。つまり、意見に幅が広がり過ぎて収集がつかなくなるから、自己規制により意見を単純化してしまい、それによって派閥が生じてしまうということです。そして、そうならざるを得ない世の流れというのがあるということ。しかし、これは愚かな結末としかいいようがない。議論も立ち行かなくなる所以です。
アフガン本土への武力行使の是非については、「テロ擁護派」と「空爆賛成派」、そして「中立派」という3つに分かれてこの掲示板では争われてきました。その中で私がずっと感じてきたのは、この3つ以外の考え方をすると異端視されるこの小社会の異常性です。そしてこれは決してミクロなこの世界だけのことでなく、世界各地グローバルな規模でもこの3分化が起きていると思います。そして、このような国際世論の形成に否定しようのない大きな影響力を行使したのが、ブッシュ大統領の「どっちの側につくか」という発言だったと思います。世界のさらなる二極化(反テロ vs 要テロ)を生んで一体どうしようというのか。「アメリカ以外」では平和だったはずの世界秩序を、いきなり世界の連帯責任にされてしまったような気がしました。実際、そうなのです。アメリカは、自国自身が抱えている問題を棚上げにして、「自分たちは正しいのだからどちらか選べ」と最後通告を行ったのですから。これは問題の本質のすり替えです。だが、それが現実。国際世論はそうしてすり替えられた、単純化された問題について3分化されてしまっているのです。そのような大きな流れの中で、一個人である掲示板の参加者である私たちが時流に呑まれずに個人としての意見を保つことは非常に困難です。でも、それこそがこれから私たち一般市民に必要とされる資質だと思うのです。これは、メディアリテラシー以前の問題ですね。個人個人の意見処理・発信能力の問題なのだと思います。
単純化反対スタンスに対する全面同意ありがとうございます。
これは日本だけでなく世界中で起こっている現象だと思うんですが、何かの事象があるとそのことについて「支配的」な意見が大体2つか3つ(賛成・反対・中立)に”集約”される。だが、その事象が起きた背景、経緯、事情などを考慮すればそのような単純な3分化は起きないはずなんです。つまり、ある事象について意見を集約する際に、既に問題が単純化されてしまっている傾向があると思うのです。これでは、意見は集約されざるを得ない。ここで、重大な社会的責任を負っているのが既成のメディアです。
メディアとは本来、与えられた情報を肯定または否定する公正中立な存在のはずですよね。だがインターネットの普及でメディアは与えられる情報を精査するだけの存在ではなく、情報を現場から自身が発信する立場に立つようになった。より、メディアの報道責任は増すばかりです。だが、そうして報道する個人個人のアナウンサーや記者などに課せられた責任は、本当に個人で負いきれるものなのでしょうか。マスコミがミニコミ化したとき、マスコミの人間は改めてジャーナリスト個人としての責任を負うことなります。問題はそこです。そこで個人が発信した情報を元に、一般がそれを真実と受け止めたとき、「問題の単純化」が起きるのです。それが、インターネットの「速報」記事のなせることです。その時点で、情報を受けた一般の反応はその単純化された問題に対する意見となり、これもまた全体を見越さない単純化された意見に集約されてしまう。これが連鎖反応を起こすと、社会が真っ二つ(あるいは3つ)に分かれるという3分化現象が起きる。だが、実際の問題はそんな単純なものではなく、また人それぞれの立場というのも、社会が多様であるくらいに多様であるはず。いや、多様でいられるべきなんです。
私は、こうした意見の単純化傾向を民間の自主規制(一種の検閲)だと思っています。つまり、意見に幅が広がり過ぎて収集がつかなくなるから、自己規制により意見を単純化してしまい、それによって派閥が生じてしまうということです。そして、そうならざるを得ない世の流れというのがあるということ。しかし、これは愚かな結末としかいいようがない。議論も立ち行かなくなる所以です。
アフガン本土への武力行使の是非については、「テロ擁護派」と「空爆賛成派」、そして「中立派」という3つに分かれてこの掲示板では争われてきました。その中で私がずっと感じてきたのは、この3つ以外の考え方をすると異端視されるこの小社会の異常性です。そしてこれは決してミクロなこの世界だけのことでなく、世界各地グローバルな規模でもこの3分化が起きていると思います。そして、このような国際世論の形成に否定しようのない大きな影響力を行使したのが、ブッシュ大統領の「どっちの側につくか」という発言だったと思います。世界のさらなる二極化(反テロ vs 要テロ)を生んで一体どうしようというのか。「アメリカ以外」では平和だったはずの世界秩序を、いきなり世界の連帯責任にされてしまったような気がしました。実際、そうなのです。アメリカは、自国自身が抱えている問題を棚上げにして、「自分たちは正しいのだからどちらか選べ」と最後通告を行ったのですから。これは問題の本質のすり替えです。だが、それが現実。国際世論はそうしてすり替えられた、単純化された問題について3分化されてしまっているのです。そのような大きな流れの中で、一個人である掲示板の参加者である私たちが時流に呑まれずに個人としての意見を保つことは非常に困難です。でも、それこそがこれから私たち一般市民に必要とされる資質だと思うのです。これは、メディアリテラシー以前の問題ですね。個人個人の意見処理・発信能力の問題なのだと思います。
これは メッセージ 143452 (yoursong319 さん)への返信です.
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