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宗教の根源と「死には死を」

投稿者: native_born_lonely 投稿日時: 2003/05/09 13:52 投稿番号: [5143 / 20008]
「われわれが啓示として呼んでいる、<今、ここ>に現存するあの永遠の根源現象とは、いったい何であろうか」(マルティン・ブーバー『我と汝』岩波文庫P137)

私はブーバーが自著の中で記したここから先の記述あたりに「絶対的真理」といったものを体得的に認識しています。個人的には、すべての宗教の根源はこのあたりにあったはずなのだろう、と思っています。

ブーバー自身は「宗教的体験」や「啓示的体験」といった表現のしかたは非常に慎重に避けているようなので、あえて「啓示的関係」とすれば、私はそれは、在る、と証言する者たちのひとりです。これが、「絶対的な真理」かどうかは、ひとそれぞれの価値観かもしれません。ただ、在る、ということだけは確かな現実です。



他の宗教も含めて、「形あるもの」について多くは知りませんが、教義を作り上げていく過程で、何かを間違えた、ということがあるかもしれない。時代ごとの賢者たちが「預言」するにあたって強調しすぎてしまったことが、民のレベルでは誤解され、恣意的な解釈自体が教義として広まった経緯もあるようだ、と思っています。個人的にイスラム教、キリスト教には、それぞれに重大な「すり替え」を感じてならないのはそういった部分です。

なお、ユダヤ教の場合、「人の命の尊さ」という概念は、信仰の中心にあるとも思います(人間の命そのものが信仰の対象ということではなく)。つまり、命の尊さを重んじるにあたって、ユダヤ教の考え方では、少なくとも「法治国家」的秩序とは相矛盾しない(ユダヤ教でも現代語でいうところの過失致死などには極めて寛容です)。

私自身はどの宗教にも属していませんが、客観的に見ているだけの立場からすると、そのように思えます。

sascomさんが引用して下さった私の文章にもどれば、少なくとも、計画性、意図性、準備性を伴った「殺し」は、これは「死」をもって制裁されるべし、という考え方には信仰を伴った神聖さがあると思っています。

人間の命に対して、人間が感じる様々な感情や心情、慟哭や怒り、憎悪や復讐心といったものもあるでしょう。しかし命は、実は「人間」が所有する権利などではないかもしれない、とさえ思っています。その意味で、死に伴う人間的な諸反応を遙かに超えた正義というようなものがあると考えている次第です。

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