爆撃で罪なき人々を殺していいか、ノーだ!
投稿者: celtic_siren_morpheus 投稿日時: 2001/12/22 10:05 投稿番号: [127127 / 177456]
朝日に載ったと言う、この言語学者チョムスキー氏の論説は、アメリカのメジャーなメディアには、大手を振って、取り上げられないでしょう。そういう意味では、日本はやや渦中からはずれているので、冷静な批判が身近に手に入り、恵まれていると思います。ところで、この文”爆撃で罪なき人々を殺していいか、ノーだ!”は、私に下記の記事を思い出させました。
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【炎の海・あふれる熱湯…逃げ場なく】
重さ約5トン、厚さ約8センチの鉄扉を開き、足を踏み入れたアメリーヤ・シェルターの内部は、青空に映えるモダンな建物の外観からは想像し難いものだった。
薄暗い中をしばらく歩くと、突然、戸外の光が差し込んでくる。建物の屋上部分にぽっかりと空いた直径1.5メートルほどの穴。光は飴(あめ)のように曲がった幾条もの鉄筋のすき間から、大きく崩れた床に降り注いでいた。
湾岸戦争で、多国籍軍の空爆開始から約一カ月がたった1991年2月14日午前4時30分ごろ。米戦闘機から相次いで発射された2発のミサイルが、厚さ2メートルの天井の壁を打ち抜き、轟(ごう)音とともに就寝中の避難民を襲った。バグダッド中心部から西へ約15キロ。新興住宅街のお年寄りや女性、子ども、そして病人1200人の避難場所は、一瞬のうちに炎に包まれた。
「助けようにも鉄扉が開かなかった。地下にあった熱湯用タンクが壊れ、1.5メートルの高さにまで達して犠牲になった人もいます」。14人の生存者の一人、ウム・ガイダさん(44)は、視察に訪れたアメリカ人一行に、感情を抑えながら説明した。
爆撃の2時間前、洗濯のために8歳だった長男を連れ、すぐ隣の自宅にたまたま戻っていて助かったガイダさん。が、13歳と6歳の娘のほか、妹の家族を含め9人の肉親を失った。
「犠牲者のそばから離れたくない」と、その後、生き証人としてガイド役を務めるようになった彼女の案内で、建物の奥へと進む。
三段ベッドがあったコンクリートの天井にくっきりと残るいくつもの手の跡。地下の壁には、髪の毛や皮膚の一部がくっついて離れない。阿鼻(あび)叫喚の中で息絶えた1186人の命…。
米軍は最初「攻撃したのはイラクの軍事基地」と発表した。1カ月後、「誤爆だった」と認めた。だが、視察中のアメリカ人の多くは「ピンポイント(精密照準)爆撃」を誤爆とは見なしていない。
黒くすすけた建物の壁一面に掛かる遺影。生きた証(あかし)を示す1人ひとりの遺影が、「通常兵器」の持つ現代戦争の破壊の大きさと、戦争の悲惨を無言で訴えていた。(文と写真・田城 明)
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/iraq_ameriya/index.html
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イラクのアメリーヤ・シェルターで、起こった悲劇も、もしアメリカのWTCテロ事件のように、派手に世界中のメディアで鮮烈な映像と共に、センセーショナルに放映されていたら、どんな印象を世界に与えていたでしょうか? (もちろん、湾岸戦争報道は、アメリカ側の一方的な報道操作に終始しました)アメリカは、10万人の死者を出した湾岸戦争中に"死のハイウェイ"も含めて、このような事(民間人を巻き込む虐殺)を平気でしていて、それに加えて、イラク人達を100万発近い、劣化ウラン弾という核廃棄物で生産された新発明の兵器の実験材料にし、(イラク 世界第2番目の被爆国となる)http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/iraq_kids/index.html
しかも ろくに補償をするどころか、さらに150万人も死ぬような過酷な経済制裁を10年もイラクに対して継続し、イラク人がアメリカを憎悪するのは、むしろ当然のような気がします。「アメリカの富や民主主義や自由を妬んだのだ」、とか、そういうブッシュ等が言っていたような空々しい詭弁を真に受けて、今でも信じて疑わない、アメリカ人がこちらには たくさんいるのには、うんざりします。アルカイダのスポークスマンの公式声明でも、はっきりとアメリカへの要求の一つとして、イラクへの制裁を停止しろと述べていました。中東に鬱積するアメリカへの激しい憎悪の根源は、イスラエル・パレスチナ問題も含め、アメリカの横暴な行いから来ており、単なる貧困などで、語れません。 http://www.newsminute.com/newalquaedamessage.htm
それにしても、WTCの犠牲者の遺族には、3880万円から、5億円が、補償金として、米司法省から払われる事になったそうですが、米軍の誤爆で殺されたイラク人やアフガン
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【炎の海・あふれる熱湯…逃げ場なく】
重さ約5トン、厚さ約8センチの鉄扉を開き、足を踏み入れたアメリーヤ・シェルターの内部は、青空に映えるモダンな建物の外観からは想像し難いものだった。
薄暗い中をしばらく歩くと、突然、戸外の光が差し込んでくる。建物の屋上部分にぽっかりと空いた直径1.5メートルほどの穴。光は飴(あめ)のように曲がった幾条もの鉄筋のすき間から、大きく崩れた床に降り注いでいた。
湾岸戦争で、多国籍軍の空爆開始から約一カ月がたった1991年2月14日午前4時30分ごろ。米戦闘機から相次いで発射された2発のミサイルが、厚さ2メートルの天井の壁を打ち抜き、轟(ごう)音とともに就寝中の避難民を襲った。バグダッド中心部から西へ約15キロ。新興住宅街のお年寄りや女性、子ども、そして病人1200人の避難場所は、一瞬のうちに炎に包まれた。
「助けようにも鉄扉が開かなかった。地下にあった熱湯用タンクが壊れ、1.5メートルの高さにまで達して犠牲になった人もいます」。14人の生存者の一人、ウム・ガイダさん(44)は、視察に訪れたアメリカ人一行に、感情を抑えながら説明した。
爆撃の2時間前、洗濯のために8歳だった長男を連れ、すぐ隣の自宅にたまたま戻っていて助かったガイダさん。が、13歳と6歳の娘のほか、妹の家族を含め9人の肉親を失った。
「犠牲者のそばから離れたくない」と、その後、生き証人としてガイド役を務めるようになった彼女の案内で、建物の奥へと進む。
三段ベッドがあったコンクリートの天井にくっきりと残るいくつもの手の跡。地下の壁には、髪の毛や皮膚の一部がくっついて離れない。阿鼻(あび)叫喚の中で息絶えた1186人の命…。
米軍は最初「攻撃したのはイラクの軍事基地」と発表した。1カ月後、「誤爆だった」と認めた。だが、視察中のアメリカ人の多くは「ピンポイント(精密照準)爆撃」を誤爆とは見なしていない。
黒くすすけた建物の壁一面に掛かる遺影。生きた証(あかし)を示す1人ひとりの遺影が、「通常兵器」の持つ現代戦争の破壊の大きさと、戦争の悲惨を無言で訴えていた。(文と写真・田城 明)
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/iraq_ameriya/index.html
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イラクのアメリーヤ・シェルターで、起こった悲劇も、もしアメリカのWTCテロ事件のように、派手に世界中のメディアで鮮烈な映像と共に、センセーショナルに放映されていたら、どんな印象を世界に与えていたでしょうか? (もちろん、湾岸戦争報道は、アメリカ側の一方的な報道操作に終始しました)アメリカは、10万人の死者を出した湾岸戦争中に"死のハイウェイ"も含めて、このような事(民間人を巻き込む虐殺)を平気でしていて、それに加えて、イラク人達を100万発近い、劣化ウラン弾という核廃棄物で生産された新発明の兵器の実験材料にし、(イラク 世界第2番目の被爆国となる)http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/iraq_kids/index.html
しかも ろくに補償をするどころか、さらに150万人も死ぬような過酷な経済制裁を10年もイラクに対して継続し、イラク人がアメリカを憎悪するのは、むしろ当然のような気がします。「アメリカの富や民主主義や自由を妬んだのだ」、とか、そういうブッシュ等が言っていたような空々しい詭弁を真に受けて、今でも信じて疑わない、アメリカ人がこちらには たくさんいるのには、うんざりします。アルカイダのスポークスマンの公式声明でも、はっきりとアメリカへの要求の一つとして、イラクへの制裁を停止しろと述べていました。中東に鬱積するアメリカへの激しい憎悪の根源は、イスラエル・パレスチナ問題も含め、アメリカの横暴な行いから来ており、単なる貧困などで、語れません。 http://www.newsminute.com/newalquaedamessage.htm
それにしても、WTCの犠牲者の遺族には、3880万円から、5億円が、補償金として、米司法省から払われる事になったそうですが、米軍の誤爆で殺されたイラク人やアフガン
これは メッセージ 127044 (chottomato2 さん)への返信です.
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