adventureoftheultraworldさん
投稿者: abutouma 投稿日時: 2004/10/08 23:00 投稿番号: [7987 / 20008]
Adventureoftheurtraworldさん
このトピでは情報を紹介するだけで論争には参加しないつもりでした。しかし、通常とてもバランスのとれた状況認識に基づく貴兄の投稿は、このトピに参加されている方々に対し一定の影響力があるようですので、一点指摘させていただきます。
第7985番で書かれた
>第1のナクバのときは、国連の調停案を「不公平」と蹴飛ばして、「あいつらはまだ国も出来ていない。こちらは周辺アラブ諸国の軍隊があるわい。武力で潰したれ」って読みで攻め込んだ。
で、返り討ちにあって、大勢が故郷を失う「大破局(ナクバ)」となってしまった。
この部分です。
1947年11月の国連パレスチナ分割決議案に関して、
「ユダヤ側は受諾したが、アラブ側は拒否した。このため第一次パレスチナ戦争が勃発、パレスチナ難民が発生した」
という俗説は、イスラエルのプロパガンダであり、歴史的事実ではありません。
分割決議が採択されてから、1948年5月15日のイスラエルが独立宣言し、アラブ諸国軍が介入するまでの事情は、そんなに単純ではありません。
イスラエル(当時はまだ政府にはなっていませんでしたが)側のベン・グリオンが、決議受諾を発表したのは事実です。しかし、それはあくまでも戦術であって、実際にはハガナは3月から4月にかけて、ガリラヤ地方を中心に、分割決議案でパレスチナ国家領土に指定された地域で、広範な軍事活動を展開していました(ダレット作戦)。デイル・ヤシンの虐殺事件で有名なシュテルンやイルグンなどの非正規兵だけでなく、ハガナも明らかに「パレスチナ国家」に指定された地域からアラブを追い出す、つまり民族浄化政策を進めていました。大量のパレスチナ難民が発生したのはこの時期であり、アラブ諸国軍介入後ではありません。
一方、アラブ側も事情は複雑でした。
パレスチナ民族主義のアラブ高等委員会は、指導者ハッジ・アミーン・アル・フセイニが亡命中で、リーダーシップをとれなかった。一方、アラブ諸国は独立したばかりで、正規軍の装備も練度も、士気も何もかも低かったから、諸国の首脳は正直なところ、介入したくなかった。それで、とりあえずアラブ諸国の義勇兵部隊「アラブ解放軍」を送り込んで戦わせていたが、この部隊はパレスチナ人のゲリラ組織と仲が悪く、効果的に戦えなかった。アラブ諸国軍の中で、唯一まともな装備を揃えていたのは、英国仕込みのトランス・ヨルダンの「アラブ軍団(指揮官も英国人のグラブ・パシャ)」だったが、アブダッラー国王は既にベン・グリオンらと密約を交わしていました。
「パレスチナ民族主義者に国家を作らせないために、イスラエルとトランス・ヨルダンでパレスチナを分割する」
という密約です。
4月にパレスチナ・ゲリラ最大組織の「ジハード・アル・ムカッダス」のリーダー、アブドル・カーデル・フセイニがカステルの戦いで戦死し、パレスチナ人による武装抵抗は崩壊、難民が続々とアラブ諸国に流出した。しかもイスラエルとともにパレスチナ分割支配をもくろむアブダッラー国王の「アラブ軍団」が、英国軍撤退の5月15日を機に、パレスチナへ侵攻するという。
この状況に至って、エジプト軍やシリア軍も介入せざるを得なくなったのです。これ以上、難民が出ないように。また、アブダッラーに好き勝手なことをさせないように。
アラブ諸国が、軍事力でイスラエルに勝てると思って攻撃したわけではありません。むしろ、対応を決めかねるうちに、状況に引きずられて介入せざるを得なくなったというのが事実です。
このあたりの経緯については、シムハ・フラパンなどイスラエルの左派や、最近ではベニー・モリスなど、いわゆる「修正主義」歴史家が、冷静に検証し、
「アラブが戦争を仕掛けて返り討ちにあった」
というイスラエルの主張がプロパガンダに過ぎないと論証しています。
貴兄の投稿はいつも興味深く拝読させていただいており、ほとんどの内容に同意いたしますが、こんにちの問題の起源であるナクバについては、俗説ではなく、事実を踏まえていただきたいと思うので注文させていただく次第です。
このトピでは情報を紹介するだけで論争には参加しないつもりでした。しかし、通常とてもバランスのとれた状況認識に基づく貴兄の投稿は、このトピに参加されている方々に対し一定の影響力があるようですので、一点指摘させていただきます。
第7985番で書かれた
>第1のナクバのときは、国連の調停案を「不公平」と蹴飛ばして、「あいつらはまだ国も出来ていない。こちらは周辺アラブ諸国の軍隊があるわい。武力で潰したれ」って読みで攻め込んだ。
で、返り討ちにあって、大勢が故郷を失う「大破局(ナクバ)」となってしまった。
この部分です。
1947年11月の国連パレスチナ分割決議案に関して、
「ユダヤ側は受諾したが、アラブ側は拒否した。このため第一次パレスチナ戦争が勃発、パレスチナ難民が発生した」
という俗説は、イスラエルのプロパガンダであり、歴史的事実ではありません。
分割決議が採択されてから、1948年5月15日のイスラエルが独立宣言し、アラブ諸国軍が介入するまでの事情は、そんなに単純ではありません。
イスラエル(当時はまだ政府にはなっていませんでしたが)側のベン・グリオンが、決議受諾を発表したのは事実です。しかし、それはあくまでも戦術であって、実際にはハガナは3月から4月にかけて、ガリラヤ地方を中心に、分割決議案でパレスチナ国家領土に指定された地域で、広範な軍事活動を展開していました(ダレット作戦)。デイル・ヤシンの虐殺事件で有名なシュテルンやイルグンなどの非正規兵だけでなく、ハガナも明らかに「パレスチナ国家」に指定された地域からアラブを追い出す、つまり民族浄化政策を進めていました。大量のパレスチナ難民が発生したのはこの時期であり、アラブ諸国軍介入後ではありません。
一方、アラブ側も事情は複雑でした。
パレスチナ民族主義のアラブ高等委員会は、指導者ハッジ・アミーン・アル・フセイニが亡命中で、リーダーシップをとれなかった。一方、アラブ諸国は独立したばかりで、正規軍の装備も練度も、士気も何もかも低かったから、諸国の首脳は正直なところ、介入したくなかった。それで、とりあえずアラブ諸国の義勇兵部隊「アラブ解放軍」を送り込んで戦わせていたが、この部隊はパレスチナ人のゲリラ組織と仲が悪く、効果的に戦えなかった。アラブ諸国軍の中で、唯一まともな装備を揃えていたのは、英国仕込みのトランス・ヨルダンの「アラブ軍団(指揮官も英国人のグラブ・パシャ)」だったが、アブダッラー国王は既にベン・グリオンらと密約を交わしていました。
「パレスチナ民族主義者に国家を作らせないために、イスラエルとトランス・ヨルダンでパレスチナを分割する」
という密約です。
4月にパレスチナ・ゲリラ最大組織の「ジハード・アル・ムカッダス」のリーダー、アブドル・カーデル・フセイニがカステルの戦いで戦死し、パレスチナ人による武装抵抗は崩壊、難民が続々とアラブ諸国に流出した。しかもイスラエルとともにパレスチナ分割支配をもくろむアブダッラー国王の「アラブ軍団」が、英国軍撤退の5月15日を機に、パレスチナへ侵攻するという。
この状況に至って、エジプト軍やシリア軍も介入せざるを得なくなったのです。これ以上、難民が出ないように。また、アブダッラーに好き勝手なことをさせないように。
アラブ諸国が、軍事力でイスラエルに勝てると思って攻撃したわけではありません。むしろ、対応を決めかねるうちに、状況に引きずられて介入せざるを得なくなったというのが事実です。
このあたりの経緯については、シムハ・フラパンなどイスラエルの左派や、最近ではベニー・モリスなど、いわゆる「修正主義」歴史家が、冷静に検証し、
「アラブが戦争を仕掛けて返り討ちにあった」
というイスラエルの主張がプロパガンダに過ぎないと論証しています。
貴兄の投稿はいつも興味深く拝読させていただいており、ほとんどの内容に同意いたしますが、こんにちの問題の起源であるナクバについては、俗説ではなく、事実を踏まえていただきたいと思うので注文させていただく次第です。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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