Re: tairyoukusokusounkojiken13 さん
投稿者: maximirion 投稿日時: 2008/11/27 16:29 投稿番号: [16123 / 20008]
彼らには贖罪意識を何らかの形で解消及び正当化する宗教が必要だった。
アングロサクソンとアシュケナージは、水と油である。
だが、ともに贖罪意識を絶対神という存在でで解消する必要があった。
アングロサクソンには、慈母信仰と抱き合わせた教会による聖書の福音が軸となる。
アシュケナージは、欧州に広まった教会の福音の下に意味嫌われる排他された存在であった故に、イスラム教による原典回帰を基軸としていた。
十字軍の進行による資産喪失を恐れたアシュケナージは、国家離散とイスラム教からの改宗を手段として資産と民族を護る手段とした。
その際に、原典回帰の改宗先はユダヤ教となった。
セム語族は、自分たちの民族国家の建設を聖書の原典の中に作り上げたが、アシュケナージは国家を離散して他民族の土地と国家に寄生して自分たちの資産と権利を築き護る道を選んだ。
アングロサクソンとアシュケナージの理想社会は、ソドムとゴモラにしかならない。
セム語族ユダヤの理想国家は、排他性と侵略性を伴う故にパトロンを失えば離散するしかない。
”肥沃な三日月地帯”が、”優和な大和”が、日本として存在しない限り、彼らが永続的に帰属できる国家はないのかもしれない。
だが、現在の日本は”肥沃な三日月地帯”として危うくなりつつあり、”優和な大和”でもなくなりつつある。
日本が日本としての本質を見失いかけているからだ。
清涼な水を大地から恵まれ続ける為には不断の努力を惜しまなくならない限り、日本人としての本質は失われていく。
苦水に浸されたり、乾き干上がる大地を生み出す文化は日本の文化ではないし、アジアの文化でもない。
洋の東西を問わず、砂漠化する文化に水を保全する文化が隅に追いやられたのが近代化だ。
悪魔の囁きは蜜の味というが、教会の騙る神の福音は蜜の味だ。
聖書にも本来は祟り災いなす峻厳の神が描かれ、それが同時に救いの神でもある。
そこに、福音書なる定かでない教本を添えて悪魔と神という対立軸を設け、贖罪の棚上げ的な懺悔と復活を教義の軸に据え、蜜の味がするキリスト像を作りあげることで宗徒を集め国家を集約したのだ。
人間本来の信仰には、神の側に善悪を求めていない。
神に対して、祝福されるのは人の行いが理に適っているからであり、仇なされるのは人の行いが理から外れているからと信仰されるものだ。
人間本来が持つ闇の部分と向き合うことを悪魔の側のレッテルを張って排他して、光の部分だけを説いて人心を集める信仰は蜜の味の信仰であって、悪魔の囁きと同じなのだ。
人間が教会の掲げる由一の神に対して、悪魔に唆されて贖罪を負ったなどという信仰は自然発生的に人々の間に湧き上がる信仰ではなく、人心を集約して権威を独占するために人為的に仕組まれた信仰なのだ。
これは メッセージ 16119 (tairyoukusokusounkojiken13 さん)への返信です.
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