>経済圏構想
投稿者: r911911911 投稿日時: 2003/06/19 23:52 投稿番号: [5701 / 20008]
パレスチナ幹部/指導者のマテリアルワールドは、出所:adventureoftheultraworldさんで
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=bpjfa4lla5fa5m&sid=1143582&mid=157584
およびその続きを参照してください。
>常にパレスチナの為に命を懸けることをアピールしていかなければならないでしょう。
日本の武士道であれば「決意」表明に見合った「生き様」が主従関係にあっても求められていたかもしれませんが、パレスチナの過去の経緯/現状をみると、そのようなメカニズムでは動いていないと思います。たぶん、文化的/社会的には、多くの大衆はただ単に「見上げつつ拝聴し受け入れる」構図がかなり確立されてしまっていてそれが何年も続いている習慣にもなっている。そこに武士道的倫理はない。
>いつでも死ぬ覚悟ができているのでしょうから 案外 平気なのかもしれませんね。
当人はそうかもしれませんが、アラファト、ランティシあたりがいかに自分の家族だけは守り抜いているかという事実(向こうのネットには結構あります)と、その一方での「下の者」たちへの「子供の盾」の提供強要ぶりを、いくつか探られている「盗聴」などから知れば、やはり「転向に伴う家族の死のリスク」には平気ではいられないはず。
>中東をマーケットとして期待しようという提案ではなく。「中東を世界の工場に」という提案です。
失礼。そうなると、前に中東短歌で詠んだんですが(笑)……
イスラムになんで工場建てないのアララアララで効率悪し
であって、資本主義の原理原則、効率性重視の観点からは、とても魅力的な「工場」地帯とは思えない。少なくとも資本主義のカネは、決して政治では本質的かつ継続的には、動きません。
自己責任原則、"Competitive Edge"……です。日本の「空洞化」の発端となった東南アジアへの「製造現場」でさえ、その後中国が資本主義原則で投資可能となってくると、それらの日本企業の工場は東南アジアから再移転し、現地では期待を裏切られた深刻な影響が残っている。が、しかし、これはグローバル資本主義のゲームですから、国連やアムネスティや朝日・毎日新聞を批判するようには、それらの企業を批判するわけにもいかない…。
イスラム社会が中国以上に(設備)投資資金にとって魅力的な市場になることは、当面ないでしょう(特に池内恵氏を読んだあとではなおさらそう思います)。
五十五年を経てもまだ「国家」さえ持てない民族が(2度オファーされている)、国際社会の経済交流に参加しようというのは、失礼ながら十年早い。中東史の経緯からは、パレスチナには「約束を守る」ことの実行が不可欠。「殺すな、盗むな、嘘をつくな……」。
それさえできずに纏まりきれない民族に、リスク資金は回らない。国家樹立後に「認められ信頼される」という「テスト期間」を経なければ、一般世論の「気持ち」はともかく、「資本主義のカネ」がイスラム社会としてのパレスチナのリスクを取ることはあり得ません。
アラブ全体の経済規模の矮小さに加えてのパレスチナの実態からは、実は、工場立地に必要なリスク資金は莫大すぎます。そうしたカネで、国家樹立後に直面することになる「難民問題」は、金銭的には片付けてしまうことができるかもしれない。
「二つの民族、二つの国家」というロードマップの原則を「受諾」しそれを履行する以上、そうならざるを得ない。半世紀に亘って国家を拒否してきたことの、冷たい現実でもある。それをイスラム教徒は宗教的/民族的屈辱としか受け取らないでしょう。
カネで誇りを売り渡すというような受け取り方しか、多くの者たちはしない可能性のほうが高い。その履行に伴う「殉教」を引受ける者がどうしても必要だ。それこそが、ハマスらに求めるべき「平和的国際的貢献」に他ならないと思います。
外圧としての「ブッシュ」の登場は、おそらく半世紀の中では初めての「時の利」です。これが頓挫するということなら、もしかしたら、イスラム/パレスチナの半世紀に及ぶ自壊的な悪循環を絶ちきる「力」が内側からも必要だということだ。その際には、「殉教」が伴えばむしろ大衆にも受け入れられやすいのかもしれない。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=bpjfa4lla5fa5m&sid=1143582&mid=157584
およびその続きを参照してください。
>常にパレスチナの為に命を懸けることをアピールしていかなければならないでしょう。
日本の武士道であれば「決意」表明に見合った「生き様」が主従関係にあっても求められていたかもしれませんが、パレスチナの過去の経緯/現状をみると、そのようなメカニズムでは動いていないと思います。たぶん、文化的/社会的には、多くの大衆はただ単に「見上げつつ拝聴し受け入れる」構図がかなり確立されてしまっていてそれが何年も続いている習慣にもなっている。そこに武士道的倫理はない。
>いつでも死ぬ覚悟ができているのでしょうから 案外 平気なのかもしれませんね。
当人はそうかもしれませんが、アラファト、ランティシあたりがいかに自分の家族だけは守り抜いているかという事実(向こうのネットには結構あります)と、その一方での「下の者」たちへの「子供の盾」の提供強要ぶりを、いくつか探られている「盗聴」などから知れば、やはり「転向に伴う家族の死のリスク」には平気ではいられないはず。
>中東をマーケットとして期待しようという提案ではなく。「中東を世界の工場に」という提案です。
失礼。そうなると、前に中東短歌で詠んだんですが(笑)……
イスラムになんで工場建てないのアララアララで効率悪し
であって、資本主義の原理原則、効率性重視の観点からは、とても魅力的な「工場」地帯とは思えない。少なくとも資本主義のカネは、決して政治では本質的かつ継続的には、動きません。
自己責任原則、"Competitive Edge"……です。日本の「空洞化」の発端となった東南アジアへの「製造現場」でさえ、その後中国が資本主義原則で投資可能となってくると、それらの日本企業の工場は東南アジアから再移転し、現地では期待を裏切られた深刻な影響が残っている。が、しかし、これはグローバル資本主義のゲームですから、国連やアムネスティや朝日・毎日新聞を批判するようには、それらの企業を批判するわけにもいかない…。
イスラム社会が中国以上に(設備)投資資金にとって魅力的な市場になることは、当面ないでしょう(特に池内恵氏を読んだあとではなおさらそう思います)。
五十五年を経てもまだ「国家」さえ持てない民族が(2度オファーされている)、国際社会の経済交流に参加しようというのは、失礼ながら十年早い。中東史の経緯からは、パレスチナには「約束を守る」ことの実行が不可欠。「殺すな、盗むな、嘘をつくな……」。
それさえできずに纏まりきれない民族に、リスク資金は回らない。国家樹立後に「認められ信頼される」という「テスト期間」を経なければ、一般世論の「気持ち」はともかく、「資本主義のカネ」がイスラム社会としてのパレスチナのリスクを取ることはあり得ません。
アラブ全体の経済規模の矮小さに加えてのパレスチナの実態からは、実は、工場立地に必要なリスク資金は莫大すぎます。そうしたカネで、国家樹立後に直面することになる「難民問題」は、金銭的には片付けてしまうことができるかもしれない。
「二つの民族、二つの国家」というロードマップの原則を「受諾」しそれを履行する以上、そうならざるを得ない。半世紀に亘って国家を拒否してきたことの、冷たい現実でもある。それをイスラム教徒は宗教的/民族的屈辱としか受け取らないでしょう。
カネで誇りを売り渡すというような受け取り方しか、多くの者たちはしない可能性のほうが高い。その履行に伴う「殉教」を引受ける者がどうしても必要だ。それこそが、ハマスらに求めるべき「平和的国際的貢献」に他ならないと思います。
外圧としての「ブッシュ」の登場は、おそらく半世紀の中では初めての「時の利」です。これが頓挫するということなら、もしかしたら、イスラム/パレスチナの半世紀に及ぶ自壊的な悪循環を絶ちきる「力」が内側からも必要だということだ。その際には、「殉教」が伴えばむしろ大衆にも受け入れられやすいのかもしれない。
これは メッセージ 5699 (tmiya1960 さん)への返信です.
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