ガザで起きていること
投稿者: abutouma 投稿日時: 2004/07/20 06:28 投稿番号: [7823 / 20008]
19日の当地の新聞に出た論説と、それに対するコメントをHPにアップしましたのでよろしければ訪問して下さい。
http://www.geocities.jp/beirutreport/index.html
その部分だけコピーします。
今日マジャイデがパレスチナ(西岸・ガザ両地区)総合治安機関長官に復帰しましたが、依然としてムーサ・アラファトはガザ地区の同ポストを手放しておらず、これで状況が沈静化するかどうかはわかりません。
ダハラーンによるクーデター説(7月19日)
17日の記事で言及したヒルミ・ムーサは19日付けサフィール紙に、「ガザの事件はダハラーンがアラファトに対してしかけたクーデターである」との見出しで記事を書いている。要点をかいつまんで紹介すると、
・アラファトとダハラーンの関係は最近緊迫の度を増しつつあった。直接のきっかけは二つある。
・ひとつはダハラーンがスペインで開かれたシンポジウムに参加し、シュロモ・ベン・アミ・イスラエル前外相とイスラエル軍撤退後のガザの状況を協議したこと。
労働党所属のベン・アミは現在は閣僚でもなければ国会議員でさえない。しかし何しろアラファトはマドリード会議の裏でオスロ秘密交渉をやっていたような人物だから、潜在的なライバルの動きに極めて敏感だ。ダハラーンがベン・アミと「交渉」したことを、自分にとってかわろうとする行為だと受け止めた。そして10日前の指導部会議で、ダハラーンを「ガザの実権を握るためには祖国を売り渡してもいいという裏切り者」と罵倒した。
・ガザで最近数週間に実施されたファタハの選挙で、ダハラーン派が勝利を収め、アラファトはこの結果を公認しなかった。
・アラファトはダハラーンを抑えるため、非ファタハのパレスチナ組織との連絡をとり始めた。さらに、治安機関を統合しムーサ・アラファトをそのトップに据えることを決めた。
・ダハラーンはこれを知って、PSF(注:かつてダハラーンがガザ長官を務めていた。退任後は副官だったラシード・アブ・シュバークが長官に横滑りしており、今でもダハラーンの影響下にあると見られている)を用いてジャバーリ警察長官を誘拐させた。アラファト本人ではなく、ジャバーリやムーサ・アラファトを標的にするのは、パレスチナ革命のシンボルたるアラファトと正面から対決すれば勝ち目がないのをわきまえているからである。
なるほど、こう考えれば辻褄があう点もある。
例えばジャバーリの誘拐は、「ジェニン殉教者旅団」という聞いたこともないグループがやってのけた。仮にも自治政府の警察トップを白昼堂々と誘拐しているのだ。まったく無名の組織がそんな大それた作戦を実行出来るだろうか?さらに不思議だったのは、数時間後ジャバーリが解放された際、PSFがジャバーリを保護していると発表した点だ。ジャバーリの身柄がどうやって移されたのか経緯は不明である。これも、最初から誘拐者と解放者(保護者)が一体だと考えると納得いく。
しかし、ダハラーンとアラファトの暗闘であるという説明には以下のような疑問点もある。
・公的ポストを離れ一年になるダハラーンが果たしてまだそれほどの影響力を本当に保持しているのかどうか。西岸のマルワーン・バルグーティの場合もそうだったが、アラファトの最大のライバル・ダハラーンというイメージは、多分にメディアやイスラエルによって増幅されているのではないか。
・今回の騒動におけるアル・アクサ殉教者旅団の役割と位置づけは?元来、アル・アクサ殉教者旅団は主に西岸北部を中心に活動する小規模な武装集団の総称で、組織としてどれほどの実態を持っているのかさえ定かではない。また政治的にはアブ・マーゼンやダハラーンのような、米国、イスラエルが歓迎する改革派ではなく、アラファト議長やハマース、ジハードに近い立場をとってきた。ヒズボッラーやイランとの結びつきさえ疑われており、ダハラーンは一貫してアル・アクサ旅団のような民兵組織の弾圧・解体を主張してきたはずだ。そのアル・アクサ旅団が、今回は徹底して反ジャバーリ、反ムーサ・アラファトの動きを見せている。不自然ではないか?
アラファトとダハラーンの権力闘争と割り切れば、確かに説明はつきやすい。しかし、現実はそこまで単純ではなく、もっと様々な利害や思惑が絡まりあった、まさにカオスとしか表現出来ない状況が生まれているような気がしてならない。
http://www.geocities.jp/beirutreport/index.html
その部分だけコピーします。
今日マジャイデがパレスチナ(西岸・ガザ両地区)総合治安機関長官に復帰しましたが、依然としてムーサ・アラファトはガザ地区の同ポストを手放しておらず、これで状況が沈静化するかどうかはわかりません。
ダハラーンによるクーデター説(7月19日)
17日の記事で言及したヒルミ・ムーサは19日付けサフィール紙に、「ガザの事件はダハラーンがアラファトに対してしかけたクーデターである」との見出しで記事を書いている。要点をかいつまんで紹介すると、
・アラファトとダハラーンの関係は最近緊迫の度を増しつつあった。直接のきっかけは二つある。
・ひとつはダハラーンがスペインで開かれたシンポジウムに参加し、シュロモ・ベン・アミ・イスラエル前外相とイスラエル軍撤退後のガザの状況を協議したこと。
労働党所属のベン・アミは現在は閣僚でもなければ国会議員でさえない。しかし何しろアラファトはマドリード会議の裏でオスロ秘密交渉をやっていたような人物だから、潜在的なライバルの動きに極めて敏感だ。ダハラーンがベン・アミと「交渉」したことを、自分にとってかわろうとする行為だと受け止めた。そして10日前の指導部会議で、ダハラーンを「ガザの実権を握るためには祖国を売り渡してもいいという裏切り者」と罵倒した。
・ガザで最近数週間に実施されたファタハの選挙で、ダハラーン派が勝利を収め、アラファトはこの結果を公認しなかった。
・アラファトはダハラーンを抑えるため、非ファタハのパレスチナ組織との連絡をとり始めた。さらに、治安機関を統合しムーサ・アラファトをそのトップに据えることを決めた。
・ダハラーンはこれを知って、PSF(注:かつてダハラーンがガザ長官を務めていた。退任後は副官だったラシード・アブ・シュバークが長官に横滑りしており、今でもダハラーンの影響下にあると見られている)を用いてジャバーリ警察長官を誘拐させた。アラファト本人ではなく、ジャバーリやムーサ・アラファトを標的にするのは、パレスチナ革命のシンボルたるアラファトと正面から対決すれば勝ち目がないのをわきまえているからである。
なるほど、こう考えれば辻褄があう点もある。
例えばジャバーリの誘拐は、「ジェニン殉教者旅団」という聞いたこともないグループがやってのけた。仮にも自治政府の警察トップを白昼堂々と誘拐しているのだ。まったく無名の組織がそんな大それた作戦を実行出来るだろうか?さらに不思議だったのは、数時間後ジャバーリが解放された際、PSFがジャバーリを保護していると発表した点だ。ジャバーリの身柄がどうやって移されたのか経緯は不明である。これも、最初から誘拐者と解放者(保護者)が一体だと考えると納得いく。
しかし、ダハラーンとアラファトの暗闘であるという説明には以下のような疑問点もある。
・公的ポストを離れ一年になるダハラーンが果たしてまだそれほどの影響力を本当に保持しているのかどうか。西岸のマルワーン・バルグーティの場合もそうだったが、アラファトの最大のライバル・ダハラーンというイメージは、多分にメディアやイスラエルによって増幅されているのではないか。
・今回の騒動におけるアル・アクサ殉教者旅団の役割と位置づけは?元来、アル・アクサ殉教者旅団は主に西岸北部を中心に活動する小規模な武装集団の総称で、組織としてどれほどの実態を持っているのかさえ定かではない。また政治的にはアブ・マーゼンやダハラーンのような、米国、イスラエルが歓迎する改革派ではなく、アラファト議長やハマース、ジハードに近い立場をとってきた。ヒズボッラーやイランとの結びつきさえ疑われており、ダハラーンは一貫してアル・アクサ旅団のような民兵組織の弾圧・解体を主張してきたはずだ。そのアル・アクサ旅団が、今回は徹底して反ジャバーリ、反ムーサ・アラファトの動きを見せている。不自然ではないか?
アラファトとダハラーンの権力闘争と割り切れば、確かに説明はつきやすい。しかし、現実はそこまで単純ではなく、もっと様々な利害や思惑が絡まりあった、まさにカオスとしか表現出来ない状況が生まれているような気がしてならない。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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