神風特攻隊

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武寧王は倭人です。

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n_d 投稿日時: 2008/04/05 16:34 投稿番号: [245 / 1528]
>「二〇〇一年の十二月二十三日、六十八歳の誕生日を迎えられた天皇は、記者会見で皇室の祖先が半島と関連あることを初めて語られ、大きなニュースとして伝わりました。

「朝鮮王箕準」が渤海北岸の秦皇島付近にあった「朝鮮」を燕から亡命した「衛満」に騙し取られて半島に逃げてきたのが「前漢」代です。
しかし「倭人」が「日本列島」やさらに「朝鮮南岸部」に拠点を置いたのはそのはるか以前の「周代初め」です。
つまり、半島(特に加羅)南岸部の倭人と天皇は確かにゆかり(関連)がありますが、「朝鮮人」は関係ありません。

(朝鮮人が、後からやってきたにもかかわらず根拠無く「自分が起源である」と主張する性格は数千年前でも変わっていないだけです)


>まあ、百済人も朝鮮人も、日本の東京人と大阪人くらいしかかわらんでしょう。

要するに、「日本人」でも「チャイニーズ」でも「アメリカ人」でも、半島にいれば「東京人と大阪人くらいしかかわらん」というわけですね。


さらに「武寧王」がいわゆる「百済王家の百済人」であるかが問題です。

武寧王 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AF%A7%E7%8E%8B
「和(倭   やまと)氏」の祖先である武寧王とは

・百済の昆伎王が倭国に人質として派遣される際、なぜかすでに「子が生まれたら送り返す」手はずになっており、筑紫の各羅嶋まで来たところ一児が生まれたので送り返された「日本生まれの嶋(しま)君」が「武寧王」です。

・「百済の末多王が暴虐であったので、百済の国人は王を殺し、嶋王を立てて武寧王とした」としており、すなわち武寧王権は「同じ百済王家をなぜかクーデターで倒して」誕生した王権です。

・百済王家のルーツは遼西にあった夫余国ですが、鮮卑族に敗れて王は自決し王子は百名余とともに夜間に白狼河を渡り「遼東の倭人の地」にたどり着きます。倭人はその不運の王を大いに支えてともに半島に百済を建てたことが記されています。

・つまり百済人とは「王家のごく一部」以外、臣も含めほとんどが倭人です。

・その百済人(倭人)がクーデターで「暴虐であった百済王」を殺して「武寧王権を建てた」もので、これは「王家も国人も倭人の国になった」ことを意味します。

・しかし武寧王の死後、旧百済王勢力が取り返してしまい、「武寧王の末裔たち」は日本に帰化して「倭(やまと)氏」になります。

・武寧王陵の棺材は日本にしか自生しないコウヤマキであり「武寧王の魂も日本とともにある」ことを示しています。


結論として「武寧王」およびその末裔である「和(倭   やまと)氏」は「倭人」と言うことです。
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