再、自爆テロ
投稿者: cmmenthard 投稿日時: 2002/04/07 00:13 投稿番号: [3063 / 20008]
二〇〇一年九月一一日の米国における自爆テロ以降、自爆テロはイスラエルとパレスチナ紛争のパレスチナ側の抗争の方法として多発し、世界の統治体制はその対応の方法に為す術もなく頭を抱えている状況である。
自爆テロを行う側は総てを捨てた、思い詰めた行為であるから譲歩、妥協の余地はなく、嘗て同じ様な状況で自爆した西郷隆盛がいったように「命も要らぬ、名も要らぬ、といった連中には、如何ともし難く始末に負えない」ということなのである。このような自爆テロに赴く若者の心情を思うとき、その和解や仲介を進めるものも自らをも自爆テロで吹っ飛ばす覚悟が要るのである。
一体、議論や批評をしている人達にその覚悟があるのだろうか。
今回のアラブの自爆テロは欧米キリスト・ユダヤ教文明の、主として石油の権益によるイスラム社会からの富の搾取と簒奪(西欧文明としては異論はあろうが)に対する怨念と反抗をイスラム教の大義名分の元に発していると考えられる。
且つ、現代の世界的な大衆情報化社会では特定の指導者がいなくても多くの世界のイスラム社会にその様な現状認識が浸透してしまっている。
その意味では政治的なプロパガンダと己利己略によって選出された権力者による統治をおこなっている西欧文明は、世界的な情報社会における統治の方法という時代の変化をフォローしていない。
ビンラディンやアラファトを殺しても、イスラム社会は少数の権力者による統治ではないので自爆テロはなくなる訳がない。逆に米国もイスラエルもアラファトは殺せないのである。殺せば状況は戦争ではなく、抗争は首謀者のいない真のテロとなってしまうのである。また、アラファトはアメリカやイスラエルと戦っている限り、パレスチナ内の反アラファトに対しても安全なのである。
このことが単純に「テロは武力でなくすことが出来る」と言うイスラエルのシャロンや西欧指導者には理解していないように感じる。或いは和解の前に出来るだけ譲歩分を確保しておこうということかも知れないが・・・・。
結果、自爆テロを非難すればするほどテロは増大し、逆に己の無知無能と愚かさをさらけ出すことになってしまっている。
更に、意見を取りまとめる可能性のあるイスラム指導者を次々と排除すれば混乱はますます深まり、極端にいえば、反抗は世界の人口の四分の一に達する一五億人のイスラム教徒全体に広がって行く。
一六才や二〇才の女性が自爆テロで自発的に死んで行くことに意義を感じているのである。イスラムにとって歴史的な壮烈で劇的な殉教者であり英雄達の存在である。世界のイスラム一五億人が一人一殺でゆくと覚悟を決めたら世界はどうなるのであろうか。少なくともユダヤ人やそれを支援するアメリカ人はこれらの人の信を失っており、安全に世界で生活し旅行できなくなる。無関係な一般のユダヤ人やアメリカ人をと言うであろうが、少なくとも、ユダヤ人もそうであるが、アメリカ人は民主的な方法で現在のブッシュ大統領を選出し、調査によれば大多数のアメリカ人が支持しているのである。アメリカが独立以来模索し続けてきた多様な価値観を持つ人を統治する方法について改めて考える必要がある。
ブッシュもシャロンも「これは戦争である。」と言っているが戦争とテロは全く異なる。テロはその意図が妥当なものである限り、非公式な抵抗なのである。敢えていえば、真に戦いを継続する意志があるのならば、イスラムはそのテロ行為を形式的にも実質的にも公式的な戦争の形態をとるべきではないのである。
それは嘗て文芸春秋に塩野七生さんも指摘していたように、西欧文明が今までの権益と豊かさを捨て共存と妥協、融和を進める提案を、指導者がそれこそ自爆覚悟で出す勇気を持つか否かがポイントとなる。それが真の政治家であろうが、皮肉にも現在の民主主義の社会ではその可能性は薄い。
自爆テロを行う側は総てを捨てた、思い詰めた行為であるから譲歩、妥協の余地はなく、嘗て同じ様な状況で自爆した西郷隆盛がいったように「命も要らぬ、名も要らぬ、といった連中には、如何ともし難く始末に負えない」ということなのである。このような自爆テロに赴く若者の心情を思うとき、その和解や仲介を進めるものも自らをも自爆テロで吹っ飛ばす覚悟が要るのである。
一体、議論や批評をしている人達にその覚悟があるのだろうか。
今回のアラブの自爆テロは欧米キリスト・ユダヤ教文明の、主として石油の権益によるイスラム社会からの富の搾取と簒奪(西欧文明としては異論はあろうが)に対する怨念と反抗をイスラム教の大義名分の元に発していると考えられる。
且つ、現代の世界的な大衆情報化社会では特定の指導者がいなくても多くの世界のイスラム社会にその様な現状認識が浸透してしまっている。
その意味では政治的なプロパガンダと己利己略によって選出された権力者による統治をおこなっている西欧文明は、世界的な情報社会における統治の方法という時代の変化をフォローしていない。
ビンラディンやアラファトを殺しても、イスラム社会は少数の権力者による統治ではないので自爆テロはなくなる訳がない。逆に米国もイスラエルもアラファトは殺せないのである。殺せば状況は戦争ではなく、抗争は首謀者のいない真のテロとなってしまうのである。また、アラファトはアメリカやイスラエルと戦っている限り、パレスチナ内の反アラファトに対しても安全なのである。
このことが単純に「テロは武力でなくすことが出来る」と言うイスラエルのシャロンや西欧指導者には理解していないように感じる。或いは和解の前に出来るだけ譲歩分を確保しておこうということかも知れないが・・・・。
結果、自爆テロを非難すればするほどテロは増大し、逆に己の無知無能と愚かさをさらけ出すことになってしまっている。
更に、意見を取りまとめる可能性のあるイスラム指導者を次々と排除すれば混乱はますます深まり、極端にいえば、反抗は世界の人口の四分の一に達する一五億人のイスラム教徒全体に広がって行く。
一六才や二〇才の女性が自爆テロで自発的に死んで行くことに意義を感じているのである。イスラムにとって歴史的な壮烈で劇的な殉教者であり英雄達の存在である。世界のイスラム一五億人が一人一殺でゆくと覚悟を決めたら世界はどうなるのであろうか。少なくともユダヤ人やそれを支援するアメリカ人はこれらの人の信を失っており、安全に世界で生活し旅行できなくなる。無関係な一般のユダヤ人やアメリカ人をと言うであろうが、少なくとも、ユダヤ人もそうであるが、アメリカ人は民主的な方法で現在のブッシュ大統領を選出し、調査によれば大多数のアメリカ人が支持しているのである。アメリカが独立以来模索し続けてきた多様な価値観を持つ人を統治する方法について改めて考える必要がある。
ブッシュもシャロンも「これは戦争である。」と言っているが戦争とテロは全く異なる。テロはその意図が妥当なものである限り、非公式な抵抗なのである。敢えていえば、真に戦いを継続する意志があるのならば、イスラムはそのテロ行為を形式的にも実質的にも公式的な戦争の形態をとるべきではないのである。
それは嘗て文芸春秋に塩野七生さんも指摘していたように、西欧文明が今までの権益と豊かさを捨て共存と妥協、融和を進める提案を、指導者がそれこそ自爆覚悟で出す勇気を持つか否かがポイントとなる。それが真の政治家であろうが、皮肉にも現在の民主主義の社会ではその可能性は薄い。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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