『アジアの歴史』で使われた「シナ」・参
投稿者: sinagakusya_sinologist 投稿日時: 2007/07/02 11:13 投稿番号: [62 / 284]
49〜50頁
>群雄の割拠から三国時代(西紀後二二〇−二六五)が導かれた。
このとき、華北の伝統ある地域を占めた魏に対して、南方の揚子江方面には二つの国が起こっている。
上流の蜀と下流の呉がそれであった。
……………………………………(中略)…………………………………………
揚子江流域は、その中・下流域においても同様に非漢人地域に属した。
……………………………………(中略)…………………………………………
秦の統一にとって、楚の併合(西紀前二二三年)は、実に大きな意味をもつが、
秦はこれを踏台として珠江の流域にいた越人を征服し、南方海上への玄関口と、
南海貿易の市場を掌中に収めたのであった。現在の広東港の起源である。
黄河・揚子江・珠江の三大河を含めるシナという概念は、こうして作られたわけである。
……………………………………(中略)…………………………………………
(黄河と揚子江の両区域を区分する「秦嶺【しんれい】=淮河【わいが】線」について)
この一線の北側(華北)では、気候は乾燥し、いわゆる寡雨地帯であるのに、
南側の華南(正しく表現すれば華中・華南)には適雨ないし多雨の国土が拡がり、
乾燥シナ(Dry China)と湿潤シナ(Wet China)の対立が明瞭である。
……………………………………(中略)…………………………………………
北は畑作農耕が建前となり、南は稲作農耕を主とし、「麦のシナ」と「米のシナ」とが、
この一線で区分されていた。<
これは メッセージ 61 (sinagakusya_sinologist さん)への返信です.
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