ただの喧嘩なら
投稿者: TERUTERUKID 投稿日時: 2000/10/15 20:48 投稿番号: [520 / 20008]
宗教の教義などはいる余地の無いただの喧嘩なら、容易でないにしても世界のどこでも行われる紛争と同じですから、知性の入り込む余地があります。アラブ諸国もそう言う見解なら容易には出て来ないでしょうし、或いは、アラブ諸国が出てくるフリをして米国も出てくるフリをしたあたりでお開きに出来る可能性が高いといえます。
国家の指導者は普通余程の大物でなければ宗教的というよりは世俗的なものです。そういう意味では本当の宗教戦争というもの自体実は少ないかもしれません。
パレスチナ側は、自らの内に怒りを貯めるために身を投げ出しているようにも見えます。イスラエル側も原始的心理に支配されてるというよりは極めて冷静沈着に見えます。
>怒りが先立って、宗教はもはや重要ではない。
というのは、現地映像を見て受ける印象ですが、映像を見て素直にそう取ると事実を見失う気がします。
退かない理由に宗教を利用するという理性的段階の内に収拾できないと、宗教ゆえに退けないとなった時にはとめようとする指導者は拒絶されどうにも止まらなくなる恐れがあります。
>この混乱を収束するには力による抑圧しかないと言い切れるでしょう。
この抑圧はどちらに向けられるでしょう?抑圧するのは国連ですか米国ですか?
公平に双方を抑圧できるのでしょうか。
国連軍が大挙介入し、無理やりパレスチナ国家を独立させ、イスラエルとの間に巨大な壁でも築いて無理やり平和にすれば、はたから見てる方は楽なのですが。
私は、宗教に基づいた計画性をむしろ感じます。最近の米国の北朝鮮政策ともつながっていると見ると、半端ではありません。
これは メッセージ 517 (isoroku1945 さん)への返信です.
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