訳:イラク攻撃は破滅的(1)
投稿者: chao_zoo 投稿日時: 2001/11/23 16:17 投稿番号: [118979 / 177456]
イギリスの労働党国会議員、ギャロウェイ氏のコラムを訳したものです。qweryさんのICCサイトから持ってきました。
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0276360223800.html
湾岸に死の前兆 ---- 米国によるイラク攻撃の影響は破滅的
(2001年11月20日火曜日:ジョージ・ギャロウェイ、ガーディアン)
先週水曜日、イラク航空の民間エアラインB-727型機は、イラク南部の空港バスラを飛び立った。そのとき、上空では警告の無線通信が飛び交っていた。この警告通信は121.5MHzで送信され、明らかにアメリカ人の声で「こちらは国連(SIC)飛行禁止空域武装パトロール。バスラから高度二万一千フィート、時速400マイルで飛行中のイラク航空機に告ぐ。貴機は当方の射程距離内にある。飛行を続け攻撃を受けた場合、その責任は貴機に帰する」と告げるものだった。
かくして対テロリズム戦争の最中、多国籍軍パイロットは国連の権限を偽り(実際には、「飛行禁止空域」とは英米両国が一方的に課したものにすぎない)、180人の民間人を撃墜の恐怖で脅かしたのだった。これは、まさに「砂漠の嵐」を引き起こすことに繋がったかもしれない。
この話をイラク政府関係者から聞いたのであれば、私は信じなかったかもしれない。しかし、あの米軍パイロットにとっては間の悪い偶然だが、私はその飛行機に乗り合せていたのだ。笑いながら警告を無視したアクラム機長とともに、コックピットにいたのである。このとき、ナッサー・アーメド卿(英国で最初のイスラム教徒貴族)、そしてブレア首相派の英国国会議員ケリー・ポーランドもまた機内にいた。
イラクの石油を運ぶタンカーがアメリカ人サービスマンを乗船させたあとに沈んだ(アメリカ人を含む六名が死亡)日曜日の湾岸での事件ともども、アメリカの対イラク政策が剣が峰にあることを示す徴候が現れている。ポトマック川で羽根を休めている鷲たち(訳注:米国政府高官たち)は、空爆によって、一人のアメリカ人も失うことなく、ユーゴ、アフガニスタンと引き続いて政権交代が達成されたと主張している。彼らは、次はイラクで「ハットトリック」を目指すべき時として、1991年に現大統領の父親がやりのこした仕事を完結させようとしている。
アラブ世界から帰還したばかりの身として、そうした動きに警告を発したい。まず第一に、ユーゴでの「勝利」はその見かけほどのものではない。約六万五千人のNATO軍兵士が今もボスニアとコソボに駐留しているのだ。アルバニアでの国家主義高揚が、コソボにおける先週末の選挙であらわになったが、これはセルビアの分離とマケドニアの不安定化をもたらす以外に行く道がないことで誇張されている。NATO兵士たちは、ともすれば乱れがちになる保護国を監視している。
英米のアフガニスタンでの「勝利」もまた、決して最終的なものでも根本的なものでもない。アフガンの都市を支配下に置いていることを言うのなら、レオニード・ブレジネフとて英雄だったことになろう。山岳地帯からの、そして平原での10年に及ぶ消耗戦はソ連に多大の人命と資金を蕩尽させ、議論の余地はあるにしても、まさに国の存続さえも対価にさせたのだった。そしてその当時に、いわゆる「聖戦士」が結成されている。
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0276360223800.html
湾岸に死の前兆 ---- 米国によるイラク攻撃の影響は破滅的
(2001年11月20日火曜日:ジョージ・ギャロウェイ、ガーディアン)
先週水曜日、イラク航空の民間エアラインB-727型機は、イラク南部の空港バスラを飛び立った。そのとき、上空では警告の無線通信が飛び交っていた。この警告通信は121.5MHzで送信され、明らかにアメリカ人の声で「こちらは国連(SIC)飛行禁止空域武装パトロール。バスラから高度二万一千フィート、時速400マイルで飛行中のイラク航空機に告ぐ。貴機は当方の射程距離内にある。飛行を続け攻撃を受けた場合、その責任は貴機に帰する」と告げるものだった。
かくして対テロリズム戦争の最中、多国籍軍パイロットは国連の権限を偽り(実際には、「飛行禁止空域」とは英米両国が一方的に課したものにすぎない)、180人の民間人を撃墜の恐怖で脅かしたのだった。これは、まさに「砂漠の嵐」を引き起こすことに繋がったかもしれない。
この話をイラク政府関係者から聞いたのであれば、私は信じなかったかもしれない。しかし、あの米軍パイロットにとっては間の悪い偶然だが、私はその飛行機に乗り合せていたのだ。笑いながら警告を無視したアクラム機長とともに、コックピットにいたのである。このとき、ナッサー・アーメド卿(英国で最初のイスラム教徒貴族)、そしてブレア首相派の英国国会議員ケリー・ポーランドもまた機内にいた。
イラクの石油を運ぶタンカーがアメリカ人サービスマンを乗船させたあとに沈んだ(アメリカ人を含む六名が死亡)日曜日の湾岸での事件ともども、アメリカの対イラク政策が剣が峰にあることを示す徴候が現れている。ポトマック川で羽根を休めている鷲たち(訳注:米国政府高官たち)は、空爆によって、一人のアメリカ人も失うことなく、ユーゴ、アフガニスタンと引き続いて政権交代が達成されたと主張している。彼らは、次はイラクで「ハットトリック」を目指すべき時として、1991年に現大統領の父親がやりのこした仕事を完結させようとしている。
アラブ世界から帰還したばかりの身として、そうした動きに警告を発したい。まず第一に、ユーゴでの「勝利」はその見かけほどのものではない。約六万五千人のNATO軍兵士が今もボスニアとコソボに駐留しているのだ。アルバニアでの国家主義高揚が、コソボにおける先週末の選挙であらわになったが、これはセルビアの分離とマケドニアの不安定化をもたらす以外に行く道がないことで誇張されている。NATO兵士たちは、ともすれば乱れがちになる保護国を監視している。
英米のアフガニスタンでの「勝利」もまた、決して最終的なものでも根本的なものでもない。アフガンの都市を支配下に置いていることを言うのなら、レオニード・ブレジネフとて英雄だったことになろう。山岳地帯からの、そして平原での10年に及ぶ消耗戦はソ連に多大の人命と資金を蕩尽させ、議論の余地はあるにしても、まさに国の存続さえも対価にさせたのだった。そしてその当時に、いわゆる「聖戦士」が結成されている。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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