イスラエル/パレスチナ和平

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Re: もう少し勉強した方がいいのでは

投稿者: bizarrequebizarre 投稿日時: 2009/02/05 12:36 投稿番号: [17926 / 20008]
>物事をイタズラに複雑化して考えることの方が違うんではないかな〜?と
思いますが。。。。日本が満州国傀儡を打ち立てて中国東北部へ日本の確固たる足場を構築しようとしたのは、経済危機を打開するための経済圏を築くためだと考えています。

まず一言言っておきますが、満州のことを「中国東北部」などと呼ぶのは、戦後の呼称にしか過ぎません。
「中国東北部へ日本の確固たる足場を構築しようとしたのは、経済危機を打開するための経済圏を築くため」などと、「満州問題」を経済問題に矮小化してしまうのは、「満州問題」の本質を知らない人にありがちな見解です。
満州はもともと「清朝」を支配した満州族の故地でしたが、「日清戦争」で日本に敗れた清が「封禁政策」を改め、満州への移民を認めたために日本人、朝鮮人、漢人などが移民を始め、人口が数十倍にも飛躍的に増大した地域です。(様々な形の内戦の戦火を逃れた漢人の大量移民はあったものの、満州はもともと漢人の居住していた地ではありません)
その後、満州には「日清戦争」後の「露清協定」でロシアが参入し、さらに「義和団事件」に端を発した「北清事変」で清が「八カ国軍」に敗れた後は、ロシアの実質的占領下にありました。
ロシアは満州を根拠地として、さらに朝鮮北部の龍岩浦に進出し、朝鮮半島全体を窺う姿勢を見せましたので(この時「大韓帝国」はロシアの南下を防ごうとしないばかりか、これに事大しようとさえした)、これに危機感を抱いた日本と、「日露戦争」になり、ロシアは敗れて満州の権益を日本に譲りました。
その後、漢人国家の再興を目指し「滅清興漢」を旗印に孫文が「辛亥革命」を起こし、「清朝」は滅亡し、広大な「清朝」の領土から、「中華民国」を筆頭に、「チベット国」「モンゴル人民共和国」などが独立していきました。
しかし、「中華民国」は直に内部抗争から分裂し、群雄割拠となり、「北京政府」「広東政府」「広州政府」「武漢政府」「南京政府」などが次々に樹立されていきました。(ほとんど無政府状態になったといっても過言ではないでしょう)
満州には、「奉天軍閥」を率いる元馬賊の頭領張作霖が君臨し、二次にわたる「奉直戦争」で「北京政府」と戦い、1922年には「独立宣言」さえしています。
その後、南から「北伐」と称して北進してきた蒋介石と、これを阻止しようとする北部勢力との戦争となり、蒋介石が勝利を収めて北京入りし、北京で北部勢力を指揮していた張作霖は敗軍の将となって、満州の奉天に帰る途中の鉄道上で何者かに爆殺されました(1928年6月4日)。
張作霖の息子の張学良は、これを「関東軍」の仕業と考え、震え上がって1928年12月29日、蒋介石への服属を声明しました。(「易幟」)
満州に権益を持つ日本国はもちろん、満州に住む人々の多くは(満州人、蒙古人、日本人、朝鮮人、漢人を問わず)、張学良の声明は、満州の地にやがては蒋介石軍の侵入を招くことになり、結果的に戦乱を齎すものとして、大きな不安と危機感を抱き深刻に受け止めたのでした。
「満州事変」の発火点となった「柳条湖事件」は、このような時代背景の下に発生したのであって、ただ単に日本が1929年の「ウォール・ストリート」の株価の大暴落に始まった「経済危機を打開するための経済圏を築くため」に起こしたものではありません。

*「満州事変」についてだけでも、このような事情があるのです。
「日中戦争」については、さらに「コミンテルン」の指令を受けて動く毛沢東指導の「中国共産党」や、宋子文、宋美齢ら在米華僑の工作で蒋介石支援に傾くルーズベルト米大統領、さらにはヒトラー台頭で緊迫化するヨーロッパ情勢も、重要なファクターとして連動しているわけですから、ますますあまり単純化して考えるべきではないと思います。
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