再掲:パレスチナの現実(2)
投稿者: GivingTree 投稿日時: 2004/03/25 10:04 投稿番号: [7406 / 20008]
2.背後からの射殺
ゴム弾のように非人道的な兵器による残酷な殺戮もあれば、心ない兵士によってもたらされる突然の死もある。それが、背後からの射殺だ。これも、対象は18歳未満の子供の場合が多いそうだ。
イスラエル兵がいる道を通るとき、パレスチナの子供たちはつねに死と隣り合わせにいる。「今日は笑顔で見送ってくれた」と思った次の瞬間に、後ろから容赦なく撃ち殺されているというのが日常茶飯事だからだ。だがなぜ・・・。なぜ子供たちなのか。将来のテロリストだからか?なぜ自分の子供が!?
こういう訴えを、パレスチナYWCAは何人もの遺族から受けてきた。YWCAはクリスチャン組織である。だが、そんなことも構わずに、パレスチナ難民は自分たちの悲しい物語を聞いて欲しいと押し寄せる。話を聞いてもらいたいのだ。
YWCAはクリスチャン組織である。だが、そんなことも構わずに、パレスチナ難民は自分たちの悲しい物語を聞いて欲しいと押し寄せる。話を聞いてもらいたいのだ。YWCA側も、これらの訴えを快く迎え入れる。そして、そこにはムスリムとクリスチャンという宗教の枠を越えて悲しみを共有する空間がある。そこで語られる自分たちの家族の死に様の物語は・・・本当に聞いていて辛過ぎるものだそうだ。だが川端氏はこの話を日本に持ち帰り、生の現状を伝えてくれている。
訴えの中で、川端氏は18歳未満の学校に通う子供が、下校中に突然頭や背中を打ち抜かれて絶命する話を聞いたという。また学校の裏にある要塞からは常に帰り道に向けて大砲の砲身が設置されているという。つまり、背後から撃たれるだけでなく、砲撃されることもあるのだ。そして、実際に砲撃を受けて死亡した子供もいる。
学校とは、普通楽しいもの。みんなに会えて、遊べて、家では経験できないことを経験できる、子供にとってはかけがえのないもの(学校嫌いで登校拒否などをする日本の都会の子供たちはこの際置いておく)。それが、パレスチナの子供たちにとっては、常に死と隣り合わせになる恐怖の場所でしかないのだ。むろん、無事家や学校にたどり着けたときは、生還を祝う宴の場所ともなる。だが、その次の日に学校に行くとき、帰るときは、再びその恐怖と生きなければならないのだ。年齢に関わらず、どんな小さな子供でも、この恐怖を知りながら登下校を繰り返さなければならない。
living on edgeという言葉がある。アメリカのロックバンドAerosmithなども、「崖っぷちで生きている」などという意味として、この「リビング・オン・エッジ」という表現をさもカッコよく歌い上げる。そして、危険な生き方をしてる奴らは「エッジ」で生きていてカッコイイとする・・・ よく見てほしい。本当に崖っぷちで生きるのは、カッコイイとなんかではなく、生死に関わる問題なのである。そして、これがパレスチナの子供たちの、少なくとも1995年から変わらない現実なのだ。パレスチナの人々こそ、日々がliving on edgeなのだ。
これが、パレスチナのもう1つの現実である。
ゴム弾のように非人道的な兵器による残酷な殺戮もあれば、心ない兵士によってもたらされる突然の死もある。それが、背後からの射殺だ。これも、対象は18歳未満の子供の場合が多いそうだ。
イスラエル兵がいる道を通るとき、パレスチナの子供たちはつねに死と隣り合わせにいる。「今日は笑顔で見送ってくれた」と思った次の瞬間に、後ろから容赦なく撃ち殺されているというのが日常茶飯事だからだ。だがなぜ・・・。なぜ子供たちなのか。将来のテロリストだからか?なぜ自分の子供が!?
こういう訴えを、パレスチナYWCAは何人もの遺族から受けてきた。YWCAはクリスチャン組織である。だが、そんなことも構わずに、パレスチナ難民は自分たちの悲しい物語を聞いて欲しいと押し寄せる。話を聞いてもらいたいのだ。
YWCAはクリスチャン組織である。だが、そんなことも構わずに、パレスチナ難民は自分たちの悲しい物語を聞いて欲しいと押し寄せる。話を聞いてもらいたいのだ。YWCA側も、これらの訴えを快く迎え入れる。そして、そこにはムスリムとクリスチャンという宗教の枠を越えて悲しみを共有する空間がある。そこで語られる自分たちの家族の死に様の物語は・・・本当に聞いていて辛過ぎるものだそうだ。だが川端氏はこの話を日本に持ち帰り、生の現状を伝えてくれている。
訴えの中で、川端氏は18歳未満の学校に通う子供が、下校中に突然頭や背中を打ち抜かれて絶命する話を聞いたという。また学校の裏にある要塞からは常に帰り道に向けて大砲の砲身が設置されているという。つまり、背後から撃たれるだけでなく、砲撃されることもあるのだ。そして、実際に砲撃を受けて死亡した子供もいる。
学校とは、普通楽しいもの。みんなに会えて、遊べて、家では経験できないことを経験できる、子供にとってはかけがえのないもの(学校嫌いで登校拒否などをする日本の都会の子供たちはこの際置いておく)。それが、パレスチナの子供たちにとっては、常に死と隣り合わせになる恐怖の場所でしかないのだ。むろん、無事家や学校にたどり着けたときは、生還を祝う宴の場所ともなる。だが、その次の日に学校に行くとき、帰るときは、再びその恐怖と生きなければならないのだ。年齢に関わらず、どんな小さな子供でも、この恐怖を知りながら登下校を繰り返さなければならない。
living on edgeという言葉がある。アメリカのロックバンドAerosmithなども、「崖っぷちで生きている」などという意味として、この「リビング・オン・エッジ」という表現をさもカッコよく歌い上げる。そして、危険な生き方をしてる奴らは「エッジ」で生きていてカッコイイとする・・・ よく見てほしい。本当に崖っぷちで生きるのは、カッコイイとなんかではなく、生死に関わる問題なのである。そして、これがパレスチナの子供たちの、少なくとも1995年から変わらない現実なのだ。パレスチナの人々こそ、日々がliving on edgeなのだ。
これが、パレスチナのもう1つの現実である。
これは メッセージ 7403 (GivingTree さん)への返信です.
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