「二重国家」の概念について<コメント
投稿者: etranger3_01 投稿日時: 2002/12/03 12:03 投稿番号: [4636 / 20008]
久々の長文投稿です。
「二重国家」の概念は、出口の見えない紛争に、光明が見えるかに思わせる概念ですね。
南アフリカや独立した東チモールで成功している「真実の和解委員会」では、長きに渡る闘争の末疲弊しきった当事者たちが、真実の声を聞き、声を発し、互いを理解し、和解できるよう努力が進められてきました。特に東チモールについては、国連PKO活動の一環でこれまでで最大規模の日本のPKO部隊が駐留していることもあり、NHKなどでもよく特集が組まれています。それらの番組を見て私が思ったのは、こうした”和解”プロセスも可能なんだということでした。
「二重国家」論は、一見理想論に思えますが、実は非常に現実的な概念なのだと思います。
元記事の著者が言うように、「複雑に入り組んで密接に関連しているユダヤ人とパレスチナ人の居住地」を分離しようとすることのほうが、非現実的なアプローチなのではないかと思います。これはいわば、日本国内でいえば県境についてのいざこざと同じようなもので、たとえば1つの”家”が県境に建てられていても、税制的にはたしか2県分の税金を払わなければならないということになると思いますが(実際、数年前にそのような問題がニュースで取り上げられましたよね)、そうした国家的な(法律的な)取り決めを除けば、そこに住んでいる住人はあくまで土地の共有者なんですよね。それが、その土地の住民にとっての現実なんだと思います。
パレスチナ自治区のような多民族が共存する領域についてマイクロな”家”という表現で共同生活者とするにはやや無理がありますが、そうした”家”で一緒に過ごす家族にしても、生活習慣が違ったり、価値観が違ったりというのは往々にしてあると思います。それでも共存している現実には変わりなく、ただ単に、”家”の真中に県境があり、分断されているというだけなのですよね。
パレスチナ自治区も、イスラエルも、こうした境が勝手に引かれて、分断されて、出来上がった土地です。そして、それぞれがその土地を”homeland”としています。つまり、自分たちにとっては大きな意味での”家”なんですよね。こうした”家”の中で、生活習慣、信仰、価値観の違う民族同士が共存することは、互いの主張を収め、共存共栄を目指す姿勢さえあれば可能なのではないでしょうか。
相次ぐ侵略行為と報復の自爆攻撃により、双方が恐怖に怯え、疲弊しきっている今こそが、「二重国家」の概念に基づく”和平”ではなく”和解”プロセスのスタートを切る機会なのではないでしょうか。なんだか、そんな気がします。
記事の著者が言うように、「パレスチナ人でありニューヨーク市民でもあるサイードが、引き裂かれるような困難な状況の中で、和解の道を模索している」ことに、私たち第三者は「もっと耳を傾けて」みてもいいのではないのでしょうか。
「二重国家」の概念は、出口の見えない紛争に、光明が見えるかに思わせる概念ですね。
南アフリカや独立した東チモールで成功している「真実の和解委員会」では、長きに渡る闘争の末疲弊しきった当事者たちが、真実の声を聞き、声を発し、互いを理解し、和解できるよう努力が進められてきました。特に東チモールについては、国連PKO活動の一環でこれまでで最大規模の日本のPKO部隊が駐留していることもあり、NHKなどでもよく特集が組まれています。それらの番組を見て私が思ったのは、こうした”和解”プロセスも可能なんだということでした。
「二重国家」論は、一見理想論に思えますが、実は非常に現実的な概念なのだと思います。
元記事の著者が言うように、「複雑に入り組んで密接に関連しているユダヤ人とパレスチナ人の居住地」を分離しようとすることのほうが、非現実的なアプローチなのではないかと思います。これはいわば、日本国内でいえば県境についてのいざこざと同じようなもので、たとえば1つの”家”が県境に建てられていても、税制的にはたしか2県分の税金を払わなければならないということになると思いますが(実際、数年前にそのような問題がニュースで取り上げられましたよね)、そうした国家的な(法律的な)取り決めを除けば、そこに住んでいる住人はあくまで土地の共有者なんですよね。それが、その土地の住民にとっての現実なんだと思います。
パレスチナ自治区のような多民族が共存する領域についてマイクロな”家”という表現で共同生活者とするにはやや無理がありますが、そうした”家”で一緒に過ごす家族にしても、生活習慣が違ったり、価値観が違ったりというのは往々にしてあると思います。それでも共存している現実には変わりなく、ただ単に、”家”の真中に県境があり、分断されているというだけなのですよね。
パレスチナ自治区も、イスラエルも、こうした境が勝手に引かれて、分断されて、出来上がった土地です。そして、それぞれがその土地を”homeland”としています。つまり、自分たちにとっては大きな意味での”家”なんですよね。こうした”家”の中で、生活習慣、信仰、価値観の違う民族同士が共存することは、互いの主張を収め、共存共栄を目指す姿勢さえあれば可能なのではないでしょうか。
相次ぐ侵略行為と報復の自爆攻撃により、双方が恐怖に怯え、疲弊しきっている今こそが、「二重国家」の概念に基づく”和平”ではなく”和解”プロセスのスタートを切る機会なのではないでしょうか。なんだか、そんな気がします。
記事の著者が言うように、「パレスチナ人でありニューヨーク市民でもあるサイードが、引き裂かれるような困難な状況の中で、和解の道を模索している」ことに、私たち第三者は「もっと耳を傾けて」みてもいいのではないのでしょうか。
これは メッセージ 4632 (etranger3_01 さん)への返信です.
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