Re: しかしユダヤ人の神が全知全能だとした
投稿者: maximirion 投稿日時: 2008/12/18 10:49 投稿番号: [16226 / 20008]
つまり、「魅惑の神様は、別の角度から見ると悪魔」だと言う考え方があるかもしれないが、悪魔は「魅惑の神様を利用して来た人間の欲望」・・・と言う考え方もあると思う。・・・>
だからこそ。
数多の信仰心を持つ宗徒を従える「教」は、天から降り注ぐ光ばかりを仰ぎ見ようとするばかりではなく、地の底に根を張る地上の存在に内在する深い闇と向き合い受け入れなければならない。
天空の光は地の底から繋がる闇の中に在ります。
地上の存在は、天からの光と地の底の闇を繋ぐことで、地上で生を受け育まれている。
信仰としては、光を求めて天を仰ぎ見るだけでは宗徒が誘蛾灯に群がる蛾となってしまう宗教になる。
為政者が意図してこれを政治に利用することを通して権威と威信を確立したのが教会によるキリスト教。
覇道により占拠し、その権威と威信を笠に着て支配統治を確立するのが、ローマに端を発する教会発キリスト教社会。
この社会に異を唱え、預言者による歴史の原理に立ち返ろうと提唱したのが、聖書の預言者達と歴史をともにしたアラブの社会に興ったイスラム教。
それでも 縮小すれど崩れないキリスト教社会に服属することを是とせずにさらに原典へ立ち返ろうとした、イスラム教若しくはキリスト教からユダヤ教に国教を改宗した国王達もいた。
いずれも十字軍の興る前の話。
そこまでのユダヤ人に対する仕打ちは、敗者への仕打ちであり教会にとっての異教徒及び邪教徒へのもの。
他の宗教や民族への排他主義と大差はない。
ユダヤ教徒をユダヤ人として迫害を招くのは、十字軍の収奪を恐れ、それでいてキリスト教社会に従属することを是とはしない、イスラム教からユダヤ教に国教を改宗してさらに国家離散をした民族がキリスト教社会に寄生したことに始まる。
シオニストには、様々なユダヤ教徒やキリスト教徒が存在する。
シオニストであるユダヤ教徒も一様ではない。
より蓄財に執着する、聖書の神によれば偶像崇拝者となる、セム語族ではないユダヤ教徒は、歴史と伝統に比して縛られない、条件付き自由と民主主義の新大陸へなだれ込む。
その一方で、既に大きな資産を築いてヨーロッパに根を張った偶像崇拝者であるユダヤ教徒は、その資産を擁して迫害を退け拝金主義で勢力を広げた。
そういう彼らは、実際の資本をアングロサクソンの用意した法の下に書類上で増幅させた数字与えてキャッシュを他者から摂取することで膨大な蓄財をしてきた彼らの手法を国際ルールにまで押し上げる。
宿主である拝金主義者とこのパラサイトは、相互に欠けた部分を利用しあうことで支えあう偶像崇拝者のユダヤ教徒とキリスト教徒。
でありながら、自覚を持たない聖書の神に対する邪教徒であり反キリスト者達である。
信仰としての奥義は、煩悩や欲望から生じる闇を封じることではなく、またこれを奉じることでもない。
煩悩や欲望と向き合いこれを受け入れ、これらが己の心に住む闇へと広がらないよう祓い清めて純化した煩悩や欲望に替え、神や精霊や御霊と共棲して過去から未来へと繋ぐための今を生きる力に変えること。
今の時点までの現象が自然であるように生きること。
将来の現象が今の自然な生き様から繋がる未然であるように精いっぱい生きること。
そのための力に、煩悩や欲望を純化すること。
そのための精神的な羅針盤を信仰として持つこと。
その羅針盤を与えるのが宗教の存在意義だと、私は思う。
だからこそ。
数多の信仰心を持つ宗徒を従える「教」は、天から降り注ぐ光ばかりを仰ぎ見ようとするばかりではなく、地の底に根を張る地上の存在に内在する深い闇と向き合い受け入れなければならない。
天空の光は地の底から繋がる闇の中に在ります。
地上の存在は、天からの光と地の底の闇を繋ぐことで、地上で生を受け育まれている。
信仰としては、光を求めて天を仰ぎ見るだけでは宗徒が誘蛾灯に群がる蛾となってしまう宗教になる。
為政者が意図してこれを政治に利用することを通して権威と威信を確立したのが教会によるキリスト教。
覇道により占拠し、その権威と威信を笠に着て支配統治を確立するのが、ローマに端を発する教会発キリスト教社会。
この社会に異を唱え、預言者による歴史の原理に立ち返ろうと提唱したのが、聖書の預言者達と歴史をともにしたアラブの社会に興ったイスラム教。
それでも 縮小すれど崩れないキリスト教社会に服属することを是とせずにさらに原典へ立ち返ろうとした、イスラム教若しくはキリスト教からユダヤ教に国教を改宗した国王達もいた。
いずれも十字軍の興る前の話。
そこまでのユダヤ人に対する仕打ちは、敗者への仕打ちであり教会にとっての異教徒及び邪教徒へのもの。
他の宗教や民族への排他主義と大差はない。
ユダヤ教徒をユダヤ人として迫害を招くのは、十字軍の収奪を恐れ、それでいてキリスト教社会に従属することを是とはしない、イスラム教からユダヤ教に国教を改宗してさらに国家離散をした民族がキリスト教社会に寄生したことに始まる。
シオニストには、様々なユダヤ教徒やキリスト教徒が存在する。
シオニストであるユダヤ教徒も一様ではない。
より蓄財に執着する、聖書の神によれば偶像崇拝者となる、セム語族ではないユダヤ教徒は、歴史と伝統に比して縛られない、条件付き自由と民主主義の新大陸へなだれ込む。
その一方で、既に大きな資産を築いてヨーロッパに根を張った偶像崇拝者であるユダヤ教徒は、その資産を擁して迫害を退け拝金主義で勢力を広げた。
そういう彼らは、実際の資本をアングロサクソンの用意した法の下に書類上で増幅させた数字与えてキャッシュを他者から摂取することで膨大な蓄財をしてきた彼らの手法を国際ルールにまで押し上げる。
宿主である拝金主義者とこのパラサイトは、相互に欠けた部分を利用しあうことで支えあう偶像崇拝者のユダヤ教徒とキリスト教徒。
でありながら、自覚を持たない聖書の神に対する邪教徒であり反キリスト者達である。
信仰としての奥義は、煩悩や欲望から生じる闇を封じることではなく、またこれを奉じることでもない。
煩悩や欲望と向き合いこれを受け入れ、これらが己の心に住む闇へと広がらないよう祓い清めて純化した煩悩や欲望に替え、神や精霊や御霊と共棲して過去から未来へと繋ぐための今を生きる力に変えること。
今の時点までの現象が自然であるように生きること。
将来の現象が今の自然な生き様から繋がる未然であるように精いっぱい生きること。
そのための力に、煩悩や欲望を純化すること。
そのための精神的な羅針盤を信仰として持つこと。
その羅針盤を与えるのが宗教の存在意義だと、私は思う。
これは メッセージ 16224 (t_miya1960 さん)への返信です.
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