Re: 「認識」
投稿者: nuketusetus 投稿日時: 2002/05/01 08:23 投稿番号: [141233 / 177456]
ちょっと話題が見えなくなってしまって、何をレスすれば良いかもわからなく
なりつつありますが(^^;。
>即物的なもの、例えば、水や食料の確保や居住の権利やらがありますが、一方で「精神的なもの」、例えば、神様との約束を果たすこととか(?)、正義を貫くとか(?)・・そういうことも大きいようだな、と思ったわけです。
まあ、そういうのも有りですね。原理原則にこだわる人もいて、柔軟さと実利に
長けた人もいて、信仰と精神性を叫ぶ人もいる。まあ、人それぞれ、国それぞれです。
例えば私は北方領土なんて放棄してしまえと思う人間ですが、どうもこの国では
少数派のようです。この場合の国益とは原理原則や僅かばかりの領土ではなく、
ロシアとの友好とオホーツク海の資源だと私は思うのですが。
私なら、「日本は北方四島の領有を放棄しロシアとの平和友好条約を締結する」
「同時に政経不可分の原則の元で停滞していたロシアとの経済交流を全面的に
推し進める」「その見返りとしてロシアは北方四島近海の海産資源、地下資源の
開発権を一定限度の範囲で日本に提供する」くらいの落としどころで行けると
思っていますが(もちろんこれは交渉の最終形で、彼らが今すぐそれを飲むと
いうことではない)、日本人はこの点では原理原則にこだわる人が多いようです。
そういうこだわりを持つ多くの人にとっては、北方四島の僅かな面積(どう考えても
あそこに百万の人間が住むとは思えない)を返せと叫ぶことの方が、国益に叶う
と思っているのかも知れません。そう思えば、ユダヤ人とパレスチナ人の
エルサレムへのこだわりも理解できなくはない気がします。
>交渉(武力行使含む)の結果、何が得られるのかは、相手と共に落としどころを探るうちに決まってくると、そういうことですよね
建設的な対話(あるいは武力行使)の場合はそうですね。逆に、非建設的な
罵り合い(あるいは武力行使)に終始するような場合もあり得るとは思います。
もちろん、前者の方が望ましいことは言うまでもありません。
>と、こんなふうに考えた上で、「暴力を使ったほうがいいのかどうか」は、使わないにこしたことは無いだろう、というふうに思っているわけなのです。
それなら私も同感ですよ(笑)。使わないで済めばそれに越したことはありません。
しかし、少なくとも現代社会において、使わないとどうしようもない、あるいは
やむを得ず使うべきだという局面が見られます。いつか、もしかしたら誰もが
揉め事を軍事力に訴えることなく、同時に軍事力で揉め事を押さえ込むこともない
社会がやってくるかも知れませんが、その日まではまだ努力と試行錯誤の日々が
続くだろうと思っています。
なりつつありますが(^^;。
>即物的なもの、例えば、水や食料の確保や居住の権利やらがありますが、一方で「精神的なもの」、例えば、神様との約束を果たすこととか(?)、正義を貫くとか(?)・・そういうことも大きいようだな、と思ったわけです。
まあ、そういうのも有りですね。原理原則にこだわる人もいて、柔軟さと実利に
長けた人もいて、信仰と精神性を叫ぶ人もいる。まあ、人それぞれ、国それぞれです。
例えば私は北方領土なんて放棄してしまえと思う人間ですが、どうもこの国では
少数派のようです。この場合の国益とは原理原則や僅かばかりの領土ではなく、
ロシアとの友好とオホーツク海の資源だと私は思うのですが。
私なら、「日本は北方四島の領有を放棄しロシアとの平和友好条約を締結する」
「同時に政経不可分の原則の元で停滞していたロシアとの経済交流を全面的に
推し進める」「その見返りとしてロシアは北方四島近海の海産資源、地下資源の
開発権を一定限度の範囲で日本に提供する」くらいの落としどころで行けると
思っていますが(もちろんこれは交渉の最終形で、彼らが今すぐそれを飲むと
いうことではない)、日本人はこの点では原理原則にこだわる人が多いようです。
そういうこだわりを持つ多くの人にとっては、北方四島の僅かな面積(どう考えても
あそこに百万の人間が住むとは思えない)を返せと叫ぶことの方が、国益に叶う
と思っているのかも知れません。そう思えば、ユダヤ人とパレスチナ人の
エルサレムへのこだわりも理解できなくはない気がします。
>交渉(武力行使含む)の結果、何が得られるのかは、相手と共に落としどころを探るうちに決まってくると、そういうことですよね
建設的な対話(あるいは武力行使)の場合はそうですね。逆に、非建設的な
罵り合い(あるいは武力行使)に終始するような場合もあり得るとは思います。
もちろん、前者の方が望ましいことは言うまでもありません。
>と、こんなふうに考えた上で、「暴力を使ったほうがいいのかどうか」は、使わないにこしたことは無いだろう、というふうに思っているわけなのです。
それなら私も同感ですよ(笑)。使わないで済めばそれに越したことはありません。
しかし、少なくとも現代社会において、使わないとどうしようもない、あるいは
やむを得ず使うべきだという局面が見られます。いつか、もしかしたら誰もが
揉め事を軍事力に訴えることなく、同時に軍事力で揉め事を押さえ込むこともない
社会がやってくるかも知れませんが、その日まではまだ努力と試行錯誤の日々が
続くだろうと思っています。
これは メッセージ 141221 (katakurichan さん)への返信です.
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