こんにちは。
投稿者: uiop_hjkl1 投稿日時: 2001/03/15 20:26 投稿番号: [1334 / 20008]
mlib78さん。こんにちは。
mlib78さんは、聖書から枝分かれした価値観に共通の偶像崇拝を禁じた概念に触れた経験がおありですか?
稚拙な私の知識でしかないのですが、旧約聖書”出エジプト紀”のモーゼのくだりに登場し、ソロモン王の過ちとして、エジプト偶像の設置許可の話があり、その後、その過ちが発端となって、イスラエル国家の分離とバビロン捕囚への展開となっていたかと思います。
私の記憶では「創造主である”主”がなぜ人の作った偶像の中に住み着くことがあろうか?」との問いかけが度々登場し、「偶像の中に住み着く物は、それを作った人間以下の存在である。」としていたかと思います。
「アッラーこそ唯一」とするイスラム人にとって、偶像がどのような存在かは、想像に難くないと思います。いわゆる豚以下の存在であり、シナイ山のふもとで金の牛を祈りの対象としていたイスラエルの話にもあるように民衆を惑わす諸悪の根源でしょう。
一方、もし彼らの統治下にそれら偶像があったら。イスラムを重んじれば重んじるほど、「なぜ、自分の統治下にある偶像の存在を認めているのか?」に対し神の面前においても通用する正当な答えがあるでしょうか?
私は、物事には、それぞれに価値観がありその価値観の裏には歴史と文化、そして哲学があると考えます。それぞれの価値観の自己主張は、相手の価値観を認めた上で大いに交わされるべきものだと思いますが、しかしながら、それをして相手の行動を、制圧する理由にはならないと思います。(誤解がないように、断りたいのですが、もちろん、殺人や略奪等の話は上の軸上のことではないことは言うまでもありません。)
私は、この件に関し、なぜ”愚行蛮行”といった言葉が、掲示板上で交わされ続けているのかよく理解できません。
これは メッセージ 1333 (mlib78 さん)への返信です.
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