今週のわからん
投稿者: r911911911 投稿日時: 2003/06/14 22:37 投稿番号: [5601 / 20008]
http://www.nhk.or.jp/kdns/_wakaran/03/0607.html
中東和平の話し合い
'03/6/7 放送
6月4日、イスラエルとパレスチナの代表が、アメリカのブッシュ大統領と共に会談しました。どんなことが話し合われたのでしょうか。まずは、「中東問題」のいきさつから説明しましょう。
いまイスラエルという国があるあたりは、2000年ほど前までユダヤ教を信じるユダヤ人の王国があって、大勢のユダヤ人が住んでいました。しかし、王国が滅ぼされて、ユダヤ人たちは世界の各地にバラバラになって流れていきました。
その後、このあたりにはアラブ人が住むようになり、パレスチナと呼ばれるようになりました。
ユダヤ人のうち、ヨーロッパに移り住んだ人たちは、差別されたりいじめられたりしました。特に第二次世界大戦中には、ドイツによって600万人ものユダヤ人が殺されました。
戦争が終わって、ユダヤ人たちは、自分たちがこんな目にあうのは自分たちの国がないからだと考え、ユダヤ人の国をつくろうと考えました。2000年前に王国があったパレスチナに国をつくることにしたのです。ユダヤ教徒が信じる『旧約聖書』には、「神様がこの土地をユダヤ人に与える」と書いてあるからです。
ユダヤ人たちがひどい目にあったことを知った世界の人たちも、ユダヤ人に同情しました。
でも、パレスチナにはアラブ人が大勢住むようになっていました。ここにユダヤ人の国をつくったら混乱が起きます。そこで国連は、パレスチナに「ユダヤ人の国」と「アラブ人の国」をつくる案を決めました。エルサレムだけは、ユダヤ教を信じるユダヤ人にとっても、イスラム教を信じるアラブ人にとっても聖地なので、どちらかのものにしないで、国連が管理することにしました。
国連の案にもとづいて1948年、ユダヤ人たちはイスラエルという国をつくりました。
でも、まわりのアラブ人たちは、自分たちの土地に別の国ができたことに怒って、イスラエルを攻撃しました。これが「中東戦争」です。この戦争は、大きなものだけでも4回も続きました。この戦争の結果、イスラエルは、国連が決めた「アラブ人の国」の地域も全部占領してしまいました。
自分たちの土地から追い出されたアラブ人たちは、パレスチナに住んでいたので、パレスチナ人と呼ばれるようになりました。この人たちは、自分たちの国をつくりたいと考え、イスラエルと争いを続けてきました。この争いでも大勢の人が亡くなったり傷ついたりしたため、なんとか平和を築き上げたいと、10年前、話し合いが行われ、イスラエル軍が占領している土地のうち、パレスチナ人が多く住んでいるヨルダン川西岸地区とガザ地区をパレスチナ人たちに渡し、自分たちで政治をするようにしよう、ということになりました。この地区を「パレスチナ自治区」といいます。
しかし、ごく一部がパレスチナ人のものになっただけで、多くの場所に、まだユダヤ人が住んでいて、イスラエル軍もいます。
これに反発するパレスチナ人の中には、イスラエル国内で爆弾テロを起こす人もいて、またも大勢の人たちが犠牲になってきました。
この「中東問題」について、世界の多くの国がなんとかしたいと考えてきました。そして、アメリカ、ロシア、EU(ヨーロッパ連合)、それに国連が、「中東和平への指針」つまり「平和への道筋」をつくって、イスラエル、パレスチナの両方に、この案を認めるように求めたのです。
6月4日に行われた会議に出席したイスラエルの代表はシャロン首相で、パレスチナ側の代表は、アッバス首相です。パレスチナ側の代表はこれまでアラファト議長だったのですが、アラファト議長の下に、平和について話し合う担当のアッバス首相が任命されて、シャロン首相と話し合いました。
「中東和平への指針」では、まず、パレスチナ側はイスラエルに対するテロをやめる。イスラエル軍は、パレスチナ自治区から引きあげ、パレスチナ自治区に勝手に住み着いているユダヤ人を引きあげさせる、というものです。
そして、2005年までにパレスチナ国家を正式につくり、ユダヤ人とパレスチナ人が、それぞれ平和に暮らしていけるようにしよう、というものです。
3人は、この「中東和平への指針」を進めることを約束しました。でも、イスラエル国内にもパレスチナ人の側にも、この方針に反対する人たちがいます。順調に進むかどうか、心配する人が多いのです。
○○ナンデカンデモ投稿してすいませんが、
NHK子供ニュース、でした(笑)……いやはやこういう説明を全国放送で流していたとは。
中東和平の話し合い
'03/6/7 放送
6月4日、イスラエルとパレスチナの代表が、アメリカのブッシュ大統領と共に会談しました。どんなことが話し合われたのでしょうか。まずは、「中東問題」のいきさつから説明しましょう。
いまイスラエルという国があるあたりは、2000年ほど前までユダヤ教を信じるユダヤ人の王国があって、大勢のユダヤ人が住んでいました。しかし、王国が滅ぼされて、ユダヤ人たちは世界の各地にバラバラになって流れていきました。
その後、このあたりにはアラブ人が住むようになり、パレスチナと呼ばれるようになりました。
ユダヤ人のうち、ヨーロッパに移り住んだ人たちは、差別されたりいじめられたりしました。特に第二次世界大戦中には、ドイツによって600万人ものユダヤ人が殺されました。
戦争が終わって、ユダヤ人たちは、自分たちがこんな目にあうのは自分たちの国がないからだと考え、ユダヤ人の国をつくろうと考えました。2000年前に王国があったパレスチナに国をつくることにしたのです。ユダヤ教徒が信じる『旧約聖書』には、「神様がこの土地をユダヤ人に与える」と書いてあるからです。
ユダヤ人たちがひどい目にあったことを知った世界の人たちも、ユダヤ人に同情しました。
でも、パレスチナにはアラブ人が大勢住むようになっていました。ここにユダヤ人の国をつくったら混乱が起きます。そこで国連は、パレスチナに「ユダヤ人の国」と「アラブ人の国」をつくる案を決めました。エルサレムだけは、ユダヤ教を信じるユダヤ人にとっても、イスラム教を信じるアラブ人にとっても聖地なので、どちらかのものにしないで、国連が管理することにしました。
国連の案にもとづいて1948年、ユダヤ人たちはイスラエルという国をつくりました。
でも、まわりのアラブ人たちは、自分たちの土地に別の国ができたことに怒って、イスラエルを攻撃しました。これが「中東戦争」です。この戦争は、大きなものだけでも4回も続きました。この戦争の結果、イスラエルは、国連が決めた「アラブ人の国」の地域も全部占領してしまいました。
自分たちの土地から追い出されたアラブ人たちは、パレスチナに住んでいたので、パレスチナ人と呼ばれるようになりました。この人たちは、自分たちの国をつくりたいと考え、イスラエルと争いを続けてきました。この争いでも大勢の人が亡くなったり傷ついたりしたため、なんとか平和を築き上げたいと、10年前、話し合いが行われ、イスラエル軍が占領している土地のうち、パレスチナ人が多く住んでいるヨルダン川西岸地区とガザ地区をパレスチナ人たちに渡し、自分たちで政治をするようにしよう、ということになりました。この地区を「パレスチナ自治区」といいます。
しかし、ごく一部がパレスチナ人のものになっただけで、多くの場所に、まだユダヤ人が住んでいて、イスラエル軍もいます。
これに反発するパレスチナ人の中には、イスラエル国内で爆弾テロを起こす人もいて、またも大勢の人たちが犠牲になってきました。
この「中東問題」について、世界の多くの国がなんとかしたいと考えてきました。そして、アメリカ、ロシア、EU(ヨーロッパ連合)、それに国連が、「中東和平への指針」つまり「平和への道筋」をつくって、イスラエル、パレスチナの両方に、この案を認めるように求めたのです。
6月4日に行われた会議に出席したイスラエルの代表はシャロン首相で、パレスチナ側の代表は、アッバス首相です。パレスチナ側の代表はこれまでアラファト議長だったのですが、アラファト議長の下に、平和について話し合う担当のアッバス首相が任命されて、シャロン首相と話し合いました。
「中東和平への指針」では、まず、パレスチナ側はイスラエルに対するテロをやめる。イスラエル軍は、パレスチナ自治区から引きあげ、パレスチナ自治区に勝手に住み着いているユダヤ人を引きあげさせる、というものです。
そして、2005年までにパレスチナ国家を正式につくり、ユダヤ人とパレスチナ人が、それぞれ平和に暮らしていけるようにしよう、というものです。
3人は、この「中東和平への指針」を進めることを約束しました。でも、イスラエル国内にもパレスチナ人の側にも、この方針に反対する人たちがいます。順調に進むかどうか、心配する人が多いのです。
○○ナンデカンデモ投稿してすいませんが、
NHK子供ニュース、でした(笑)……いやはやこういう説明を全国放送で流していたとは。
これは メッセージ 5600 (r911911911 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a5a4a59a5ia5a8a5ka1bfa5qa5la59a5aa5jobjbf_1/5601.html