長い独り言・その2
投稿者: tyottoomiyage 投稿日時: 2001/11/03 13:21 投稿番号: [111241 / 177456]
(つづき)
なにが言いたいのかと申しますと、皆思いのほか「他人任せ」で自分の価値観を築いているのでは?ということ。自分の頭で考え、自分の意思で価値観を築いている人は「優劣」にふり回されることは、基本的にないと思います(「優劣」ではなく、他人と自分を比較し、自分を評価する際に「落ち込む」ことはあるかも知れません。が、それは「自己構築」のプロセスでは避けて通れないことでしょう)。
こうして自分に関するあらゆることを、自分の責任において「選択」して生きている人にとっては、「優劣」は生まれません(自分の能力の低さに嘆くことはあっても、それは「劣」や、もっとわかり易く言えば「馬鹿」の根拠にはならないのです)。生まれようがないのです。
僕が「国民」の側にも「自覚」が必要だと言うのは、そういうことです。こういった面に各々が厳しい目を向けることで、少なくとも身近な「誤差」は、安定した環境の下で問題になることはない。
さて、そのような「自覚」を持った「国民」が「国家」を眺めたとしましょう。「国家」の中で生きている我々には「国家」の担っているものや、こうむる恩恵は、とりあえず欠かすことのできないものでもあります。が、個々の民の無数の「誤差」の上に成り立つ「国家」が、他の「国家」に宣戦布告して「国家」のために命をかけろと言われたら、果たして皆さんいかがなものでしょう。
僕はここから先は発言できません。ただ、僕なら、それでも「日本」は好きです。が「国家」のために命はかけれない。「愛する人・大切な人」のために暴力を選ぶことはあります。
僕らは「国家」どうしが戦争をすることや、「国家」の成り立ち、その「国民」としての自分の在り方というものについて、しっかり考えるべきだと思います。他人任せで生きている人は「生きる」ことも「死ぬ」ことも他人のせいにしようとします。「死」はもちろん怖いことですが、「無責任に生きる」ということも、僕は恥ずべきことだと思います。
それから、もう一つ避けて通れないのは「過去の歴史」です。我が国も含め「国家」が他国・民族に犯した過ちは、謝罪すべきです。その基準となる「法」については僕には言及できません。しかし、これまで述べたような「精神」を我々が獲得することが出来れば、「過去の過ちは謝罪すべきものであり、謝罪することが、現在の我々の在り方を微塵も「否定」することではない」と、僕は思います。
あー、ここまでくると、hai1004さんとは全く関係ございません。ごめんなさいです。
なにが言いたいのかと申しますと、皆思いのほか「他人任せ」で自分の価値観を築いているのでは?ということ。自分の頭で考え、自分の意思で価値観を築いている人は「優劣」にふり回されることは、基本的にないと思います(「優劣」ではなく、他人と自分を比較し、自分を評価する際に「落ち込む」ことはあるかも知れません。が、それは「自己構築」のプロセスでは避けて通れないことでしょう)。
こうして自分に関するあらゆることを、自分の責任において「選択」して生きている人にとっては、「優劣」は生まれません(自分の能力の低さに嘆くことはあっても、それは「劣」や、もっとわかり易く言えば「馬鹿」の根拠にはならないのです)。生まれようがないのです。
僕が「国民」の側にも「自覚」が必要だと言うのは、そういうことです。こういった面に各々が厳しい目を向けることで、少なくとも身近な「誤差」は、安定した環境の下で問題になることはない。
さて、そのような「自覚」を持った「国民」が「国家」を眺めたとしましょう。「国家」の中で生きている我々には「国家」の担っているものや、こうむる恩恵は、とりあえず欠かすことのできないものでもあります。が、個々の民の無数の「誤差」の上に成り立つ「国家」が、他の「国家」に宣戦布告して「国家」のために命をかけろと言われたら、果たして皆さんいかがなものでしょう。
僕はここから先は発言できません。ただ、僕なら、それでも「日本」は好きです。が「国家」のために命はかけれない。「愛する人・大切な人」のために暴力を選ぶことはあります。
僕らは「国家」どうしが戦争をすることや、「国家」の成り立ち、その「国民」としての自分の在り方というものについて、しっかり考えるべきだと思います。他人任せで生きている人は「生きる」ことも「死ぬ」ことも他人のせいにしようとします。「死」はもちろん怖いことですが、「無責任に生きる」ということも、僕は恥ずべきことだと思います。
それから、もう一つ避けて通れないのは「過去の歴史」です。我が国も含め「国家」が他国・民族に犯した過ちは、謝罪すべきです。その基準となる「法」については僕には言及できません。しかし、これまで述べたような「精神」を我々が獲得することが出来れば、「過去の過ちは謝罪すべきものであり、謝罪することが、現在の我々の在り方を微塵も「否定」することではない」と、僕は思います。
あー、ここまでくると、hai1004さんとは全く関係ございません。ごめんなさいです。
これは メッセージ 111238 (tyottoomiyage さん)への返信です.
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