『偏向』 ①
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2007/03/28 01:59 投稿番号: [12958 / 20008]
>アルジャジーラ・23日版が、イスラエル軍のパレスチナ少年への暴行を
>報道した。
>だが、同日、同紙はパレスチナでは抗争に巻き込まれて幼い子供が死んだ
>ことも報道していた。
>抗争とは関係のない子供が死んだというのに、暴行事件だけを取り上げ、
>それを無視する姿勢は批判されて当然でしょうナ(わら
何故、同時に記載せねばならない理由があるんだね。
何故、同時に記載していなければ、「無視」したことになるんだね。
何故、同時に記載していなければ、「偏向」になるんだね。
その<根拠>は何か?
その<根拠>を提示すれば、初めて議論が始まる。
次の段階は、ではその提示された<根拠>の内容が
<どういう意味内容に於いて妥当と言い得るのか>という次元へと。
さて、この ojin_8823 なる人物が挙げている<根拠>は、
アルジャジーラが
①「同日、報道していた」ということ
②「抗争とは関係のない子供が死んだというのに、
暴行事件だけを取り上げ、それを無視する」
ということのようだ。
「同日、報道していた」というが、アルジャジーラが同日報道していた情報は、
何十、何百とあるのだが、(24時間放送している)
「パレスチナでは抗争に巻き込まれて幼い子供が死んだ」という
特定の一つの事件報道であらねばならない根拠ではない。
その<根拠>にあたるのは、②のようだ。
私は「パレスチナでは抗争に巻き込まれて幼い子供が死んだ」事件は
重大な事件だと思っている。
しかし、ある一つの事件について紹介していることに対しての
批判根拠にはならない。
好意的に考えても、『こんな重大な事件があるのに!』と
『感じた』のは、あんたの自由だ。
あんたがそう感じたのなら、あんたがその事件を紹介すればいいだけの話だ。
あんたにとって、「重要」なことが、
他者に於いてどの程度重要かは、当然一人一人異なるのだ。
また、重要な事件だとは受け止めていても、
時間的制約や個人的事情等の理由により、
「書いていない」ことが直ちに「むししている」とは言えない。
『こんな重大な事件を書いていない』から
『偏向』だ! 『無視している!』とは言えない。
自分自身が、紹介すればそれだけの話だったのに。
まるでうどん好きの人間が、うどんはこんなにおいしいのに食べないのは
おかしい!と、そば好きの人間に向かって主張しているようだ。
うどんが好きな人はそれでよいのだ。何一つ悪くはない。
うどんが好きなことを批判しているのではない。
しかしそれを他者に当てはめた瞬間に誤謬に転化するのだ。
ないものねだり、駄々をこねている子供のようだ。
>>では最後に、新たに一つの事件を紹介しよう。
>>党派間抗争、4歳の幼児が巻き込まれ死亡
>>http://www.afpbb.com/article/1448361
>>さて、この一つの事件紹介の私の発言に対して、ojin_8823 なる人物は、
>>こう主張しなければならない筈である。
>>「それは偏向だ。何故なら、イスラエルによるパレスチナ民衆への
>>残虐行為の報道が書かれていないからだ」
>そんな思考じゃ、キミの商店街に客は来んだろう(わら
罵倒しかできないということは、
論理的には何ら反論できないことの対象的表現だ。
論理的に反論できないのも当然だろう。
自分自身は、決してイスラエル側の暴力行為など紹介していないのだから。
パレスチナ側の否定的事態が抜けている!とは主張しても、
イスラエル側の否定的事態が抜けている!とは決して主張しない。
だからといって、私はあんたが、「偏向している!」などとは言わない。
あんたが、プロ・イスラエル、プロ・ユダヤの立場の人間であるから、
そうなるのは当然のことだ。
プロ・パレスチナの立場のサイトが、イスラエル側の否定的事態しか取り上げ
ないことと対照をなし、そういう意味では、合わせ鏡のような対の存在だ。
つまり相互に「足りない」部分を補い合っている訳だ。
十人十色、一人一人の価値観は違うのだから、そういう一局面もある。
>報道した。
>だが、同日、同紙はパレスチナでは抗争に巻き込まれて幼い子供が死んだ
>ことも報道していた。
>抗争とは関係のない子供が死んだというのに、暴行事件だけを取り上げ、
>それを無視する姿勢は批判されて当然でしょうナ(わら
何故、同時に記載せねばならない理由があるんだね。
何故、同時に記載していなければ、「無視」したことになるんだね。
何故、同時に記載していなければ、「偏向」になるんだね。
その<根拠>は何か?
その<根拠>を提示すれば、初めて議論が始まる。
次の段階は、ではその提示された<根拠>の内容が
<どういう意味内容に於いて妥当と言い得るのか>という次元へと。
さて、この ojin_8823 なる人物が挙げている<根拠>は、
アルジャジーラが
①「同日、報道していた」ということ
②「抗争とは関係のない子供が死んだというのに、
暴行事件だけを取り上げ、それを無視する」
ということのようだ。
「同日、報道していた」というが、アルジャジーラが同日報道していた情報は、
何十、何百とあるのだが、(24時間放送している)
「パレスチナでは抗争に巻き込まれて幼い子供が死んだ」という
特定の一つの事件報道であらねばならない根拠ではない。
その<根拠>にあたるのは、②のようだ。
私は「パレスチナでは抗争に巻き込まれて幼い子供が死んだ」事件は
重大な事件だと思っている。
しかし、ある一つの事件について紹介していることに対しての
批判根拠にはならない。
好意的に考えても、『こんな重大な事件があるのに!』と
『感じた』のは、あんたの自由だ。
あんたがそう感じたのなら、あんたがその事件を紹介すればいいだけの話だ。
あんたにとって、「重要」なことが、
他者に於いてどの程度重要かは、当然一人一人異なるのだ。
また、重要な事件だとは受け止めていても、
時間的制約や個人的事情等の理由により、
「書いていない」ことが直ちに「むししている」とは言えない。
『こんな重大な事件を書いていない』から
『偏向』だ! 『無視している!』とは言えない。
自分自身が、紹介すればそれだけの話だったのに。
まるでうどん好きの人間が、うどんはこんなにおいしいのに食べないのは
おかしい!と、そば好きの人間に向かって主張しているようだ。
うどんが好きな人はそれでよいのだ。何一つ悪くはない。
うどんが好きなことを批判しているのではない。
しかしそれを他者に当てはめた瞬間に誤謬に転化するのだ。
ないものねだり、駄々をこねている子供のようだ。
>>では最後に、新たに一つの事件を紹介しよう。
>>党派間抗争、4歳の幼児が巻き込まれ死亡
>>http://www.afpbb.com/article/1448361
>>さて、この一つの事件紹介の私の発言に対して、ojin_8823 なる人物は、
>>こう主張しなければならない筈である。
>>「それは偏向だ。何故なら、イスラエルによるパレスチナ民衆への
>>残虐行為の報道が書かれていないからだ」
>そんな思考じゃ、キミの商店街に客は来んだろう(わら
罵倒しかできないということは、
論理的には何ら反論できないことの対象的表現だ。
論理的に反論できないのも当然だろう。
自分自身は、決してイスラエル側の暴力行為など紹介していないのだから。
パレスチナ側の否定的事態が抜けている!とは主張しても、
イスラエル側の否定的事態が抜けている!とは決して主張しない。
だからといって、私はあんたが、「偏向している!」などとは言わない。
あんたが、プロ・イスラエル、プロ・ユダヤの立場の人間であるから、
そうなるのは当然のことだ。
プロ・パレスチナの立場のサイトが、イスラエル側の否定的事態しか取り上げ
ないことと対照をなし、そういう意味では、合わせ鏡のような対の存在だ。
つまり相互に「足りない」部分を補い合っている訳だ。
十人十色、一人一人の価値観は違うのだから、そういう一局面もある。
これは メッセージ 12946 (ojin_8823 さん)への返信です.
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