Re: 正義の国
投稿者: nuketusetus 投稿日時: 2002/02/15 18:42 投稿番号: [135452 / 177456]
>まず一点だけ、あなたの解答がない「戦争による外交を否定しない」の
>部分で、アメリカの戦いであり、その賛否の議論としてだけなら
>好きか嫌いかでも済まされますが、日本の国として戦争の選択をする
>場合についてお尋ねしました。
日本が外交の手段としての戦争を行うべきか否か、これは非常に難しい問題です。
否であるのが望ましいのはもちろんですが、特に諸外国に対し否であることを
明言する必要があるのかどうか。外交とは駆け引きですから、こちらの手札を無用に
オープンにするべきではないでしょうし(逆に戦略的にオープンにするべき局面も
あるでしょう。麻雀の達人が、わざと自分の手牌を崩して見せるように←ほんとは罰符)
他に選択肢がある間は「否」で通すべきだと私は思います。
>さきに述べましたが、国が選択した行動は
>国民の選択の余地は無くなるからです。
個人的には、「国民で居続けるか否か」の選択の余地はいついかなる時でも保持し
続けたいと思っていますけどね。例えばそれが人には言えないようなやり方であれ。
>もう一つの危惧として、先進国による、「新しい国際的安全保障の枠組み」
>により安定した世界を目指すとありますが、日本もその仲間に入っているのか
>入るべきとお考えか?
既に入っていると思いますよ。日本は戦後「戦争を行っていない国」ですから、
その理由がどこかにあるはずです。日米安保が重要な役割を担っているのは事実でしょうが、
日米安保だけが戦争をせずに済んだ理由だと考えるのも短絡的かなと思います。
ちなみに「憲法第9条」は、日本が戦争を仕掛けなかった理由ではもちろんありますが、
戦争を売られることもなかったという理由としては少し弱すぎる。何しろ、日本に
戦争を売るかもしれない人たちは日本国憲法を順守する必要のない他国民ですから。
>そして安定が圧倒的軍事力によって為されるとするなら
>日本も当然「核」を保有し、軍備の増強を図らなければとなりませんか?
まず、圧倒的軍事力が安全を保証するとは私は考えていません。
米軍は確かに圧倒的な軍事力を持ち、日本はその傘の元にいるわけですが、
必ずしも日本が核武装を含む軍事力強化をしなくともよい理由の一つはこれですし、
また、アメリカ軍と相互安全保障協定を結んでいない非戦国家も十分に考えられます。
必要なことは、考えられる脅威に対して適正な規模の軍事力を持つことであって、
いたずらに巨大な軍事力を持つことは地域レベルでの軍事バランスを崩し、却って
信頼を失う原因となるばかりかと思います。
>「これらの枠組みの中に入るための代償を」と述べられるのもその事を
>指しているのでしょうか?
いいえ。地域内における信頼醸成措置が必要に応じて取られているかどうかです。
例えばイラクや北朝鮮が、その地域内での信頼を勝ち得ている国家だと言えるでしょうか?
イラクの場合は現政権下におけるクェート侵攻という傷がありますし、北朝鮮も
韓国沿岸での小型潜水艦事件、日本近海への不審船事件など周辺諸国への不信の種は
尽きません。
外交的に「何をするか読めない国」は、他国にとっての潜在的脅威以外のなにものでも
ありません。外交的枠組みとは所詮は信頼の有無に帰着でき、またこの種の信頼感こそ
将来において軍事力以外の「安全保障」となりうる唯一の概念であると私は信じます。
>それは守られてているという前提の上で成り立つ事で、日本にはアメリカの
>あの狂気とも言える、武力は使ってこないという楽天的な気分によるものでな
>ないでしょうか。
地下鉄サリン事件を毎朝思い起こし、日常の通勤にガスマスクを持って出ないことを
「楽天的だ」とする人が何人いるでしょうね。
つまるところ個人が恐怖に怯えるかどうかというのは、現実に何が起きるかではなく
現実をどの程度信頼しているかによって決まることです。
その信頼を「楽天的」と評することはもちろん非難されるべき振る舞いではありませんが。
>人の知恵と度々申されますが、日常の経済も人の知恵で動くとしたら
>それほど当てにはならないと思いますが?
当てにするかどうかはその人の自由であって、私がどうこういうべきことではありません。
しかし、多くの人が(口では何と言おうと)核戦争の恐怖に怯えていない、あるいは
経済の不確実さに怯えていないのは事実なのではありませんか?
もちろん、いつ自分の財布の中の紙幣や硬貨ががらくたになるかもしれないと用心し、
山奥で自給自足の生活を営もうとすることを批判する気はないです。
ただ、私は\xA4
>部分で、アメリカの戦いであり、その賛否の議論としてだけなら
>好きか嫌いかでも済まされますが、日本の国として戦争の選択をする
>場合についてお尋ねしました。
日本が外交の手段としての戦争を行うべきか否か、これは非常に難しい問題です。
否であるのが望ましいのはもちろんですが、特に諸外国に対し否であることを
明言する必要があるのかどうか。外交とは駆け引きですから、こちらの手札を無用に
オープンにするべきではないでしょうし(逆に戦略的にオープンにするべき局面も
あるでしょう。麻雀の達人が、わざと自分の手牌を崩して見せるように←ほんとは罰符)
他に選択肢がある間は「否」で通すべきだと私は思います。
>さきに述べましたが、国が選択した行動は
>国民の選択の余地は無くなるからです。
個人的には、「国民で居続けるか否か」の選択の余地はいついかなる時でも保持し
続けたいと思っていますけどね。例えばそれが人には言えないようなやり方であれ。
>もう一つの危惧として、先進国による、「新しい国際的安全保障の枠組み」
>により安定した世界を目指すとありますが、日本もその仲間に入っているのか
>入るべきとお考えか?
既に入っていると思いますよ。日本は戦後「戦争を行っていない国」ですから、
その理由がどこかにあるはずです。日米安保が重要な役割を担っているのは事実でしょうが、
日米安保だけが戦争をせずに済んだ理由だと考えるのも短絡的かなと思います。
ちなみに「憲法第9条」は、日本が戦争を仕掛けなかった理由ではもちろんありますが、
戦争を売られることもなかったという理由としては少し弱すぎる。何しろ、日本に
戦争を売るかもしれない人たちは日本国憲法を順守する必要のない他国民ですから。
>そして安定が圧倒的軍事力によって為されるとするなら
>日本も当然「核」を保有し、軍備の増強を図らなければとなりませんか?
まず、圧倒的軍事力が安全を保証するとは私は考えていません。
米軍は確かに圧倒的な軍事力を持ち、日本はその傘の元にいるわけですが、
必ずしも日本が核武装を含む軍事力強化をしなくともよい理由の一つはこれですし、
また、アメリカ軍と相互安全保障協定を結んでいない非戦国家も十分に考えられます。
必要なことは、考えられる脅威に対して適正な規模の軍事力を持つことであって、
いたずらに巨大な軍事力を持つことは地域レベルでの軍事バランスを崩し、却って
信頼を失う原因となるばかりかと思います。
>「これらの枠組みの中に入るための代償を」と述べられるのもその事を
>指しているのでしょうか?
いいえ。地域内における信頼醸成措置が必要に応じて取られているかどうかです。
例えばイラクや北朝鮮が、その地域内での信頼を勝ち得ている国家だと言えるでしょうか?
イラクの場合は現政権下におけるクェート侵攻という傷がありますし、北朝鮮も
韓国沿岸での小型潜水艦事件、日本近海への不審船事件など周辺諸国への不信の種は
尽きません。
外交的に「何をするか読めない国」は、他国にとっての潜在的脅威以外のなにものでも
ありません。外交的枠組みとは所詮は信頼の有無に帰着でき、またこの種の信頼感こそ
将来において軍事力以外の「安全保障」となりうる唯一の概念であると私は信じます。
>それは守られてているという前提の上で成り立つ事で、日本にはアメリカの
>あの狂気とも言える、武力は使ってこないという楽天的な気分によるものでな
>ないでしょうか。
地下鉄サリン事件を毎朝思い起こし、日常の通勤にガスマスクを持って出ないことを
「楽天的だ」とする人が何人いるでしょうね。
つまるところ個人が恐怖に怯えるかどうかというのは、現実に何が起きるかではなく
現実をどの程度信頼しているかによって決まることです。
その信頼を「楽天的」と評することはもちろん非難されるべき振る舞いではありませんが。
>人の知恵と度々申されますが、日常の経済も人の知恵で動くとしたら
>それほど当てにはならないと思いますが?
当てにするかどうかはその人の自由であって、私がどうこういうべきことではありません。
しかし、多くの人が(口では何と言おうと)核戦争の恐怖に怯えていない、あるいは
経済の不確実さに怯えていないのは事実なのではありませんか?
もちろん、いつ自分の財布の中の紙幣や硬貨ががらくたになるかもしれないと用心し、
山奥で自給自足の生活を営もうとすることを批判する気はないです。
ただ、私は\xA4
これは メッセージ 135438 (kisimenjp さん)への返信です.
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