対米全面テロ

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ついでにもう一つ横

投稿者: nuketusetus 投稿日時: 2002/05/08 18:17 投稿番号: [141604 / 177456]
失われたはずの軍事マニアの血が騒ぐ(^^;。

>撃たれて平気な金属元素が存在すれば、それは凄いものです。(感嘆)

当時の(今は良く知らない)防弾装備は操縦席周りには鋼板、燃料タンクにはゴムを
用いるものでした。当時の戦闘機は割といい加減な作りだったので、操縦席・エンジン、
燃料タンクを破壊されなければ機体に穴が空いてもどうと言うことはなかったんですね。
もちろん翼がもげたりすれば落ちますが、そこまでダメージを喰らえばどの国の戦闘機
でも墜落は免れないでしょう。

で、零戦の弱点を本質的に考えるなら、つまるところ次の2つに集約できます。
1.高出力エンジンの開発の遅れ
   零戦のエンジンは初期量産型の21型で940馬力、後期量産型の52型でも1140馬力
   対するグラマンF6Fは2000馬力級ですから、機体に許される重量制限も、最高速度も
   大きく違ってくるのは当然です。鋼板にせよゴムにせよ防弾装備には重量が必要で
   リベット一本まで重量を量った零戦の設計において、防弾装備が搭載できないのは
   やむを得ないことだったでしょう。
2.合成ゴム研究の遅れ
   天然ゴムよりも強靱で生産性に優れる合成ゴムの量産が日本は致命的に遅れて
   いました。防弾用のゴムの供給はアメリカに比べ極めて難しい情勢でした。

防弾装甲の貧弱さも高速度性能/高々度性能のディスアドバンテージも、つまるところ
これらの欠点の延長であるに過ぎません。仮に零戦がアメリカ機並みの防弾装甲を
装備していたとしたら、長所である旋回性能も航続距離も失われ、最高速度400km/hの
最低の航空機(もはや戦闘機とも呼べない)になったでしょうね。爆撃機に撃墜されて
しまうような。

では日本が生存性を高めるためのエンジンの開発を怠っていたかと言えばそうでもない。
四式戦「疾風」や「紫電改」、零戦の後継機「烈風」で名高い中島・誉エンジンなど、
2000馬力級のエンジンは日本にも確かに存在したし、それを採用した戦闘機は何れも
(防弾性能を含め)当時のアメリカ戦闘機に勝るとも劣らない高性能を記録しています。
しかし、大戦末期の空襲の続く日本ではエンジンの量産はおろか高出力エンジンに
不可欠なハイオクタンガソリンの供給も難しく、雲霞のように飛来する2000馬力級
F6FやチャンスボートF4Uコルセア、ノースアメリカンP51ムスタングの前には大局を
挽回するには到底およびませんでした。

日本軍が防弾装甲を軽視したというのは残念ながら真実と言わざるを得ませんが、
そうでもしなければ大戦初期にアメリカの戦闘機乗りを恐怖の底にたたき込んだゼロ・
ファイターは誕生しなかっただろうし、同じ1000馬力級の機体で競い合った1942年頃
までは世界で最優秀の戦闘機と呼んでも差し支えなかったでしょう。
無限に速く、無限に強く、無限に打たれ強い航空機を生産することはできない以上、
設計者は何かを捨てることで何かを得ることしか出来ないのだから、防弾装甲を捨てる
ことで恐るべき旋回性能と長大な航続距離、強力な武装と高い稼働率と容易な操縦性を
得た零戦は確かに名機だった。同時期に零戦の3割増のエンジンを積みながら、
防弾装甲により重量過大となってしまったグラマンF4Fワイルドキャットに乗り撃墜され
失われた多くのアメリカ軍パイロットの命を考えれば、私にはそう思えます。

そして零戦の設計思想は、2000馬力級のエンジンを手にすることで花開いた「紫電改」に
引き継がれたのだと個人的には思います。
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