長い独り言・その1
投稿者: tyottoomiyage 投稿日時: 2001/11/03 13:17 投稿番号: [111238 / 177456]
言葉足らずで変ですね。もう少し書こう。
「「国家」に関心がない」というのは、「日本」に興味がないということではありません。日本の歴史と文化についての知識の殆どない僕が言うのは不適切ですが、僕は日本人であり、日本が好きです。しかし、それは他国と秤にかけるものではありません。諸外国の人と対面して、「驚く」ことはあっても、そこに「優劣」は存在しない。よく「〇〇国は△△」だ、などと優劣を口にする人がいますが、これは不思議です。僕が前文で書いたことは、「人間の営み」について考える、最低限の基準です。これに付け加えるとすれば、「優劣」は存在しないということ。「豊かさと貧しさ」は在ると思います。
話が飛躍するようですが、この「優劣」は多くの含みを持ってきます。先ほどの「国家」。「国家」はその国民の数だけ「誤差」を含んでいます。そして独自の文化を具えて他国と接触を持っています。僕が「日本」は好きだが、「国家」に関心はない、というのは「国家」は時として、一人歩きをして「国益」を追求するためです。もちろんこれが「国民」に等しく分配されればまた別ですが、現実を見てもわかるように、必ずしもそうではない。これは無数の民の「誤差」の集積である「国家」の持つ、やっかいな側面でもあると思います(「国」を動かす「政治家」にも大きく左右される。だから、僕は「政治に携わる人には感心する」と言っているのです。もちろんその「政治家」が「国民に可能な限り等しく国益を分配し、その国益も他国との「和平」を乱すものではない、という「当然の自覚と責任感を持っている」という前提ですが)。
また、「国家」が無数の「誤差」の上に成り立っているということは、我々「国民」の側にもそれ相応の「自覚」が必要なのです。例えば、「国家」に限ったことではないですが、僕を含め、大多数の人が「既成の概念」を疑うことなく「自分の価値観」としてとり入れている。そこに先ほどの「優劣(これすらも既成の概念)」がまたしても顔を出すのです。なぜか、「既成の概念」を「自分の価値観」としてとり込む時に、「優劣」にふり回される人が多い。変な例えですが、「歯磨き」。僕らは子供の頃、大抵の人なら「歯を磨きましょう。歯磨きは大切(=優)です。虫歯にならないためですよ」と教わります。で、なるほどと思い、皆歯磨きをするのは「良いこと」で歯磨きをする人が多い。しかし、僕からすると、「なぜ虫歯になるの?じゃ、効率良く磨くのはどうすればいいの?ふーん。虫歯と歯磨きの手間のどっちを優先しようかな・・・」と吟味した上で、「歯磨き導入」するのが「当然」です。決して「歯磨きは"良いこと"だからする」ものではない。「良いこと」で磨いて目的に適うのなら、世の中から虫歯は無くなるか、かなり減ると思います。
これは メッセージ 110731 (tyottoomiyage さん)への返信です.
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