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平和を希求する者の責任(再掲)-答えI

投稿者: etranger3_01 投稿日時: 2002/04/17 10:30 投稿番号: [140423 / 177456]
平和を希求する者の責任(I)

おや、lovepeacemamaさん、こんにちは。

「平和が欲しい」という返信元の一声にちょっと反応して、あんなことを書いてしまいました。根底にあるのは、平和とは与えられるものではなく、獲得するものだということと、それに伴う責任があるという考えです。

>>>平和のみを希求する人々の声が
なんと無責任で他人よがりなことか
何かを求めるなら
自ら責任を持って行動すればいい

これはつまり、平和を「希求しない(?)」人々の方が責任を持って行動してしまっているため、行動なくして責任も持たず、ただ反対を唱え平和を希求する人たちの訴えに説得力がないということです。

たとえば、米政府当局者は空爆による民間人の死傷者が出たときに、「遺憾の意」を表しながらも空爆は断固としてやめないという態度を貫いています。その結果、空爆による死傷者がWTC犠牲者の数を上回っていたとしても、空爆を未だやめず、またアフガン政府も公式見解として空爆の停止を求めないことを先頃発表しています。これに伴う両政府の責任は重大です。誤爆により民間の死傷者を出しているという批判を敢えて受けるということなのですから。これが、自らの行動に対する責任です。

さて、私が言うところの「行動」とはつまり自らが選んだ政府の行動=空爆(あるいは空爆支持)に「対する行動」、すなわち具体的な講和への道筋を提示することであって、反対運動や署名運動を繰り広げることではありません。他が作り上げた政策に反対(批判)するのは簡単なことで、それに対して「やめるべき」と言うのもいとも簡単なことです。問題は、「じゃあやめた場合はどうする?」ということなのです。反対意見を出す場合は、それに対する代替案を提案しない限りその反対意見は有効に機能しません。また、仮にその反対意見が通ってしまった場合には、意見が通り実践されたことで発言者や提案者にその責任が転嫁されます。その責任を負いきれるか、ということなんです。要は最後まで自分の意見に対して責任を持つことができるか。アカウンタビリティーの問題なんですよ。

たとえば、「空爆の停止」の1点に絞って話を進めてみますが、空爆の停止が実践されたとします。その後の具体的な道筋は定かではありませんが、だいたい次にようなものになると推測します:

(IIにつづく)
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