galeosx11さん:心情的には分かるけど
投稿者: ttwz_x 投稿日時: 2002/01/17 14:00 投稿番号: [130855 / 177456]
良く出る話しですね・・。
心情的には報復攻撃を認めてあげたい。けれども、それには犯罪行為が伴ってしまう。
徳川幕府はこの問題にどう対応したか・・・・赤穂浪士の内入りの動きを明らかに察知していながら知らないふりをする。しかし、討ち入りが終った後に、全員に切腹を命じた。あの時代の名判断ですね。
心情的には理解できても、糾弾すべきは糾弾しなくてはいけません。
世の中に示しがつかなくなる。
では、どうしたらいいのか?
1.自分の国がテロ攻撃される状況を作らない努力。
2.テロを未然に防ぐ努力。防衛する努力。
3.余分な被害を与えない最大限の努力。
ですね・・・それが充分なされたどうかが、犯罪としての罪の重さの問題に関わるのです。
勿論、今後事件を再び発生させないためにも、同じ事が言えます。
尚、追加ですが、この「心情的には理解できるが・・・・」という部分を冷静に考える事はとても重要な事です。例えば、
1.「今回のテロ行為は、心情的には理解できるが、犯罪である」
2.「米国の報復攻撃は、心情的には理解できるが、犯罪である」
同じ事を言ってます。では、上のどちらが正しいとお思いですか?
1なのか2なのかは人それぞれの持った情報やこれまでの経験や信条等で異なってしまいます。
当然、当事者である国の人はそれぞれ全く違う考え方をするでしょう。’心情的’は極めてあやしい判断なのです。
従がって、私は、両方正しいと言っているのです。どちらも、犯罪であると。
この事は、死刑制度の存続の是非にもあてはまります。
T容疑者を死刑にすべきだという話がここでも例として出ていますが、心情的には理解できますが、死刑制度そのもの是非は、その意味を厳しく問う必要があります。何せ人の命の話しですから。
かつて尊属殺人は最高刑でした。つまり、親を殺すなど、もっての外という事で一般の殺人と別扱いでした。今でも心情的には分かる部分はありますが、制度はすでに廃止になりました。世の中の一般人の心情そのもの=法ではややあぶないのです。
人は、宗教も違えば、経験してきた事もそれぞれですし、世の中には、アジテーターも居ますし、マスコミだってあやしい。
・・遅レスですが、お答えを。
これは メッセージ 130815 (galeosx11 さん)への返信です.
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