「ユダヤ国家のパレスチナ人」グロスマン①
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2005/07/20 22:20 投稿番号: [9397 / 20008]
「ユダヤ国家のパレスチナ人」デイヴィッド・グロスマン(1992刊)(晶文社)①
著者は、イスラエルのユダヤ人作家。
イスラエル国籍を持つ、パレスチナ系イスラエル人、
つまり、イスラエル国内のパレスチナ人へのインタビュー集。
さまざまなタイプの人達が登場する。
本書は1992年に発刊された。13年前の著作だ。
その間に実にさまざまなことが生起した。
しかし、本書の本質的な意義は少しも色あせていないと思う。
細かい数値には、その後変動がある程度だと思う。
13年経っても本書の意義が少しも損なわれていないということ自体が
問題だと言えるかもしれない。
イスラエルの人口の約2割はアラブ人だ。
イスラエル国籍を持つアラブ人。
イスラエル・パレスチナ人は、約120万人。
彼らの納める税金は、イスラエル軍の費用にもなる。
イスラエル国内でイスラエル国籍を持つパレスチナ人。
西岸・ガザ地区のパレスチナ人。
この両者の間には、同一性と区別性が存在する。
その区別性は、決して小さくはないということを学んだ。
数十年間も全く異なる政治体制の中で生き、成長してきたのだから、
それは当然のこととも言える。
全く異なる政治システム、価値体系、価値意識、日々の生活、教育制度、
市民社会、日々聴く音楽さえ違う。
もちろん同一性も大きい。
例えば、インティファーダには連帯した。
ただし、経済的、精神的連帯に限定されていたが。
例えば、こんなエピソードが記載されている。
イスラエルでアラブ人女性の人権団体を立ち上げた進歩的女性が、
西岸ナブルスの叔母の家に泊まっていた時、占領軍に協力する者を取り調べる
現場に出くわした。「ねえ、調べるのはいいことだわ」と声を掛けた。
イスラエル軍が路地に入って来た時、短刀でその少年を刺し殺した。
「ただ兵隊が来たので殺したわけ。ちっとも調べもしないで、みんな逃げて
しまった」
イスラエルで民主主義的価値観で成長してきたこの女性には、
こんな非民主主義的なことは許容できないのだろう。
どうも西岸・ガザの同胞の価値観、考え方、感じ方に違和感を覚えるのだろう。
イスラエルでは二級市民として扱われる彼らだが、
西岸・ガザのような極貧の生活を送っている訳ではない。
インフラ、医療制度、教育制度、地方自治体選挙等々が異なる。
アラブ人首長の地方自治体も多い。
それなりに豊かな生活をわざわざ失いたいとは思わない。
西岸・ガザの同胞には経済的支援は行っている。
イスラエル軍による蹂躙を受けたいとは思わない。
イスラエル軍の検問は非人間的だと心底思う。
西岸・ガザで、日々、検問所で何時間も待たされる同胞には、
心底同情するが、自分がそういう目に遭いたいとは思わない。
また、西岸・ガザの人々による侮蔑・軽蔑の念も強いようだ。
「48年組」と見下している者も多かった。
そういう風潮も確かに、しかもかなり強く存在するようだ。
侮蔑とコンプレックスという基本的二要因。
自国イスラエル政府とも、またパレスチナの同胞とも、
齟齬をきたしているのも事実のようだ。
そういう二重の矛盾の中で日々生活している。
その精神構造とは、どういうものなのだろうか。
筆者は書いている。
「一時間でも彼らの立場に、彼らの境遇に身を置いてみれば必ずわかったことだ」
そうなのだ。
我が身を移し入れようとしさえすれば、色々と見えてくるものがある筈なのだ。
彼らは、ただ為すがままにされ、受動的に生きているだけではない。
その置かれている状況に踏まえ、反政府の武力闘争は行わず、
合法的な活動のみに限定して、自制的に活動している。
イスラエルの地方自治体選挙を通して、
アラブ人首長の地方自治体も多く生み出されている。
それで、自己安住している訳でもない。
満たされたものと、満たされないもの。
同胞との埋め難い深い溝。
イスラエル独立宣言に書かれている
「イスラエル国家のアラブ人住民が平和な生活を維持し、あらゆる組織や機関で
完全にして平等な市民権としかるべき代表権があるものとする」という
文言実現に向けて努力しているとも言える。
現実的な選択を採っている。
本質的解決とは何かという深い実存的問い掛けを続けながら。
著者は、イスラエルのユダヤ人作家。
イスラエル国籍を持つ、パレスチナ系イスラエル人、
つまり、イスラエル国内のパレスチナ人へのインタビュー集。
さまざまなタイプの人達が登場する。
本書は1992年に発刊された。13年前の著作だ。
その間に実にさまざまなことが生起した。
しかし、本書の本質的な意義は少しも色あせていないと思う。
細かい数値には、その後変動がある程度だと思う。
13年経っても本書の意義が少しも損なわれていないということ自体が
問題だと言えるかもしれない。
イスラエルの人口の約2割はアラブ人だ。
イスラエル国籍を持つアラブ人。
イスラエル・パレスチナ人は、約120万人。
彼らの納める税金は、イスラエル軍の費用にもなる。
イスラエル国内でイスラエル国籍を持つパレスチナ人。
西岸・ガザ地区のパレスチナ人。
この両者の間には、同一性と区別性が存在する。
その区別性は、決して小さくはないということを学んだ。
数十年間も全く異なる政治体制の中で生き、成長してきたのだから、
それは当然のこととも言える。
全く異なる政治システム、価値体系、価値意識、日々の生活、教育制度、
市民社会、日々聴く音楽さえ違う。
もちろん同一性も大きい。
例えば、インティファーダには連帯した。
ただし、経済的、精神的連帯に限定されていたが。
例えば、こんなエピソードが記載されている。
イスラエルでアラブ人女性の人権団体を立ち上げた進歩的女性が、
西岸ナブルスの叔母の家に泊まっていた時、占領軍に協力する者を取り調べる
現場に出くわした。「ねえ、調べるのはいいことだわ」と声を掛けた。
イスラエル軍が路地に入って来た時、短刀でその少年を刺し殺した。
「ただ兵隊が来たので殺したわけ。ちっとも調べもしないで、みんな逃げて
しまった」
イスラエルで民主主義的価値観で成長してきたこの女性には、
こんな非民主主義的なことは許容できないのだろう。
どうも西岸・ガザの同胞の価値観、考え方、感じ方に違和感を覚えるのだろう。
イスラエルでは二級市民として扱われる彼らだが、
西岸・ガザのような極貧の生活を送っている訳ではない。
インフラ、医療制度、教育制度、地方自治体選挙等々が異なる。
アラブ人首長の地方自治体も多い。
それなりに豊かな生活をわざわざ失いたいとは思わない。
西岸・ガザの同胞には経済的支援は行っている。
イスラエル軍による蹂躙を受けたいとは思わない。
イスラエル軍の検問は非人間的だと心底思う。
西岸・ガザで、日々、検問所で何時間も待たされる同胞には、
心底同情するが、自分がそういう目に遭いたいとは思わない。
また、西岸・ガザの人々による侮蔑・軽蔑の念も強いようだ。
「48年組」と見下している者も多かった。
そういう風潮も確かに、しかもかなり強く存在するようだ。
侮蔑とコンプレックスという基本的二要因。
自国イスラエル政府とも、またパレスチナの同胞とも、
齟齬をきたしているのも事実のようだ。
そういう二重の矛盾の中で日々生活している。
その精神構造とは、どういうものなのだろうか。
筆者は書いている。
「一時間でも彼らの立場に、彼らの境遇に身を置いてみれば必ずわかったことだ」
そうなのだ。
我が身を移し入れようとしさえすれば、色々と見えてくるものがある筈なのだ。
彼らは、ただ為すがままにされ、受動的に生きているだけではない。
その置かれている状況に踏まえ、反政府の武力闘争は行わず、
合法的な活動のみに限定して、自制的に活動している。
イスラエルの地方自治体選挙を通して、
アラブ人首長の地方自治体も多く生み出されている。
それで、自己安住している訳でもない。
満たされたものと、満たされないもの。
同胞との埋め難い深い溝。
イスラエル独立宣言に書かれている
「イスラエル国家のアラブ人住民が平和な生活を維持し、あらゆる組織や機関で
完全にして平等な市民権としかるべき代表権があるものとする」という
文言実現に向けて努力しているとも言える。
現実的な選択を採っている。
本質的解決とは何かという深い実存的問い掛けを続けながら。
これは メッセージ 7223 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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