旧東独に旧ソよりユダヤ人流入続く
投稿者: aznrsrsnsn 投稿日時: 2002/03/23 06:56 投稿番号: [139027 / 177456]
旧東独に旧ソ連のユダヤ人流入相次ぐ、共同体蘇る
ナチス・ドイツの絶滅政策と、その後の社会主義政権の反シオニズム傾向で消滅寸前だった旧東独のユダヤ人コミュニティーが、蘇(よみがえ)り始めた。旧ソ連地域からユダヤ人の流入が相次いでいるからだ。米メディアは戦後まもなく、「(死体のにおい、ガス室の記憶が消えない)ドイツに戻ろうとするユダヤ人の気が知れない」と論評したが、ドイツは今や、ユダヤ人の新天地にさえなりつつある。(ベルリン 宮明 敬)
「ドイツ統一直前には、この町のユダヤ人はわずか12人で、当時55歳の私が1番若かった。あのままだったら、ユダヤ教区はなくなっていたでしょう」
旧東独南部ケムニッツのユダヤ教区副代表、レナーテ・アリスさん(66)は、11年前をそう振り返る。
同教区の信徒は現在、約500人。戦前の3500人には及ばないが、総工費460万ユーロ(5億3000万円)をかけたシナゴーグ(ユダヤ教の教会堂)が5月末には完成、約60年ぶりに教区のシンボルが復活する。
再生の担い手は、旧ソ連からの“移民”だ。
同教区のジークムント・ロートシュタイン代表(76)によれば、東独政権は「信教の自由を保障しているというアリバイ作りのために、形の上では我々を保護した」。だが、スターリン主義の影響とパレスチナ人を支援する社会主義政権の姿勢は、反ユダヤ主義的風潮を温存、「旧西独のような補償や支援も受けられず、共同体としては死を待つばかりだった」(アリスさん)という。
それが、ゴルバチョフ・ソ連大統領(当時)の改革・開放で在ソ連ユダヤ人の出国が容易になったことから、流れが変わった。
統一ドイツの連邦・各州政府も1991年1月、ソ連圏のユダヤ人を「偶発的難民」として受け入れることを決め、90年から2000年末までに計13万7000人がドイツの土を踏んだ。米国が89年にソ連圏のユダヤ人に対する移民割当枠を年間5万人に減らしたほか、和平の展望が開けぬイスラエルが、吸引力を失ったという事情もある。
96年秋にケムニッツに来たヤーコフ・マヤコフさん(66)は「ロシアでは、ユダヤ人が我々の仕事を奪うと言われたり、極右政党が反ユダヤ主義を標ぼうしたり……。それに、2人の息子は大学を出たのに、職を得られなかった」と語る。
ドイツ語が流ちょうだった息子2人はドイツで運良く、外科医と商社マンになった。だが、ユダヤ人は他の在独外国人に比べて高学歴・高齢者が多い分、再就職は難しいと言われる。マヤコフさんも、ロシアでは大学の教育学部長だったが、今は生活保護を受ける身だ。
「米国やイスラエルに渡るという選択肢もあったが、この国の方が社会的弱者に優しい」。60年前に600万のユダヤ人を死に追いやった国を、マヤコフさんはそう形容した。
◆在独ユダヤ人 戦前には60万人を数えたユダヤ教区への登録者は、60年代末から80年代末までは2万7000人前後で推移し、2000年現在、8万1739人。このうち旧東独地域では、60年代初め1800人、80年代650人と減少し続けたが、2000年には1万5537人(旧西ベルリンを含む)に達した。
(3月23日02:10)
Yomiuri On-Line
http://www.yomiuri.co.jp/05/20020322id21.htm
ナチス・ドイツの絶滅政策と、その後の社会主義政権の反シオニズム傾向で消滅寸前だった旧東独のユダヤ人コミュニティーが、蘇(よみがえ)り始めた。旧ソ連地域からユダヤ人の流入が相次いでいるからだ。米メディアは戦後まもなく、「(死体のにおい、ガス室の記憶が消えない)ドイツに戻ろうとするユダヤ人の気が知れない」と論評したが、ドイツは今や、ユダヤ人の新天地にさえなりつつある。(ベルリン 宮明 敬)
「ドイツ統一直前には、この町のユダヤ人はわずか12人で、当時55歳の私が1番若かった。あのままだったら、ユダヤ教区はなくなっていたでしょう」
旧東独南部ケムニッツのユダヤ教区副代表、レナーテ・アリスさん(66)は、11年前をそう振り返る。
同教区の信徒は現在、約500人。戦前の3500人には及ばないが、総工費460万ユーロ(5億3000万円)をかけたシナゴーグ(ユダヤ教の教会堂)が5月末には完成、約60年ぶりに教区のシンボルが復活する。
再生の担い手は、旧ソ連からの“移民”だ。
同教区のジークムント・ロートシュタイン代表(76)によれば、東独政権は「信教の自由を保障しているというアリバイ作りのために、形の上では我々を保護した」。だが、スターリン主義の影響とパレスチナ人を支援する社会主義政権の姿勢は、反ユダヤ主義的風潮を温存、「旧西独のような補償や支援も受けられず、共同体としては死を待つばかりだった」(アリスさん)という。
それが、ゴルバチョフ・ソ連大統領(当時)の改革・開放で在ソ連ユダヤ人の出国が容易になったことから、流れが変わった。
統一ドイツの連邦・各州政府も1991年1月、ソ連圏のユダヤ人を「偶発的難民」として受け入れることを決め、90年から2000年末までに計13万7000人がドイツの土を踏んだ。米国が89年にソ連圏のユダヤ人に対する移民割当枠を年間5万人に減らしたほか、和平の展望が開けぬイスラエルが、吸引力を失ったという事情もある。
96年秋にケムニッツに来たヤーコフ・マヤコフさん(66)は「ロシアでは、ユダヤ人が我々の仕事を奪うと言われたり、極右政党が反ユダヤ主義を標ぼうしたり……。それに、2人の息子は大学を出たのに、職を得られなかった」と語る。
ドイツ語が流ちょうだった息子2人はドイツで運良く、外科医と商社マンになった。だが、ユダヤ人は他の在独外国人に比べて高学歴・高齢者が多い分、再就職は難しいと言われる。マヤコフさんも、ロシアでは大学の教育学部長だったが、今は生活保護を受ける身だ。
「米国やイスラエルに渡るという選択肢もあったが、この国の方が社会的弱者に優しい」。60年前に600万のユダヤ人を死に追いやった国を、マヤコフさんはそう形容した。
◆在独ユダヤ人 戦前には60万人を数えたユダヤ教区への登録者は、60年代末から80年代末までは2万7000人前後で推移し、2000年現在、8万1739人。このうち旧東独地域では、60年代初め1800人、80年代650人と減少し続けたが、2000年には1万5537人(旧西ベルリンを含む)に達した。
(3月23日02:10)
Yomiuri On-Line
http://www.yomiuri.co.jp/05/20020322id21.htm
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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