第二次朝鮮戦争

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1994年朝鮮危機と細川護煕という男①

投稿者: orangetealipton 投稿日時: 2010/01/25 12:16 投稿番号: [77 / 88]
1993年(平成5年)1月
米クリントン政権誕生。

同年3月12日
北朝鮮、「NPT(核不拡散条約)からの脱退」宣言。

NPTからの脱退は、IAEAなどへの通知から三か月後に有効となり、
「非核兵器国が核兵器の製造も取得もしない」との縛りから自由になる。

この直後、
統合幕僚会議議長佐久間一(まこと)が第五幕僚室(統合防衛計画の作成担当部署)に対し、朝鮮半島危機の対策研究を命じる。

同年5月末
北朝鮮、日本海に向けて、中距離ミサイル・ノドンの発射実験に成功。

同年6月11日
石原官房副長官の発言
「北朝鮮はミサイルを試射して、500キロ先の目標にかなり正確に当てています。射程は1000キロで、大阪が入ります。核弾頭をつけて飛ばせば、広島の何百倍も強力な攻撃ができることになります」

と、米情報機関からもたらされた秘密情報、5月末の中距離弾道ミサイルの発射実験を漏らし、

日本国民の危機感覚の欠如に警鐘を鳴らす。

同年6月
統合幕僚会議議長西元徹也(佐久間の後任)、畠山蕃防衛事務次官と相談の上、朝鮮半島危機の対策研究に参加するメンバ―を統幕全体に広げ、より詳細な内容の検討に入る。
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