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「借り物」の「歪み」kisimenjpさま

投稿者: kamemusi48 投稿日時: 2002/01/22 12:43 投稿番号: [131659 / 177456]
ご指摘の点、自覚はあります。
「借り物」については、自由思想、民主主義思想が西欧由来のものであり、日本の思想風土に相容れない一面があるゆえ生じる感覚であると考えます。
こういうところで無知をさらけ出す危険を冒すのを承知で書きますが、西欧の市民革命を支えた政治思想は、

1.権利の主体としての独立した個人の存在

共同体から「個人」を分離して、自由・平等な「個人」には生得的に自然権と呼ばれる権利が存在していると想定する。

2.国家を独立した個人が相互契約により設立したと考える。    社会契約説

これによって権力の根拠と正当性が人民のなかに求められるようになる。

この2点かと思います。自然権思想についても社会契約説についてもそれぞれの思想家、ポッブス、ロック、ルソーらの間で相違はありますが。

私見ですが、こうした思想がときに限界を露呈するのは、極めて抽象的な「個人」の存在を理論の前提として設定しているからでしょうか。
「主体的な個人」など実際はどこにも存在しないのではないか、共同体に所属してこそ人間として存在できるのだ。人権一般などはない、あるのは「日本人の権利」だというような議論です。
当然個人の契約という観念も虚構であり、そうした観念に基づく国家観も虚妄以外何ものでもない。

とくに共同体意識の強い日本においては、孤独で強い個人を念頭に置く西欧の自由思想は、どうしても「借り物」という意識がつきまとうものと考えます。

次に「歪み」ですが、おそらくは地下鉄サリン事件の例が、強くそれを意識させるものだったと考えるのですが、思想の自由云々を言う以前の「人倫」の問題が、ここでは見落とされていることかと、推察いたしました。

人として考えていいことと悪いことがある。それは自由以前の問題、議論など抜きに人間なら誰しもが持っていなければならない規範だ。思想の自由とはいえおのずと限界がある。

とする考え方によれば「歪み」と映るのかもしれません。

私自身ですが、問題があるのを承知しながら、政治の領域では、フリーとデモクラシーにしがみついていたいという方です。
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