9・11のテロがなければ…
投稿者: chottomato2 投稿日時: 2002/01/29 12:39 投稿番号: [132751 / 177456]
アフガニスタン問題の日本政府代表をつとめた緒方貞子さんは東京の復興会議開催の前の19日、日本記者クラブで会見した。そのとき彼女はこう言っていた。
「00年9月、私はアフガニスタンへ行った。そこは忘れられた国だった。難民への援助は年々減っていた。9月11日のテロ行為がなければ、アフガニスタンはあのままだったのではないか」
国連難民高等弁務官だったころからアフガニスタンを憂えていた緒方さんへの敬意もあって、21、22日の東京の会議では、各国は精いっぱいの支援額を約束したといっていいだろう。だが、気になるのは、緒方さんがあのテロがなければこうはできなかったと言っている点である。
あのテロの犯人をタリバーン政権がかくまっていると怒ってアメリカはアフガニスタンを空爆した。タリバーン政権は崩壊し内戦も終わって暫定政権ができた。そのカルザイ議長は訴えた。
「私たちはけさもおいしい朝食を食べた。しかし、アフガンにはろくに食べられず、子どもを学校に通わせられない人が何百万人もいる。アフガンは戦争、貧困、略奪で破壊しつくされた」
で、こんどはソ連侵攻以来の23年間の戦乱で荒れたこの国の復興をみんなで手助けをしようというのである。よってたかって壊しておいて何か変だなと思わないか。
緒方さんが言うのは、もしテロがなければ国際社会はアフガニスタンの悲惨をほったらかしにしていただろうということである。あのテロの犠牲、アフガニスタン空爆や誤爆の犠牲。たくさんの悲劇のあげくに、ようやくここにたどりついたのである。後知恵かも知れないが、それくらいならなぜ、もっと先に手を打てなかったのか。
いま、東京で上映中の映画「カンダハール」をつくったイランのマフマルバフ監督の著書「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」(現代企画室)を読むと、アフガニスタンを訪ねたこんなくだりがある。
「私はヘラートの街はずれで、2万人もの男女や子どもが飢えて死んでいくのを目の当たりにした。彼らはもはや歩く気力もなく地面に倒れ、ただ死を待つだけだった。原因は干ばつである」
「同じ日、1人の日本人女性がこの2万人を訪れ、世界は彼らのために手を尽くすと約束した。3カ月後、イランのラジオでこの女性がアフガニスタンで餓死に直面しているのは100万人だというのを聞いた」
この女性は、いうまでもなく緒方さんである。たぶん、緒方さんが気づいたときに国際社会が手を打てば、こんな歴史の回り道をしなくてもよかったかもしれない。不当な犠牲も減らせたかもしれない。タリバーンが破壊した巨大な石仏のことを、マフマルバフ監督はこう書いている。
「仏像はだれが破壊したのでもない。アフガニスタンの虐げられた人々に対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ」
映画「カンダハール」を見に行くと、早朝の回だというのにイスはみんな埋まっていた。カナダに亡命したアフガン女性が妹から自殺をほのめかす手紙をもらい、イラン国境から難民の家族にまぎれて故国に帰ろうとして出会うできごとの物語である。
ヒロインの女性は頭からすっぽり全身を隠すブルカを着る。盗賊の襲来、コーランを読む神学校の少年、砂漠の白骨死体。地雷で足を失った松葉づえの男たちが国連の飛行機から投下される義足を争って走る。ロバに乗った白いブルカの花嫁。ヒロインはつぶやく。「アフガン女性の幾つもの牢獄(ろうごく)……」
この「カンダハール」は、アフガニスタンの窮状を世界に知らせたくてテロ事件が起きる前につくられた。テロや最新鋭の兵器ではなくて、美しくも悲しい映像で世界を変えたいと願ったのだった。しかしなぜ、軍事力でカタをつけないとものごとは進まないのか。東京会議の成功は、そんな歴史の不条理を深くはらんでいたように見える。(2002.1.29)
http://www.asahi.com/column/hayano/ja/index.html
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以上、今日のasahi.com「ポリティカにっぽん」より。
「00年9月、私はアフガニスタンへ行った。そこは忘れられた国だった。難民への援助は年々減っていた。9月11日のテロ行為がなければ、アフガニスタンはあのままだったのではないか」
国連難民高等弁務官だったころからアフガニスタンを憂えていた緒方さんへの敬意もあって、21、22日の東京の会議では、各国は精いっぱいの支援額を約束したといっていいだろう。だが、気になるのは、緒方さんがあのテロがなければこうはできなかったと言っている点である。
あのテロの犯人をタリバーン政権がかくまっていると怒ってアメリカはアフガニスタンを空爆した。タリバーン政権は崩壊し内戦も終わって暫定政権ができた。そのカルザイ議長は訴えた。
「私たちはけさもおいしい朝食を食べた。しかし、アフガンにはろくに食べられず、子どもを学校に通わせられない人が何百万人もいる。アフガンは戦争、貧困、略奪で破壊しつくされた」
で、こんどはソ連侵攻以来の23年間の戦乱で荒れたこの国の復興をみんなで手助けをしようというのである。よってたかって壊しておいて何か変だなと思わないか。
緒方さんが言うのは、もしテロがなければ国際社会はアフガニスタンの悲惨をほったらかしにしていただろうということである。あのテロの犠牲、アフガニスタン空爆や誤爆の犠牲。たくさんの悲劇のあげくに、ようやくここにたどりついたのである。後知恵かも知れないが、それくらいならなぜ、もっと先に手を打てなかったのか。
いま、東京で上映中の映画「カンダハール」をつくったイランのマフマルバフ監督の著書「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」(現代企画室)を読むと、アフガニスタンを訪ねたこんなくだりがある。
「私はヘラートの街はずれで、2万人もの男女や子どもが飢えて死んでいくのを目の当たりにした。彼らはもはや歩く気力もなく地面に倒れ、ただ死を待つだけだった。原因は干ばつである」
「同じ日、1人の日本人女性がこの2万人を訪れ、世界は彼らのために手を尽くすと約束した。3カ月後、イランのラジオでこの女性がアフガニスタンで餓死に直面しているのは100万人だというのを聞いた」
この女性は、いうまでもなく緒方さんである。たぶん、緒方さんが気づいたときに国際社会が手を打てば、こんな歴史の回り道をしなくてもよかったかもしれない。不当な犠牲も減らせたかもしれない。タリバーンが破壊した巨大な石仏のことを、マフマルバフ監督はこう書いている。
「仏像はだれが破壊したのでもない。アフガニスタンの虐げられた人々に対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ」
映画「カンダハール」を見に行くと、早朝の回だというのにイスはみんな埋まっていた。カナダに亡命したアフガン女性が妹から自殺をほのめかす手紙をもらい、イラン国境から難民の家族にまぎれて故国に帰ろうとして出会うできごとの物語である。
ヒロインの女性は頭からすっぽり全身を隠すブルカを着る。盗賊の襲来、コーランを読む神学校の少年、砂漠の白骨死体。地雷で足を失った松葉づえの男たちが国連の飛行機から投下される義足を争って走る。ロバに乗った白いブルカの花嫁。ヒロインはつぶやく。「アフガン女性の幾つもの牢獄(ろうごく)……」
この「カンダハール」は、アフガニスタンの窮状を世界に知らせたくてテロ事件が起きる前につくられた。テロや最新鋭の兵器ではなくて、美しくも悲しい映像で世界を変えたいと願ったのだった。しかしなぜ、軍事力でカタをつけないとものごとは進まないのか。東京会議の成功は、そんな歴史の不条理を深くはらんでいたように見える。(2002.1.29)
http://www.asahi.com/column/hayano/ja/index.html
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以上、今日のasahi.com「ポリティカにっぽん」より。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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