神風特別攻撃隊

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ご立派敵前逃亡

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2010/01/16 17:50 投稿番号: [547 / 555]
「フィリピンに赴任した冨永某はフィリピン決戦において陸軍初の航空特別攻撃隊の出撃命令を出すこととなる。生存者によると特攻前になると一升瓶をぶら下げて現れては訓示を垂れるしか能のない司令官だったという。

特攻隊出撃前の訓示では「諸君はすでに神である。君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する」と言い、一方で帰還した特攻隊員は容赦なく罵倒して62回にわたって約400機の特攻を命令しパイロット達を全員戦死させた。

こうして戦勢の不利が明白となった1945年(昭和20年)1月16日、マニラから引き上げてきた司令部要員の大半をエチャーゲの南5キロにあるサンチャゴに足止めし、その間に司令官・参謀などの高級将校たちは残り少ない戦闘機を駆り出して護衛を命じ、フィリピンのエチャーゲ南飛行場から台湾台北へと続々と逃亡した。

積み荷はウィスキーと芸者たちであったという。約1万の第4航軍の残存将兵は地上部隊に編成替えされ脆弱な歩兵部隊となってその大半が戦死した。

その後、冨永某は胃潰瘍の診断書を提出して温泉療養に専念し十分に英気を養った。2月13日、大本営は第4航空軍司令部の解体を発令した。太平洋戦争においてはマッカーサーも敵軍を前にしてコレヒドール島から脱出しているが、マッカーサーの脱出はルーズベルト大統領の正式な命令を受けたものであるのに対して富永某の台湾への移動は一応口実をつけてはいたものの、上官である第14方面軍司令官の山下奉文大将にも無断でおこなわれるなど明らかに軍規違反であり、軍規に則れば銃殺刑の敵前逃亡であった。

本来であれば軍法会議が行われるべきところ暫く何の処分も下されなかったが、流石に陸軍中央でも問題になり、1945年2月23日待命、5月5日予備役編入の処置がとられた。

しかし、「死ぬのが怖くて逃げてきた人間を予備役にして戦争から解放するのはおかしいのではないか」という声があり、7月に召集し、第139師団の師団長として満州の敦化(とんか)に赴かせた。

この部隊は関東軍の主力が南方に転出した後の穴埋め用根こそぎ動員部隊の一つである。8月、ソ連参戦、そして終戦ののち富永某はシベリアのハバロフスク収容所に抑留され、1955年(昭和30年)4月18日、引揚船「興安丸」で舞鶴港に帰国している。」
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