百万人署名は住所変更、共産から赤軍釈明
投稿者: naomioriginal 投稿日時: 2002/05/05 16:35 投稿番号: [3716 / 20008]
<百万人署名運動、4月から住所変更>
石田ビル4Fから、
〒101-0061 千代田区三崎町2-6-7 グリーンビル301 TEL&FAX03-5211-5415
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hyakuman/
に移りました。代表は、西川重則さんです。次は、参考ページ。
http://www.jca.apc.org/~impact/magazine/impact100.html
日本赤軍自ら「社民党を利用して国政に参画」と言っているのだから、社民党は、共産党くらいの回答はすべきでしょう。できないなら、国会から消えるべきです。
私自身も、共産党を敬遠してきたり社民党に断られたりした経緯を説明できなかったことが敗因だったと反省しています。
http://www.naomi-ando.com
<共産党から来た、赤軍との関係についての質問の回答(原文)>
メールをうけとりました。ご質問におこたえします。
「赤軍派」「日本赤軍」「連合赤軍」「京浜安保共闘」などを名のる集団
は、「左翼」的な言辞を弄していますが、その実態は日本共産党の打倒を第一
の目的とする反共・反革新の暴力集団です。
私たちは、「中核派」「革マル派」「革労協」「ブント」などもふくめ、これ
らの集団をニセ「左翼」暴力集団とよんでいます。もちろん日本共産党とは、
何の関係もありません。
1960年代後半、中国の毛沢東派が「鉄砲から政権が生まれる」とする武
装闘争方針を押しつけようとして、日本共産党への乱暴な干渉をくわだてまし
た。
日本共産党はこの干渉をきっぱりはねつけましたが、毛沢東派に追随する分派
活動で党を除名されたごくひと握りのグループが、日本共産党破壊の策動を開
始し、離合集散をくりかえしつつ、「日本共産党左派」とか「革命左派」など
と称しました。
お尋ねの「京浜安保共闘」は、そうしたグループの一つである「革命左派神奈
川県委員会」と称するグループの別名です。
そして、「京浜安保共闘」と、60年安保の直前に結成されたニセ「左翼」暴
力集団「ブント」の分裂した集団の一つである「赤軍派」(70年のよど号ハ
イジャック事件をおこしたグループ)とが合体して、71年にできたのが「連
合赤軍」です。
この「連合赤軍」が72年の浅間山荘事件をおこしたことは、ご存じのとおり
です。
「赤軍派」のうち、中東に逃走した一部が「日本赤軍」を名のり、72年のテ
ルアビブ空港乱射事件などをおこしました。
「赤軍派」「連合赤軍」につらなる「ブント」は、66年の声明で「反ス
ターリン主義は、日本階級闘争の現実において、どのようにして日共(注=日
本共産党のこと)とたたかうかという、具体的な戦略・戦術に高められなけれ
ばならない」と主張していました。
こうした歴史的経過をみれば、「赤軍派」「京浜安保共闘」「日本赤軍」
「連合赤軍」などを名のる集団が、いずれも日本共産党と革新運動を破壊する
ためにつくられた集団であることを、ご理解いただけると思います。
私たちは、日本の運動にたいするいかなる外国の党の干渉も許さないという
「自主独立」の立場にたって、毛沢東派の干渉をきっぱりはねつけたことの正
しさが、歴史的に証明されたと考えています。
そして私たちは、国民の生命と安全、財産を守る立場から、「日本赤軍」
「連合赤軍」をはじめ、ニセ「左翼」暴力集団の暴力的妄動や犯罪事件を、日
本の政党のなかで最初からもっともきびしく批判し、徹底した取締りをくりか
えし要求してきました。
これにたいして、かれらの「左翼」を装った反共・反革新の活動に利用価値
をみいだし、「泳がせ」政策をとってきたのが、政府・自民党です。
たとえば、中曽根元首相は60年代末、「佐藤内閣をささえているのは、反
代々木系学生だという見方もある。彼らの暴走が反射的に市民層を反対にまわ
し、自民党の支持につながる役割を果たしている」(「朝日」69年5月3日
付)とのべています。
よど号事件の直後、川島警察庁警備局長(当時)は、「赤軍派の中にも現実に
協力してもらっている者はたくさんございます」(70年4月1日、参院予算
委員会)とか「赤軍派の協力者に対しましても、実費程度の金を渡しておるこ
とは事実」(70年4月13日、衆院「日航機乗っ取り事件」連合審査会)と
答弁しています。
浅間山荘事件の直後にも、富田警備局長(当時)が、「連合赤軍」の内部に警
察の「情報網」が存在する事実を認めています(72年3月2日、\xBD
石田ビル4Fから、
〒101-0061 千代田区三崎町2-6-7 グリーンビル301 TEL&FAX03-5211-5415
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hyakuman/
に移りました。代表は、西川重則さんです。次は、参考ページ。
http://www.jca.apc.org/~impact/magazine/impact100.html
日本赤軍自ら「社民党を利用して国政に参画」と言っているのだから、社民党は、共産党くらいの回答はすべきでしょう。できないなら、国会から消えるべきです。
私自身も、共産党を敬遠してきたり社民党に断られたりした経緯を説明できなかったことが敗因だったと反省しています。
http://www.naomi-ando.com
<共産党から来た、赤軍との関係についての質問の回答(原文)>
メールをうけとりました。ご質問におこたえします。
「赤軍派」「日本赤軍」「連合赤軍」「京浜安保共闘」などを名のる集団
は、「左翼」的な言辞を弄していますが、その実態は日本共産党の打倒を第一
の目的とする反共・反革新の暴力集団です。
私たちは、「中核派」「革マル派」「革労協」「ブント」などもふくめ、これ
らの集団をニセ「左翼」暴力集団とよんでいます。もちろん日本共産党とは、
何の関係もありません。
1960年代後半、中国の毛沢東派が「鉄砲から政権が生まれる」とする武
装闘争方針を押しつけようとして、日本共産党への乱暴な干渉をくわだてまし
た。
日本共産党はこの干渉をきっぱりはねつけましたが、毛沢東派に追随する分派
活動で党を除名されたごくひと握りのグループが、日本共産党破壊の策動を開
始し、離合集散をくりかえしつつ、「日本共産党左派」とか「革命左派」など
と称しました。
お尋ねの「京浜安保共闘」は、そうしたグループの一つである「革命左派神奈
川県委員会」と称するグループの別名です。
そして、「京浜安保共闘」と、60年安保の直前に結成されたニセ「左翼」暴
力集団「ブント」の分裂した集団の一つである「赤軍派」(70年のよど号ハ
イジャック事件をおこしたグループ)とが合体して、71年にできたのが「連
合赤軍」です。
この「連合赤軍」が72年の浅間山荘事件をおこしたことは、ご存じのとおり
です。
「赤軍派」のうち、中東に逃走した一部が「日本赤軍」を名のり、72年のテ
ルアビブ空港乱射事件などをおこしました。
「赤軍派」「連合赤軍」につらなる「ブント」は、66年の声明で「反ス
ターリン主義は、日本階級闘争の現実において、どのようにして日共(注=日
本共産党のこと)とたたかうかという、具体的な戦略・戦術に高められなけれ
ばならない」と主張していました。
こうした歴史的経過をみれば、「赤軍派」「京浜安保共闘」「日本赤軍」
「連合赤軍」などを名のる集団が、いずれも日本共産党と革新運動を破壊する
ためにつくられた集団であることを、ご理解いただけると思います。
私たちは、日本の運動にたいするいかなる外国の党の干渉も許さないという
「自主独立」の立場にたって、毛沢東派の干渉をきっぱりはねつけたことの正
しさが、歴史的に証明されたと考えています。
そして私たちは、国民の生命と安全、財産を守る立場から、「日本赤軍」
「連合赤軍」をはじめ、ニセ「左翼」暴力集団の暴力的妄動や犯罪事件を、日
本の政党のなかで最初からもっともきびしく批判し、徹底した取締りをくりか
えし要求してきました。
これにたいして、かれらの「左翼」を装った反共・反革新の活動に利用価値
をみいだし、「泳がせ」政策をとってきたのが、政府・自民党です。
たとえば、中曽根元首相は60年代末、「佐藤内閣をささえているのは、反
代々木系学生だという見方もある。彼らの暴走が反射的に市民層を反対にまわ
し、自民党の支持につながる役割を果たしている」(「朝日」69年5月3日
付)とのべています。
よど号事件の直後、川島警察庁警備局長(当時)は、「赤軍派の中にも現実に
協力してもらっている者はたくさんございます」(70年4月1日、参院予算
委員会)とか「赤軍派の協力者に対しましても、実費程度の金を渡しておるこ
とは事実」(70年4月13日、衆院「日航機乗っ取り事件」連合審査会)と
答弁しています。
浅間山荘事件の直後にも、富田警備局長(当時)が、「連合赤軍」の内部に警
察の「情報網」が存在する事実を認めています(72年3月2日、\xBD
これは メッセージ 3700 (eeefrty さん)への返信です.
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