自分自身にも疑問を持ち続けて欲しい
投稿者: m_15_41 投稿日時: 2001/11/18 02:39 投稿番号: [117590 / 177456]
>宗教自体、悪いものではないのですが、
>宗教を戦争とむすびつけるあたりが姑息なやり方だと思います。
>宗教を信じる人にとって、異教徒は脅威なのでしょうね。
前半部は概ね賛成ですが最後の文がちょっと引っかかります。
イスラムがかって他の宗教に対する寛容な態度を取っていたことは有名です。
だからこそ中東にはキリスト教の非常に古いマイナーな分派が多数生き残ってきました。
一つには当時のヨーロッパは辺境の後進地域であり、
イスラム圏の方が先進地域であり、世界の中心であったからです。
自分たちの方が優れているという自負があり、支配する側なればこそ寛容にもなれる。
今は力関係が完全に逆転している上、先進国は天然資源の利権のために
中東に干渉し続け、その犠牲の上に繁栄を誇っています。
勿論イスラエルの問題もありますしね。
抑圧を受ける側が団結の為に身近な宗教を拠り所にするのは自然な流れであり、
「宗教を信じる人にとって、異教徒は脅威」というのは順序が逆と言えるでしょう。
昨今のアラブ人やイスラム教やイスラム原理主義に対する発言がどうにも鼻につくのは
かってヨーロッパが黒人奴隷の労働力の上に繁栄を築いていた時代に
人権思想や民主主義を育みながら黒人の奴隷化を正当化していた時の理屈とだぶるからですね。
日本人の多くの宗教に対する態度を見ていると
やはり自分たちが持たないものを持っている人々への
恐れや警戒感、コンプレックスが滲み出ているように思います。
近代化でかってより信仰が弱まっていると感じているキリスト教徒達が
自分たちよりも強い信仰心を残しているイスラム教徒に対して感じているものを
推察する上で参考にはなります。
以前この掲示板で別の人の
「もし宗教がなかったら、世の中でこれほど多くの人々が憎み合い、殺し合うことがなかったかもしれません。」
「未成年に宗教を与えることを防止したらいいんじゃないかと思ってます。」
といった発言がありましたが、
これ突き詰めると「人間が言葉を持ち文明を築いたから悲惨な戦争を起こすので、猿に戻ったらみんな憎み合い、殺し合うことはなくなるかもしれない。」ということになってしまいます。
これを極論だと思う人もいるかも知れないけれど、
歴史や文化、そして現代社会を裏打ちしているものについて
まじめに考察すればする程、宗教は切っても切れない程深いレベルで関わっていることを再認識させられます。
(念のためですが、盆にはご詠歌をあげますし、初詣にも行きますし、実家は曹洞宗の寺の檀家ですが、私自身は特定の宗教を信じているつもりはありません。)
「自分は何ものにもとらわれていない。」と言う人程、
自分を縛っているものについて無自覚な人はいません。
小学生の頃、
「自分の嗜好や感覚、この社会の文化や常識も含めてあらゆるものにとらわれず、
可能な限り曇り無く、客観的に物事を見ることができるようになりたい。」
と決意してから10年以上かけてたどり着いたのは
大部分の人がとらわれている多くのものから自由になった自分と
それでもなお自分を縛っているものを誰よりも強く認識している自分でした。
>宗教を戦争とむすびつけるあたりが姑息なやり方だと思います。
>宗教を信じる人にとって、異教徒は脅威なのでしょうね。
前半部は概ね賛成ですが最後の文がちょっと引っかかります。
イスラムがかって他の宗教に対する寛容な態度を取っていたことは有名です。
だからこそ中東にはキリスト教の非常に古いマイナーな分派が多数生き残ってきました。
一つには当時のヨーロッパは辺境の後進地域であり、
イスラム圏の方が先進地域であり、世界の中心であったからです。
自分たちの方が優れているという自負があり、支配する側なればこそ寛容にもなれる。
今は力関係が完全に逆転している上、先進国は天然資源の利権のために
中東に干渉し続け、その犠牲の上に繁栄を誇っています。
勿論イスラエルの問題もありますしね。
抑圧を受ける側が団結の為に身近な宗教を拠り所にするのは自然な流れであり、
「宗教を信じる人にとって、異教徒は脅威」というのは順序が逆と言えるでしょう。
昨今のアラブ人やイスラム教やイスラム原理主義に対する発言がどうにも鼻につくのは
かってヨーロッパが黒人奴隷の労働力の上に繁栄を築いていた時代に
人権思想や民主主義を育みながら黒人の奴隷化を正当化していた時の理屈とだぶるからですね。
日本人の多くの宗教に対する態度を見ていると
やはり自分たちが持たないものを持っている人々への
恐れや警戒感、コンプレックスが滲み出ているように思います。
近代化でかってより信仰が弱まっていると感じているキリスト教徒達が
自分たちよりも強い信仰心を残しているイスラム教徒に対して感じているものを
推察する上で参考にはなります。
以前この掲示板で別の人の
「もし宗教がなかったら、世の中でこれほど多くの人々が憎み合い、殺し合うことがなかったかもしれません。」
「未成年に宗教を与えることを防止したらいいんじゃないかと思ってます。」
といった発言がありましたが、
これ突き詰めると「人間が言葉を持ち文明を築いたから悲惨な戦争を起こすので、猿に戻ったらみんな憎み合い、殺し合うことはなくなるかもしれない。」ということになってしまいます。
これを極論だと思う人もいるかも知れないけれど、
歴史や文化、そして現代社会を裏打ちしているものについて
まじめに考察すればする程、宗教は切っても切れない程深いレベルで関わっていることを再認識させられます。
(念のためですが、盆にはご詠歌をあげますし、初詣にも行きますし、実家は曹洞宗の寺の檀家ですが、私自身は特定の宗教を信じているつもりはありません。)
「自分は何ものにもとらわれていない。」と言う人程、
自分を縛っているものについて無自覚な人はいません。
小学生の頃、
「自分の嗜好や感覚、この社会の文化や常識も含めてあらゆるものにとらわれず、
可能な限り曇り無く、客観的に物事を見ることができるようになりたい。」
と決意してから10年以上かけてたどり着いたのは
大部分の人がとらわれている多くのものから自由になった自分と
それでもなお自分を縛っているものを誰よりも強く認識している自分でした。
これは メッセージ 117509 (matwo_5656 さん)への返信です.
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