【証拠文書】8〜19
投稿者: serpent_owl 投稿日時: 2001/10/25 16:29 投稿番号: [105542 / 177456]
◆諸事実
オサマ・ビン・ラディンとアル・カイーダ
8.1989年、オサマ・ビン・ラディンその他は「アル・カイーダ(「基礎、基地」)」の名で知られる国際的テロリストグループを設立した。今に至るまでビン・ラディンはアル・カイーダのリーダーでありつづけている。
9.1989年から1991年まで、オサマ・ビン・ラディンはアフガニスタンとパキスタンのぺシャワールを拠点としていた。1991年の彼はスーダンに移り、1996年まで滞在した。1996年に彼はアフガニスタンに戻り、以来そこにいる。
タリバン政権
10.タリバンは1990年代初め、パキスタンのアフガン難民キャンプから現れた。
1996年までにタリバンはカブールを攻略した。彼らは今なおアフガニスタン全土を制圧下に置こうと血なまぐさい内戦を行っている。タリバンはムラー・オマルが指揮している。
11.1996年に、オサマ・ビン・ラディンはアフガニスタンに戻った。彼はムラー・オマルと密接な関係を結び、タリバンを背後から支える力を投げかけた。
オサマ・ビン・ラディンとタリバン政権は親密な同盟関係にあり、その同盟関係に依拠して今日まで両者は生き延びている。
彼らはまた、宗教的価値観やヴィジョンを共有している。
12.オサマ・ビン・ラディンはタリバン政権に、北部同盟と戦うための兵員、武器、資金を提供している。
彼はタリバンの軍事訓練、計画立案、作戦に密接に関与している。またタリバンの軍事指揮系統にも息のかかった者を入れている。
彼はまたインフラ整備の助力や人道的支援も行っている。オサマ・ビン・ラディンの指揮下にある軍隊は、タリバンの側に立ってアフガニスタン内戦を戦っている。
13.オマルはビン・ラディンに、そこで行動ができる安全な隠れ家を提供し、また彼にアフガニスタンでテロリスト訓練キャンプを設立することを許した。
彼らは共同してアフガンの麻薬取引に手を染めた。アル・カイーダの能動的支援の見かえりとして、タリバンはアル・カイーダに自由に行動することを許した。計画立案、訓練、テロ活動の準備などに関してである。
加えて、タリバンは麻薬の備蓄在庫を保証してもいる。
14.タリバンがカブールを攻略した1996年以来、合衆国政府は一貫して人道援助やテロリズムを含む全般的な問題を彼らについて指摘してきた。2001年9月11日よりかなり前に、合衆国政府はアフリカ東部でのテロ攻撃に関するアル・カイーダの責任に関する証拠をタリバンに提供した。この証拠はタリバンの上級リーダーたちの要求に応えて彼らに提供された。
15. 合衆国政府は、タリバン政権に対して、アル・カイーダが合衆国市民を殺害し、またさらなる殺害を計画している事実を明確にした。合衆国は、アフガニスタンからテロリストを追放する作業をタリバンと共に進めようと提案した。しかし、これらの言行は、1996年以来継続しているものの、なんら結実するに至っていない。
16. 2001年6月、アル・カイーダの脅威を示す膨大な証拠を前にして、合衆国はタリバンに対し、米国には自らを守る権利があり、タリバンがアフガニスタンで保護されているテロリストによる合衆国市民への攻撃について責任を取らなければ、政権を失うことになると警告を発した。
17.これに関しては合衆国は国連の支持を受けていた。国連安全保障理事会は決議1267号において、国際的にテロリズムを支援したこと、およびテロリストキャンプのネットワークを運営したことに関してオサマ・ビン・ラディンを非難し、タリバンに対しては、彼を司法の場に出廷させるべく、これ以上の遅延なくその身柄を譲渡することを要求した。
18.1998年東アフリカにおける爆破事件について、オサマ・ビン・ラディンおよびアル・カイーダに責任があることを示す、合衆国が提示した証拠があるにもかかわらず、そしてさらなる残虐行為の脅威を正確に予見できたにもかかわらず、さらにはまた、国連の要求があったにもかかわらず、タリバン政権は、オサマ・ビン・ラディンを有罪とする証拠が存在しなかったとし、ビン・ラディンもそのネットワークのどちらも追放することはないと答えている。
19. アフガニスタンのある元政府高官がタリバンおよびオサマ・ビン・ラディンについてこう書いている。「同じコインの裏と表だ。オサマはタリバンのないアフガニスタンで存在することはできないし、タリバンもオサマなしでは存在することができない。」
オサマ・ビン・ラディンとアル・カイーダ
8.1989年、オサマ・ビン・ラディンその他は「アル・カイーダ(「基礎、基地」)」の名で知られる国際的テロリストグループを設立した。今に至るまでビン・ラディンはアル・カイーダのリーダーでありつづけている。
9.1989年から1991年まで、オサマ・ビン・ラディンはアフガニスタンとパキスタンのぺシャワールを拠点としていた。1991年の彼はスーダンに移り、1996年まで滞在した。1996年に彼はアフガニスタンに戻り、以来そこにいる。
タリバン政権
10.タリバンは1990年代初め、パキスタンのアフガン難民キャンプから現れた。
1996年までにタリバンはカブールを攻略した。彼らは今なおアフガニスタン全土を制圧下に置こうと血なまぐさい内戦を行っている。タリバンはムラー・オマルが指揮している。
11.1996年に、オサマ・ビン・ラディンはアフガニスタンに戻った。彼はムラー・オマルと密接な関係を結び、タリバンを背後から支える力を投げかけた。
オサマ・ビン・ラディンとタリバン政権は親密な同盟関係にあり、その同盟関係に依拠して今日まで両者は生き延びている。
彼らはまた、宗教的価値観やヴィジョンを共有している。
12.オサマ・ビン・ラディンはタリバン政権に、北部同盟と戦うための兵員、武器、資金を提供している。
彼はタリバンの軍事訓練、計画立案、作戦に密接に関与している。またタリバンの軍事指揮系統にも息のかかった者を入れている。
彼はまたインフラ整備の助力や人道的支援も行っている。オサマ・ビン・ラディンの指揮下にある軍隊は、タリバンの側に立ってアフガニスタン内戦を戦っている。
13.オマルはビン・ラディンに、そこで行動ができる安全な隠れ家を提供し、また彼にアフガニスタンでテロリスト訓練キャンプを設立することを許した。
彼らは共同してアフガンの麻薬取引に手を染めた。アル・カイーダの能動的支援の見かえりとして、タリバンはアル・カイーダに自由に行動することを許した。計画立案、訓練、テロ活動の準備などに関してである。
加えて、タリバンは麻薬の備蓄在庫を保証してもいる。
14.タリバンがカブールを攻略した1996年以来、合衆国政府は一貫して人道援助やテロリズムを含む全般的な問題を彼らについて指摘してきた。2001年9月11日よりかなり前に、合衆国政府はアフリカ東部でのテロ攻撃に関するアル・カイーダの責任に関する証拠をタリバンに提供した。この証拠はタリバンの上級リーダーたちの要求に応えて彼らに提供された。
15. 合衆国政府は、タリバン政権に対して、アル・カイーダが合衆国市民を殺害し、またさらなる殺害を計画している事実を明確にした。合衆国は、アフガニスタンからテロリストを追放する作業をタリバンと共に進めようと提案した。しかし、これらの言行は、1996年以来継続しているものの、なんら結実するに至っていない。
16. 2001年6月、アル・カイーダの脅威を示す膨大な証拠を前にして、合衆国はタリバンに対し、米国には自らを守る権利があり、タリバンがアフガニスタンで保護されているテロリストによる合衆国市民への攻撃について責任を取らなければ、政権を失うことになると警告を発した。
17.これに関しては合衆国は国連の支持を受けていた。国連安全保障理事会は決議1267号において、国際的にテロリズムを支援したこと、およびテロリストキャンプのネットワークを運営したことに関してオサマ・ビン・ラディンを非難し、タリバンに対しては、彼を司法の場に出廷させるべく、これ以上の遅延なくその身柄を譲渡することを要求した。
18.1998年東アフリカにおける爆破事件について、オサマ・ビン・ラディンおよびアル・カイーダに責任があることを示す、合衆国が提示した証拠があるにもかかわらず、そしてさらなる残虐行為の脅威を正確に予見できたにもかかわらず、さらにはまた、国連の要求があったにもかかわらず、タリバン政権は、オサマ・ビン・ラディンを有罪とする証拠が存在しなかったとし、ビン・ラディンもそのネットワークのどちらも追放することはないと答えている。
19. アフガニスタンのある元政府高官がタリバンおよびオサマ・ビン・ラディンについてこう書いている。「同じコインの裏と表だ。オサマはタリバンのないアフガニスタンで存在することはできないし、タリバンもオサマなしでは存在することができない。」
これは メッセージ 105540 (serpent_owl さん)への返信です.
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