ついに本性をあらわした!< カルデロン一
投稿者: mou_unzari2008 投稿日時: 2009/04/16 15:36 投稿番号: [48 / 116]
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娘さんを単身日本に残したのはそーゆー目論見があったからなのですね?わかりやすすぎる。。
「のり子が日本に帰化した暁には我々にも永住許可を与えてほしい」とカルデロン夫妻
【マニラ】フィリピン -- フィリピン人のカップル、アラン・カルデロンさんとサラ・カルデロンさんは15年間以上に渡って入国管理局からの目から逃れ続けてきました。夫妻は1993年に偽造パスポートを使用し日本に不法入国しました。
アランさん36歳、サラさん38歳の二人は日本の法律から永久に逃れられると考えていましたが、夫妻はついに身分がばれ入管に捕まりました。月曜日の夜、13歳になる娘を残してカルデロン夫妻は日本から強制送還されました。
アランさんとサラさんは、日本生まれの娘が学校で勉強を続けられるように永住許可を嘆願してきました。日本政府はのり子さんに対して人道的観点から滞在を許可し、両親に対しては自発的に帰国する事に同意しなければ、一家3人を強制送還すると、何週間も前から警告を出していました。
成田空港のインタビューで、夫妻は、
「日本の親戚の下に預けた娘と共にまた暮らせるように日本に戻る事を望んでいる」
と答えました。アランさんとサラさんは戸籍に記載されているマニラに(Tondo)に戻りました。
夫妻は、観光ビザを取得できるように、(すなわち日本の政府が夫妻に再入国を許すまで)当面の最初の課題は仕事を見つける事だと話しています。
また、アランさんは、自分たちの名前が入管のブラックリストに含まれていなかったと言いました。
のり子さんは現在、彼らが住んでいた埼玉県にある中学校の二年生です。 「私は悲しいのです・・・」と、のり子さんは以前、東京の北にある埼玉県の蕨市の彼らの自宅でレポーターに答えました。
「手作りのお母さんのお弁当が食べられないのはすごく寂しいです・・・」 先週の月曜日に成田空港で記者のリポーター陣に囲まれながらインタビューに答えたと公共放送のNHKは報じました。
日本語しか話せないのり子さんは、日本人のビジネスマンと結婚したカルデロンの義理の姉妹にあたる親戚の下に預けられました。既に、のり子さんには在留特別許可を与えられ日本に滞在することが許されています。
アランさんは日本の警官が家に来て私たちを逮捕した際はとても驚いたと、その時の事をふり返ります。
『ある日、3人の日本の警察官が家にやってきて、「逮捕する。オーバーステイについて尋問する。」と私達に告げました』と、アラン
さんはタガログ語で話しました。
彼はほとんど英語を話せませんが、日本語は流暢に話すことができます。アランさんは日本語が上手なだけではなく、外見も日本人に見えます。(横目で色白な肌、角刈りの髪にやぶのような眉毛)
彼はどのようにして入管にばれたかについては詳細を明らかにせず、同胞のフィリピン人による密告による可能性を否定しました。
「だれも我々を密告しませんでした。日本当局の効果的な捜査の結果だと思います」と彼は言いました。
夫妻は1933年に日本にやってきて、最初はサラさんが親類の助けと共に様々な商品を販売しそして、アランさんは建設会社で働きました。「何故、のり子さんはタガログ語を話す事を学ばなかったのか」との質問に話が及ぶと、アランさんは、「教えようと試みたが娘は日本語を話すことを選択したのだ」と言いました。
「我々は我々の言語をのり子に教えようとしたが、彼女はそれのいずれも持っていないでしょう。」 「そして、のり子が家から外出すれば、彼女の友人と級友は皆、日本人です。」と、アランさんは説明しました。
アランさんとサラさんは、「娘が日本に帰化することが認められるかどうか確かなことは今は判らないが、我々はのり子が16歳か18歳になれば日本に戻って一緒に住むことになるだろうと思う」と言いました。
夫妻は、のり子さんが日本に帰化した場合、彼女が日本政府に対して、両親にも永住許可を与えてほしいと陳情してくれることを望んでいます。
このカルデロンケースは日本で大きな注目を集め報道されました。そして、2万人以上の人が一家3人の日本での在留を認めて欲しいと署名しました。また、このケースはアムネスティ・インタナショナルと国連人権委員会の注意を引き付けました。(日本政府に対して質問書を提出しました)。
しかし、移住事柄を担当する森英介法務大臣は、政府がこの家族を助けるために最善を尽くしたと言いました。
http://www.philstar.com/Article.aspx?articleId=457711&publicationSubCategoryId=202
ソース:The Philippine Star
「のり子が日本に帰化した暁には我々にも永住許可を与えてほしい」とカルデロン夫妻
【マニラ】フィリピン -- フィリピン人のカップル、アラン・カルデロンさんとサラ・カルデロンさんは15年間以上に渡って入国管理局からの目から逃れ続けてきました。夫妻は1993年に偽造パスポートを使用し日本に不法入国しました。
アランさん36歳、サラさん38歳の二人は日本の法律から永久に逃れられると考えていましたが、夫妻はついに身分がばれ入管に捕まりました。月曜日の夜、13歳になる娘を残してカルデロン夫妻は日本から強制送還されました。
アランさんとサラさんは、日本生まれの娘が学校で勉強を続けられるように永住許可を嘆願してきました。日本政府はのり子さんに対して人道的観点から滞在を許可し、両親に対しては自発的に帰国する事に同意しなければ、一家3人を強制送還すると、何週間も前から警告を出していました。
成田空港のインタビューで、夫妻は、
「日本の親戚の下に預けた娘と共にまた暮らせるように日本に戻る事を望んでいる」
と答えました。アランさんとサラさんは戸籍に記載されているマニラに(Tondo)に戻りました。
夫妻は、観光ビザを取得できるように、(すなわち日本の政府が夫妻に再入国を許すまで)当面の最初の課題は仕事を見つける事だと話しています。
また、アランさんは、自分たちの名前が入管のブラックリストに含まれていなかったと言いました。
のり子さんは現在、彼らが住んでいた埼玉県にある中学校の二年生です。 「私は悲しいのです・・・」と、のり子さんは以前、東京の北にある埼玉県の蕨市の彼らの自宅でレポーターに答えました。
「手作りのお母さんのお弁当が食べられないのはすごく寂しいです・・・」 先週の月曜日に成田空港で記者のリポーター陣に囲まれながらインタビューに答えたと公共放送のNHKは報じました。
日本語しか話せないのり子さんは、日本人のビジネスマンと結婚したカルデロンの義理の姉妹にあたる親戚の下に預けられました。既に、のり子さんには在留特別許可を与えられ日本に滞在することが許されています。
アランさんは日本の警官が家に来て私たちを逮捕した際はとても驚いたと、その時の事をふり返ります。
『ある日、3人の日本の警察官が家にやってきて、「逮捕する。オーバーステイについて尋問する。」と私達に告げました』と、アラン
さんはタガログ語で話しました。
彼はほとんど英語を話せませんが、日本語は流暢に話すことができます。アランさんは日本語が上手なだけではなく、外見も日本人に見えます。(横目で色白な肌、角刈りの髪にやぶのような眉毛)
彼はどのようにして入管にばれたかについては詳細を明らかにせず、同胞のフィリピン人による密告による可能性を否定しました。
「だれも我々を密告しませんでした。日本当局の効果的な捜査の結果だと思います」と彼は言いました。
夫妻は1933年に日本にやってきて、最初はサラさんが親類の助けと共に様々な商品を販売しそして、アランさんは建設会社で働きました。「何故、のり子さんはタガログ語を話す事を学ばなかったのか」との質問に話が及ぶと、アランさんは、「教えようと試みたが娘は日本語を話すことを選択したのだ」と言いました。
「我々は我々の言語をのり子に教えようとしたが、彼女はそれのいずれも持っていないでしょう。」 「そして、のり子が家から外出すれば、彼女の友人と級友は皆、日本人です。」と、アランさんは説明しました。
アランさんとサラさんは、「娘が日本に帰化することが認められるかどうか確かなことは今は判らないが、我々はのり子が16歳か18歳になれば日本に戻って一緒に住むことになるだろうと思う」と言いました。
夫妻は、のり子さんが日本に帰化した場合、彼女が日本政府に対して、両親にも永住許可を与えてほしいと陳情してくれることを望んでいます。
このカルデロンケースは日本で大きな注目を集め報道されました。そして、2万人以上の人が一家3人の日本での在留を認めて欲しいと署名しました。また、このケースはアムネスティ・インタナショナルと国連人権委員会の注意を引き付けました。(日本政府に対して質問書を提出しました)。
しかし、移住事柄を担当する森英介法務大臣は、政府がこの家族を助けるために最善を尽くしたと言いました。
http://www.philstar.com/Article.aspx?articleId=457711&publicationSubCategoryId=202
ソース:The Philippine Star
これは メッセージ 1 (drawer_chest さん)への返信です.