カナファーニーは誕生日を祝わない
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2009/02/23 12:30 投稿番号: [18391 / 20008]
私にとって村上春樹などどうでもいい存在であったのだが、エルサレム賞受賞騒動で一定の存在になってしまった。それは忘れられた不幸な存在でもないという意味ぐらいのものだが・・・。
よってこれからガッサーン・カナファーニーをとりあげる。
ガッサーン・カナファーニー、1936年、パレスチナの地中海岸の都市アッカーで弁護士の家庭に生まれる。
1948年4月9日、デイル・ヤーシーン村虐殺事件が起き、その日はガッサーン・カナファーニーの12歳の誕生日。それ以後、彼は自分の誕生日を祝わなかった。
この事件は見せしめの事件であり、殺戮者は血だらけの服を着た生存者をエルサレムの街で引き回した。このニュースを知ったアラブ人たちはパニックになり、銃声一発でも鳴らせば逃げ出した。
ガッサーン・カナファーニーの家族もこの時難民になり、シリアの山村サパダーニに逃れた(注:『悲しいオレンジの実る土地』で描かれる)。
▼ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って 太陽の男たち』(黒田寿郎・奴田原睦明/訳、河出書房新社)、『悲しいオレンジの実る土地』より―─
・・・ぼくがパレスチナで知っていた神も、やはりパレスチナから逃げ出していったのだということを、ぼくはもはや疑わなかった。彼もぼくの知らないどこかへ、難を避けて逃げていった。彼自身でこの問題を解決できずに。
・・・
(※注:以下、岡真理・訳)
▼岡真理『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房)より―─
「ぼくにとってもはや疑いようのないこと、それは、ぼくらがパレスチナで知っていた神さまもまた、パレスチナを出ていってしまったのだということ、ぼくの知らないどこかで、神さまも難民になってしまって、神さま自身の問題さえ解決できずにいるのだということだった」。
▼ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って 太陽の男たち』(黒田寿郎・奴田原睦明/訳、河出書房新社)、『悲しいオレンジの実る土地』より―─
・・・
オレンジ!自分の手でそれを植え、育てていた農民が土地を追われ、オレンジからひき離されようとしたとき、「オレンジは、その水加減をする手が変わると、枯れるのだ」と叫んでいたっけ。・・・
***
ダマスカスの難民キャンプで苦学の後、・・・ジャーナリスト、小説家、PFLPのスポークスマン・・・
1972年5月、イスラエルのロッド空港日本赤軍機関銃乱射事件。PFLP犯行声明・・・
1972年7月8日、モサドの爆弾で幼い姪ラミースとともに暗殺される。
▼広河隆一『パレスチナ 新版』(岩波新書)より―─
最大のものは四月九日のエルサレムのデイル・ヤーシーン村住民二五四人の虐殺で、無抵抗の村民が殺され、生き残った者は血だらけの服のままエルサレムで『勝利の行進』をさせられた。この村は戦争に中立を表明し、アラブ解放軍の駐留さえ認めていなかった。中立の村さえこんな目にあうと知った他の村々は、パニックに陥ったのである
▼デイル・ヤシーン事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
▼ アラブ諸国の切手
デイル・ヤーシーン事件
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-315.html
***
オレンジは枯れるというより、引き抜かれ切られて、代わりに杉や松が植えられたということ。又同じ運命の樹木オリーブ・・・、イラン・パペによると、松の木を二つに断ち割ってオリーブの若木が現れることもあるという・・・。
よってこれからガッサーン・カナファーニーをとりあげる。
ガッサーン・カナファーニー、1936年、パレスチナの地中海岸の都市アッカーで弁護士の家庭に生まれる。
1948年4月9日、デイル・ヤーシーン村虐殺事件が起き、その日はガッサーン・カナファーニーの12歳の誕生日。それ以後、彼は自分の誕生日を祝わなかった。
この事件は見せしめの事件であり、殺戮者は血だらけの服を着た生存者をエルサレムの街で引き回した。このニュースを知ったアラブ人たちはパニックになり、銃声一発でも鳴らせば逃げ出した。
ガッサーン・カナファーニーの家族もこの時難民になり、シリアの山村サパダーニに逃れた(注:『悲しいオレンジの実る土地』で描かれる)。
▼ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って 太陽の男たち』(黒田寿郎・奴田原睦明/訳、河出書房新社)、『悲しいオレンジの実る土地』より―─
・・・ぼくがパレスチナで知っていた神も、やはりパレスチナから逃げ出していったのだということを、ぼくはもはや疑わなかった。彼もぼくの知らないどこかへ、難を避けて逃げていった。彼自身でこの問題を解決できずに。
・・・
(※注:以下、岡真理・訳)
▼岡真理『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房)より―─
「ぼくにとってもはや疑いようのないこと、それは、ぼくらがパレスチナで知っていた神さまもまた、パレスチナを出ていってしまったのだということ、ぼくの知らないどこかで、神さまも難民になってしまって、神さま自身の問題さえ解決できずにいるのだということだった」。
▼ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って 太陽の男たち』(黒田寿郎・奴田原睦明/訳、河出書房新社)、『悲しいオレンジの実る土地』より―─
・・・
オレンジ!自分の手でそれを植え、育てていた農民が土地を追われ、オレンジからひき離されようとしたとき、「オレンジは、その水加減をする手が変わると、枯れるのだ」と叫んでいたっけ。・・・
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ダマスカスの難民キャンプで苦学の後、・・・ジャーナリスト、小説家、PFLPのスポークスマン・・・
1972年5月、イスラエルのロッド空港日本赤軍機関銃乱射事件。PFLP犯行声明・・・
1972年7月8日、モサドの爆弾で幼い姪ラミースとともに暗殺される。
▼広河隆一『パレスチナ 新版』(岩波新書)より―─
最大のものは四月九日のエルサレムのデイル・ヤーシーン村住民二五四人の虐殺で、無抵抗の村民が殺され、生き残った者は血だらけの服のままエルサレムで『勝利の行進』をさせられた。この村は戦争に中立を表明し、アラブ解放軍の駐留さえ認めていなかった。中立の村さえこんな目にあうと知った他の村々は、パニックに陥ったのである
▼デイル・ヤシーン事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
▼ アラブ諸国の切手
デイル・ヤーシーン事件
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-315.html
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オレンジは枯れるというより、引き抜かれ切られて、代わりに杉や松が植えられたということ。又同じ運命の樹木オリーブ・・・、イラン・パペによると、松の木を二つに断ち割ってオリーブの若木が現れることもあるという・・・。
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