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ユダヤ人を助けた無名のシンドラーたち

投稿者: etranger3_01 投稿日時: 2002/06/07 16:43 投稿番号: [3872 / 20008]
[asahi.com]   http://www.asahi.com/national/update/0607/019.html

無名のシンドラーたち   旅行公社職員、ユダヤ人助ける

  第2次世界大戦中、祖国を追われたユダヤ難民が極東から米国などへ渡る「旅」を助けたのは、日本の旅行公社の職員だった。あれから60年余り。JTBのOBが資料をたどり、関係者にあたって当時の活動をまとめた。外交官杉原千畝氏が発給した「命のビザ」を支えたもう一つの歴史だ。

  調べたのはJTBのOB伊藤明さん(72)。旅行雑誌が99年、過去百年の総括として「20世紀の旅人」を企画、その中で、ユダヤ難民の移送の記事を任された。

  約30人のOBから話を聞くなどした伊藤さんによると、日本を経由して米国などに逃げるユダヤ難民は、1938(昭和13)年ごろから増え、41年ごろまで続いた。外国人客の誘致、あっせんを目的とした社団法人「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」(現JTB)が手配した難民は、少なくとも1万1000人に上るという。

  当時の職員大迫辰雄さん(86)は40〜41年の冬、旧ソ連のウラジオストクから福井県敦賀市への船の輸送を任された。

  大迫さんは「ユダヤ人輸送の思い出」という回想録を書いている。天草丸(2345トン)という古い船で、二十数回、冬の日本海を往復した。片道2泊3日。激しい揺れで眠れなかった。食堂に用意した皿、調味料はすっ飛んだ。船客は船酔いで出てこない。

  「さすらいの旅人をほうふつとさせる寂しさが漂っていた。無国籍人の悲哀をこれほど感じたことはない」と振り返る。

  米国のユダヤ人協会から資金を預り、膨大なリストから、難民一人ひとりを確認して渡航費を渡す。「数百人もの中から(本人を)確かめるしんどい仕事だった」と振り返る。

  旧満州・満洲里のビューローにいて、今年4月中旬に亡くなった松井繁松さんは「同情心から彼らの差し出す品をポケットマネーで買い取ったが、限界に達し、追いつかなくなると中国人経営の質屋を紹介して換金させた」との文章を残した。

  敦賀市に入ってからの国内の移動もビューローの職員が引き受けた。列車で横浜や神戸に案内し、そこから米国や豪州に渡った難民が多かった。

  40年、リトアニア領事代理だった杉原氏が発給したビザを持った約6000人といわれる難民の多くもビューローの職員のあっせんで日本に渡ったという。

  伊藤さんが調べたことや当時の関係者の話は「観光文化」(財団法人日本交通公社・機関誌)に「ユダヤ難民に『自由への道』をひらいた人々」などとして3号にわたって紹介された。伊藤さんは「ユダヤ人をナチス・ドイツの虐殺から救った伝説のオスカー・シンドラーのような日本人がいたことを記録したかった」という。

  「20世紀の旅人」を企画した「観光文化」の蘆沢順編集長は「旅人となる難民は20世紀で終わらせたいとの願いを込めた企画だった。新世紀になってアフガンやパレスチナで難民が出ていることは悲しい」と話した。(15:01)

●コメント
歴史には、その時々の人々の熱い思いが動いているのに、後になって振り返る歴史ではその思いが死んでいる。こうした湾曲した見方をされてしまうのは、しょせん歴史が人の伝聞によってしか伝えられない・伝わらないものだからなのだろう。ならば・・・「歴史」にしなければよいのではないか?

忘れてはならない。こういう人たちがいたことを>日本人

忘れてはならない。こういう人たちがいまのイスラエルを可能にしたことを>イスラエル人

忘れてはならない。迫害の歴史は確かに存在したことを>世界の人々
そして、忘れてはならない。人は差別を乗り越える意志を持てることを>全人類
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