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森沢典子さんのパレスチナ報告6

投稿者: hana_2001_jp 投稿日時: 2002/04/18 03:06 投稿番号: [140482 / 177456]
ムハマードは20発も撃たれましたが、まだ息はありました。
けれども誰も助けることも病院に連れて行くこともできませんでした。
何故なら村の入り口で、救急車も何も入れなかったからです。
たくさんの人が怪我をしましたが血が足りなかったのでみんな死んで
しまいました。

ただ殺されたのです。私たちは兵士でもないし何でもありません。
ただ来て殺したのです。殺して出ていったのです。捜査などありません。

言い忘れましたが、ガザ南部のソルジャーもその夜殺されました。
彼はここで何が起きたのか見に来たのです。そして足を撃たれ病院に運べず
死にました。(救急活動ができないので)足を撃つだけで十分殺せるのです。

その夜18人が殺されました。たった二時間の間に。今は100人以上の人が
ナーサルホスピタルにいます。

どのパレスチナ人の家もみんな同じです。農場も壊していきました。」
(実際の死者は16人そのうち5人がパレスチナ警察)

殺されたハリードさんは結婚したばかりで、家には奥さんと生れて20日目の
赤ちゃんが残されていました。

その小さな小さな赤ちゃんを腕に抱いて、私は怒りと無力感にうちのめされていまし
た。

この他にも話しはたくさんあります。ありすぎて書ききれません。
もちろん関心をお持ちの方には積極的にお話ししますので声をかけて下さい。
写真もありますのでお会いしてお話するのでも結構です。

デ・アル・バラという北部の地域に散布された毒物とその影響を受けているという
たくさんの妊婦さんや子ども達のことも気になっています。

どの話も裏付け調査が必要なのですが、クザール村を訪ねたのは夜九時を廻った後で
したし翌日は午前中にはガラーラのチェックポイントが閉まってしまうからと、駆け足で学
校と病院をまわり、皆に背中を押されるように北へ向いました。
何故こんな状況なのにパレスチナで出会った人達はこんなにも暖かいのか、私を守ろ
うとするのか持っているものを分け与えようとするのか、何故私だけが別の世界へ逃れていけるの
か虚しい気持ちいっぱいでエルサレムに戻りました。

けれども、クザール村の話があまりにひどく、さらに何処の新聞社のアーカイブを調
べてもその事に触れていなかったので、すぐにパレスチナの人権団体と、その時日本で執筆
中だった広河隆一さん(パレスチナ問題について35年間取材やさまざまな活動を続けている
フォトジャーナリスト、現在はパレスチナで取材中)にメールをしました。
翌朝すぐに広河さんから電話がかかって来て、これは大変なことだから、パレスチナ側
だけでなくイスラエル側のジャーナリズムにも伝えた方がいいと言われ、ハアレツ・
デイリーの編集者エウードさんを紹介して下さいました。
エウードさんはその日すぐにテルアビブから、エルサレムまで駆けつけてくれまし
た。
私は、聞いたことをそのまま話しました。

彼はすぐに再調査のための人を送ってくれました。私も一緒に行きたかったけれど、
出国前日だったので後はお任せすることにしました。

日本に戻ってから、村で殺された総数にずれがあったものの残念ながらその出来事が
事実であったことを知りました。

さてパウエル長官がいよいよイスラエル入りしシャロン首相と会談しました。

ずっとイスラエルを支え、大変な軍事国家に育て上げたアメリカの国務長官が仲介に
入るのですから、パレスチナの未来にとって本当に明るい選択肢をきちんと用意して
くれるのかとても不安です。

シャロン首相は一部撤退を行いテロ根絶を訴えながら、その傘下で、パウエル長官が
イスラエルにたどり着くまでの間に駆け込み的に攻撃の手を強め、特にジェニン
キャンプで大変な殺戮を行い、今現在も続けています。
外部からの進入は、取材陣でさえ一切出来ないということがどういうことか
私にははっきりとわかります。
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