>国家を持つに値する民族か
投稿者: r911911911 投稿日時: 2003/05/19 13:45 投稿番号: [5319 / 20008]
>国家を持つに値する民族か
>彼は、まだ首相就任から1か月も経っていない。
もう少し時間をあげてもいいでしょう。
もちろんですとも(笑)。何度でもあるテストですしね…。
今回は「エベンシュティア」(5279、5295)のあとというより「アラファト演説のあと」だった。
事後のパウエル長官:自爆テロが継続すればパレスチナ国家樹立を含む和平への希望は達成されないという判断を強く示唆し、警告した。
強気な態度を「双方に対して」見せていたブッシュに会うことを「延期」する理由が出来たばかりか、さっそくそうした反応を引き出すことにも繋がった。サウジ・チェチェン・イエメン、そしてモロッコとあって…。
アラファトの演説後では「建国後の共存共栄に向けたビジョン」の不在性に、また同じ事かという印象を受けました。彼は「建設的未来」を語ったわけではなかった。闘いだけです。毎度のことですが。
穿った見方をすれば、自己アピールに最適な表現を選んだらああなった。つまりパレスチナ民衆の「本音」に訴えた。従って、あれはパレスチナ人自身の言葉でもあり、ビジョンの不在そのものもまたしかり。
イスラエルの「承認」までに40年。ではその後「共存共栄」が語られたことがあるでしょうか…。
建国後の未来像というのは、現実の姿ですから色々と不足もある。「何一つ欠けることのない誇り高き理想の王国」とは雲泥の差があります(ああ、当たり前すぎるだけにまた失笑が……)。
だから。だからです(笑)。語れないのでしょう。笑いつつも真面目な話し。指導者も民も、情熱を込め感情を込め魂の高ぶりさえ感じながら考えていることは、いや、本気で考えられることは実は……アレだけなんです、きっと。死後のなんとかいう凄い世界。
……。
ビジョンの不在―。あえて暴言を吐けば、結局のところイスラム教では無理だとも思っています。テロリストはなぜイスラム教徒か?なぜイスラム教にはまともな近代国家がないのか。二つの問いに対して後に歴史が示す答えは、たぶん同じ事に言及しているはずだと思います。
もしも仮に、信じられないことに、まるで奇跡かと思えるかのように(く、くどい…)、パレスチナ建国が2005年までに実現するとすれば、これは多分、パレスチナ人たちの「努力と妥協」(性根を入れ替えるということですね)の賜物などではないだろうと思います。
やはりアメリカです。一種の賭けだが、これまでの米大統領とは異なり「脅しがきく」立場をイラク戦争で手に入れています。その意味では勝率がかなり高まった賭けです。「とにかくやれ」と言える。
その結果の「実現」なら、それは紛争の終わりではない。新しく土俵を変えたいがみ合い、恨み辛み、感情・宗教・伝統ない交ぜの対立―そうした同じ物語のはじまりにすぎない。
加えて、隣国として金利の概念さえ妥協できない宗教と付き合わなければならないのは、イスラエルにとってはある意味ハンディキャップでしかないかもしれない。
パレスチナはすでに、国家を持つに値しないことを証明し続けてきている。僕はそう思っていますので、今後「何が起ころうと」驚きません。
国際政治のお陰で不合格のまま裏口入学はできるのかもしれません。それが「人権」という名の正義によるものなら、罪づくりなことだとも思いますが。
ちょうどsuppan21さんが「反ユダヤ主義」の肌感覚からのコメントを投稿してくれていました。ユダヤ民族にとっての「生き残り」の命題は「勝たなければ意味がない」がしかし「勝てばいい」というものでもない。反ユダヤ主義者にかかわらず「人権」は主義や立場の違いでどうにでも使える「道具」でもある。その武器でいつでも脅かされる危険性は今もこの先も常につきまとう。
併合というのはパレスチナが誇りの裡に滅びる必然でしょうか…因果応報という…。あるいは帰還権の大半が成就しない建国によって誇りを失ったあとに生きる苦痛を与えることになるのか。どちらにしても「見えざる手」の意志は感じ取ることができます。どちらにせよ自在に武器を取り替えてくる「選民否定」との戦いはまだ続く…。
(可能性という意味では、もし旧パレスチナの70%(?)を占めるとされるヨルダン国王が彼らの立場を共有して、母上のご実家に引き籠もられる選択をされれば…といったことも少し期待したりはしますが)
>彼は、まだ首相就任から1か月も経っていない。
もう少し時間をあげてもいいでしょう。
もちろんですとも(笑)。何度でもあるテストですしね…。
今回は「エベンシュティア」(5279、5295)のあとというより「アラファト演説のあと」だった。
事後のパウエル長官:自爆テロが継続すればパレスチナ国家樹立を含む和平への希望は達成されないという判断を強く示唆し、警告した。
強気な態度を「双方に対して」見せていたブッシュに会うことを「延期」する理由が出来たばかりか、さっそくそうした反応を引き出すことにも繋がった。サウジ・チェチェン・イエメン、そしてモロッコとあって…。
アラファトの演説後では「建国後の共存共栄に向けたビジョン」の不在性に、また同じ事かという印象を受けました。彼は「建設的未来」を語ったわけではなかった。闘いだけです。毎度のことですが。
穿った見方をすれば、自己アピールに最適な表現を選んだらああなった。つまりパレスチナ民衆の「本音」に訴えた。従って、あれはパレスチナ人自身の言葉でもあり、ビジョンの不在そのものもまたしかり。
イスラエルの「承認」までに40年。ではその後「共存共栄」が語られたことがあるでしょうか…。
建国後の未来像というのは、現実の姿ですから色々と不足もある。「何一つ欠けることのない誇り高き理想の王国」とは雲泥の差があります(ああ、当たり前すぎるだけにまた失笑が……)。
だから。だからです(笑)。語れないのでしょう。笑いつつも真面目な話し。指導者も民も、情熱を込め感情を込め魂の高ぶりさえ感じながら考えていることは、いや、本気で考えられることは実は……アレだけなんです、きっと。死後のなんとかいう凄い世界。
……。
ビジョンの不在―。あえて暴言を吐けば、結局のところイスラム教では無理だとも思っています。テロリストはなぜイスラム教徒か?なぜイスラム教にはまともな近代国家がないのか。二つの問いに対して後に歴史が示す答えは、たぶん同じ事に言及しているはずだと思います。
もしも仮に、信じられないことに、まるで奇跡かと思えるかのように(く、くどい…)、パレスチナ建国が2005年までに実現するとすれば、これは多分、パレスチナ人たちの「努力と妥協」(性根を入れ替えるということですね)の賜物などではないだろうと思います。
やはりアメリカです。一種の賭けだが、これまでの米大統領とは異なり「脅しがきく」立場をイラク戦争で手に入れています。その意味では勝率がかなり高まった賭けです。「とにかくやれ」と言える。
その結果の「実現」なら、それは紛争の終わりではない。新しく土俵を変えたいがみ合い、恨み辛み、感情・宗教・伝統ない交ぜの対立―そうした同じ物語のはじまりにすぎない。
加えて、隣国として金利の概念さえ妥協できない宗教と付き合わなければならないのは、イスラエルにとってはある意味ハンディキャップでしかないかもしれない。
パレスチナはすでに、国家を持つに値しないことを証明し続けてきている。僕はそう思っていますので、今後「何が起ころうと」驚きません。
国際政治のお陰で不合格のまま裏口入学はできるのかもしれません。それが「人権」という名の正義によるものなら、罪づくりなことだとも思いますが。
ちょうどsuppan21さんが「反ユダヤ主義」の肌感覚からのコメントを投稿してくれていました。ユダヤ民族にとっての「生き残り」の命題は「勝たなければ意味がない」がしかし「勝てばいい」というものでもない。反ユダヤ主義者にかかわらず「人権」は主義や立場の違いでどうにでも使える「道具」でもある。その武器でいつでも脅かされる危険性は今もこの先も常につきまとう。
併合というのはパレスチナが誇りの裡に滅びる必然でしょうか…因果応報という…。あるいは帰還権の大半が成就しない建国によって誇りを失ったあとに生きる苦痛を与えることになるのか。どちらにしても「見えざる手」の意志は感じ取ることができます。どちらにせよ自在に武器を取り替えてくる「選民否定」との戦いはまだ続く…。
(可能性という意味では、もし旧パレスチナの70%(?)を占めるとされるヨルダン国王が彼らの立場を共有して、母上のご実家に引き籠もられる選択をされれば…といったことも少し期待したりはしますが)
これは メッセージ 5317 (adventureoftheultraworld さん)への返信です.
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