中庸をよし、とする
投稿者: naonao123 投稿日時: 2000/10/14 02:56 投稿番号: [472 / 20008]
レス、ありがとうございます。
地球人類が行った行為は、すべてが歴史となります。
そして、何億年かが経過し、歴史もなくなります。
必ず、地球も死滅します。
その中の些細な点である、私たちの人生。
マクロに大局的に考えれば、すべてが自然として受容でき、豊かなおだやかな心境で、すべてを観ることもできると、私はそう考えます。
中東の出来事も、我々同じ人類が関わっていること、と私は認識します。既に、私も関わっている。
また、ミクロにみれば、現場の争っている双方の意識は、我々の想像を絶するところにあるのでは。
ですから、その立場(争っている当事者)にいなければ、私は「わからないことが多すぎる」から「軽々しくモノをいえないのでは」という意識が強いのです。
シテュエーションを変えれば、そういう経験をされた方が、ほとんどだと思いますが。
しかし、私には「中庸」に対する意識が欠けています。
「中庸」は、たいへん大事なことで、それを皆さん、お持ちであるから、争い=×、本能≪理性、或いはなにが正義なのか、という意見が生まれてくるのだと思います。
特異に思われるかもしれませんが、日本人であることには間違いありませんし、私の情報はすべてオープンしてありますので、軽はずみな意見を言っているつもりもありません。
ただ、すべて受け入れようと思えば、人間は、その点において自由なのでは、と思った次第です。
これは メッセージ 470 (jon58475 さん)への返信です.
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