1994年朝鮮危機と細川護煕という男②
投稿者: orangetealipton 投稿日時: 2010/01/25 12:26 投稿番号: [78 / 88]
1993年8月9日
細川護煕連立内閣成立。
同年秋
四省庁会議、この頃より始まる。
石原官房副長官を中心に、内閣安保室・外務省・防衛庁・警察庁により、内密につくられた。
この前身は、政策立案の無い情報交換・分析の場としての「合同情報会議」で、後藤田正晴官房長官時代の1986年に創設されたもの。
合同情報会議は首相官邸で継続的に開かれていたが、四省庁会議は、官邸から通りを隔てた総理府内で内密に開かれた。
官邸は、政治家や記者が大勢いて、察知される危険があった。
政府は終始一貫「情報は収集しているが、政府として公式に具体策の検討はしていない。各省庁が、自分の所管の範囲内で検討しているだけ」
として、四省庁会議の存在を伏せてきたのには、
二つの理由があった。
一つ
細川連立政権で与党になった社会党が伝統的に北朝鮮寄りの政策をとっており、
「政府が北朝鮮を危険視するような対応を検討すれば、連立政権の枠組みが崩れかねない」(政府関係者)という懸念があった。
一つ
日本の北朝鮮対応検討が表に出ると北朝鮮を刺激する、という外交上の配慮があった。
これは メッセージ 77 (orangetealipton さん)への返信です.
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