>「認識」
投稿者: katakurichan 投稿日時: 2002/05/01 00:00 投稿番号: [141221 / 177456]
nukeさん、話がまとまらなくてすみません。ぐるぐるで四苦八苦、話を聞きながら、ちょっとわかったような気がします。前のレスとはまた違うことを言ったりしますが、お許しを。
えっとですね、「平和」とか「国益」とかって、抽象的なもののようですね。かと言って観念的なものではなさそうです。それで、「国民生活に影響を与える」ということですが、その「影響」というのは、即物的なもの、例えば、水や食料の確保や居住の権利やらがありますが、一方で「精神的なもの」、例えば、神様との約束を果たすこととか(?)、正義を貫くとか(?)・・そういうことも大きいようだな、と思ったわけです。当たり前の事かもしれないですけど。
私が、武力行使を「手段」だと考えたのは、「何を目的にして、武力を使うのか?」と考えたからです。「国を守る為」というのは非常に抽象的、仮に「国土」だとしても、「国民が不自由なく生活できる広さ」を守りたいのか、「思い入れのある場所・既得権益のある場所」を守りたいのか、いずれも大事だとしても、どっちが優先なのかとか、命と引き換えにできるのかとか、また、愛国心とかプライドとか恨みとか、何を目的とするのか、その目的を決定する際に、最終的には「どのような平和を手に入れたいのか」ってことになり、それは精神世界の話になるんじゃないのかな?っていうふうに思ったわけです。
で、もう一回、nukeさんの話を聞いてみたら「選択肢です」ってことなので、選択肢だというふうに考えると、「交渉の結果、何かを得る」という感じのものなのですね? 交渉(武力行使含む)の結果、何が得られるのかは、相手と共に落としどころを探るうちに決まってくると、そういうことですよね(違っていたらすみません、どうも理解するのが遅くて・・・)
>試しに聞きますけど、ではどうすれば「最終的に」ケリが付くと思いますか?
えっとですね、それも変な話「人それぞれ」だったんですね(と気が付いた)。何をもって「ケリ」と考えるか、そもそも「ケリ」をつける必要があるのか、とか、いろいろ。で、その「ケリ」とは何なのか?っていうことがはっきりしません。ケリとは何か?ってことを、共通認識で持ったほうがいいのか、それぞれのケリのつけ方でいいっていう話になるのか、それもはっきりしません。私は、ケリをつけてもつけなくてもどっちでもいいと思うほうなので、「(一時的にせよ)力でケリをつける」ってことは不毛だと思うんですが、これも人それぞれなんですよね。
ところで私は、「戦争だけは嫌だ」と思っている(いた)のですが、でも、嫌なことは戦争だけじゃないってことに気が付いてきてるんですよね。病死者が何千人とか餓死者が何万人とか、戦争じゃなくても、何とかしなきゃならない話はいっぱいある、知らないならともかく、知ってしまったからにはどうにかしないわけにはいかない(現地で直接どうこうっていう話ではありませんが)、そういう世界に生きているんだと思うんです。義務だとかそういう話じゃなくて、「人の本能として、何とかせずにいられないと考えるだろう」という話です。
そうすると、もう一個前のnukeさんのレスで、
>こう考えると「国益」というものにはやはり実体はなく、外交の中で相対化すること
>で意味を持つもののように思います。
とありましたが、思うに、「外交」というのも、直接的・短期的な利益を目的としたものだけではないんですよね。他の国と一緒に利益向上を図る、「あなたがHAPPYであれば私もHAPPYである」という道を探る、それが外交であって、国益=国民ひとりひとりの幸せにつながるのだろうと思ったりします。
と、こんなふうに考えた上で、「暴力を使ったほうがいいのかどうか」は、使わないにこしたことは無いだろう、というふうに思っているわけなのです。←単純に結論が出るとは思ってはいないのですけれど。
えっとですね、「平和」とか「国益」とかって、抽象的なもののようですね。かと言って観念的なものではなさそうです。それで、「国民生活に影響を与える」ということですが、その「影響」というのは、即物的なもの、例えば、水や食料の確保や居住の権利やらがありますが、一方で「精神的なもの」、例えば、神様との約束を果たすこととか(?)、正義を貫くとか(?)・・そういうことも大きいようだな、と思ったわけです。当たり前の事かもしれないですけど。
私が、武力行使を「手段」だと考えたのは、「何を目的にして、武力を使うのか?」と考えたからです。「国を守る為」というのは非常に抽象的、仮に「国土」だとしても、「国民が不自由なく生活できる広さ」を守りたいのか、「思い入れのある場所・既得権益のある場所」を守りたいのか、いずれも大事だとしても、どっちが優先なのかとか、命と引き換えにできるのかとか、また、愛国心とかプライドとか恨みとか、何を目的とするのか、その目的を決定する際に、最終的には「どのような平和を手に入れたいのか」ってことになり、それは精神世界の話になるんじゃないのかな?っていうふうに思ったわけです。
で、もう一回、nukeさんの話を聞いてみたら「選択肢です」ってことなので、選択肢だというふうに考えると、「交渉の結果、何かを得る」という感じのものなのですね? 交渉(武力行使含む)の結果、何が得られるのかは、相手と共に落としどころを探るうちに決まってくると、そういうことですよね(違っていたらすみません、どうも理解するのが遅くて・・・)
>試しに聞きますけど、ではどうすれば「最終的に」ケリが付くと思いますか?
えっとですね、それも変な話「人それぞれ」だったんですね(と気が付いた)。何をもって「ケリ」と考えるか、そもそも「ケリ」をつける必要があるのか、とか、いろいろ。で、その「ケリ」とは何なのか?っていうことがはっきりしません。ケリとは何か?ってことを、共通認識で持ったほうがいいのか、それぞれのケリのつけ方でいいっていう話になるのか、それもはっきりしません。私は、ケリをつけてもつけなくてもどっちでもいいと思うほうなので、「(一時的にせよ)力でケリをつける」ってことは不毛だと思うんですが、これも人それぞれなんですよね。
ところで私は、「戦争だけは嫌だ」と思っている(いた)のですが、でも、嫌なことは戦争だけじゃないってことに気が付いてきてるんですよね。病死者が何千人とか餓死者が何万人とか、戦争じゃなくても、何とかしなきゃならない話はいっぱいある、知らないならともかく、知ってしまったからにはどうにかしないわけにはいかない(現地で直接どうこうっていう話ではありませんが)、そういう世界に生きているんだと思うんです。義務だとかそういう話じゃなくて、「人の本能として、何とかせずにいられないと考えるだろう」という話です。
そうすると、もう一個前のnukeさんのレスで、
>こう考えると「国益」というものにはやはり実体はなく、外交の中で相対化すること
>で意味を持つもののように思います。
とありましたが、思うに、「外交」というのも、直接的・短期的な利益を目的としたものだけではないんですよね。他の国と一緒に利益向上を図る、「あなたがHAPPYであれば私もHAPPYである」という道を探る、それが外交であって、国益=国民ひとりひとりの幸せにつながるのだろうと思ったりします。
と、こんなふうに考えた上で、「暴力を使ったほうがいいのかどうか」は、使わないにこしたことは無いだろう、というふうに思っているわけなのです。←単純に結論が出るとは思ってはいないのですけれど。
これは メッセージ 141112 (nuketusetus さん)への返信です.
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